白血病闘病記
leukemia Fight against illness
白血病闘病記ー2007年 再発 入院・治療 10月
2006年10月寛解退院後、2007年10月再発・入院についての記録になります
10月 1日 月曜日
あいにくの小雨模様。朝、友人が車を出してくれ病院へ。前回とは違う部屋だが無菌室へ。懐かしいとかの感慨はほとんどない。マルクを久しぶりに経験。それほど痛みもないが、やはりあの骨髄液を吸い取られる時の引っ張られるような感覚は気持ちのいいものではない。今週は様々な検査が予定されていて、検査で暮れるようだ。
10月 2日 火曜日
朝方まで降り続いた雨もあがり、青空が広がる。窓の外の音はほとんど聞こえない。風も感じることはできない。あるのはエアコンのたてる低い「ゴーッ」という音。元々テレビをあまり見ない人間なので、パソコンや携帯と向かい合っている。午前中はCT、レントゲン、エコーなどの検査で暮れる。検査の時は外来を通るのだが、実に様々な人々が「病気」という共通項で集まっているものである。子供からお年寄り、もちろん若い人も。全ての年代が揃っている。風邪の人から、重大な病の人まで。外見は普通に見えても、実は・・・なんて人もきっといるのだろうな。検査を待つ間にふとそんなことを思った。夕方主治医から今後の治療についての説明があった。
「寛解導入療法」→「地固め」→「移植」の流れでいくそうである。
「地固め」までは経験済みであるが、前回からの抗がん剤の蓄積がどう出てくるかは未知数のようである。問題は「移植」。私には兄が一人いるがその兄の骨髄が合わなければ、「骨髄バンク」「臍帯血バンク」となる。そして「生着」し、血液を正常に作り始めれば成功となるのだが、そこには合併症、後遺症などのリスクが存在し、移植に至る道程でも危険はあるようである。そこまで聞いて逆に腹が決まった。私はまだ死にたくはない。いや「生きたい」!何としてでもこの難局を乗り切るつもりだ。これからもっともっと楽しい人生になると期待していた矢先の再発。絶対に生きる!
10月 3日 水曜日
朝、やっとFTPソフトでこのページをアップロードできるようになった。前回の時とモデム端末が変わっているため少々設定にテコヅッテいる。現在まだPCメールの送受信ができない状態。
10月 4日 木曜日
昨日から抗がん剤投与が開始された。いまのところそれほど副作用は出ていない。「少し食欲が落ちたかな」ぐらいである。ひとまず「寛解」を目指す。PCメールも快適とは言えないが、何とかアクセスできるようになった。
10月 5日 金曜日
食べ物の匂いで吐き気がするようになってきた。特に夕食はほとんど食べられなかった。しばらくパン食に変更してもらうことにする。
10月 6日 土曜日
食事はますます困難になってきた。食べられるのはパンのみである。これにワインでもあれば「最後の晩餐」なのだが(笑)。頭も若干ボーッとしている。今回熱が出ないのが助かる。前回は40度突破もしたのだが、今のところ平熱が続いている。でも逆に考えると抗がん剤に耐性ができてしまったのではとも・・・考えても仕方ないことを考える。病人は暇なのである。午前中、兄が血液検査のため来院。検査は後日となったが、移植となったときドナーとなりうるかどうかのチェックのためである。はたしてマッチするのかどうか・・・今回の無菌室は眺めがいい。空がよく見える。昨夜はまるで夜空に浮かぶ船のような月が見えた。
10月 7日 日曜日
なんだろう・・・以前のような集中力がない・・・本も読めない、音楽も聞き続けることができない、テレビは見る気がしない、正直この日記を書くのも億劫である。横になると直ぐに眠くなってしまう・・・気力がわかない・・・疲れた・・・
10月 8日 月曜日
抗がん剤点滴の一日。疲れあり。どうもいいイメージが持てない。まずいことだが事実だから仕方ない。何をしたのかすら思い出せないほど「何もしていない」。考えたってどうにかなる訳でもない。やはりなるようにしかならない。それは前回の治療時も今回も変わらない。でも今回は全てにやるきが出てこない。何故?ただされるがままの一日。「頑張れ」とか聞きたくない。充分に頑張ったと思うから。今だって頑張っているからここにいるんだ。そんな時である、テレビで「オズの魔法使い」を観る。確か前回の入院時も観た記憶が。そういえば、再発の連絡を受けたのは9月25日札幌でだったのだが、直後に虹が出たのだ。ドロシーのように虹を渡れるだろうか。
10月 9日 火曜日
ほんとにだるい。一日中寝ている。ほんとに眠くて眠くて・・・点滴に繋がれていることもあり、ほとんど動かない。たまに起き上がってメールのチェックするぐらい。食べて寝て、食べて寝て、食べて寝て・・・札幌で食べた海鮮丼(イクラ・サーモン)、美味しかったな~。また美味しいもの食べたいから頑張るってのも「食い気だけかい!」と思われそうだし・・・仕事も順調になりつつあった矢先の再発の知らせ。みんな途中で投げ出さざるを得なかった。迷惑をかけてしまった申し訳なさ。悔しいなぁ、ほんと悔しいなぁ・・・仕事への復帰・・正直今後は難しいだろうな・・退院できたとしても、何か仕事探さなきゃならないだろうな・・・泣き言ばかりだな・・・夢は夢で終わってしまうのかな・・白血病のバカヤロー!
10月10日 水曜日
午後、やっと点滴から解放された。この一週間体から離れることがなかったので今はホッとしている。味覚異常は相変わらずだが、朝パン、昼夜めんとして何とか食べている。おかずはまったく食べられないが・・・これから白血球値がどんどん下がっていくだろう。昨日の段階で、白血球数は800。
10月11日 木曜日
熱が出てきた。38、6度。抗生剤の点滴。おとなしく寝ているしかない
10月12日 金曜日
午後、熱が39度に。解熱剤を飲んでおさえる。深夜ふたたび熱が39度を突破。解熱剤。栄養と抗生剤の点滴が続く。
10月13日 土曜日
午後熱が39、4度。点滴の抗生剤がメロペンに変わる。夜、テレビで「踊る大捜査線」を観る。夜中2時頃ふたたび39、1度まで熱があがる。解熱剤をもらい服用。
10月14日 日曜日
抗生剤、またも変更。それでも午後熱は39度まで。なかなか私に合う抗生剤がみつからない。深夜、テレビで「ズラ刑事」のテレビスペシャルを観る。この作品の監督河崎実氏とは、雑誌「小型映画」で何度か一緒になったことがあるのが懐かしく思い出される。もう30年以上前の話ではあるが。熱は38度代をキープ。微妙だが少しおさえられたのか・・・
10月15日 月曜日
熱は39度までは上がらなくなった。あがっても38度台、37度台がほとんどになった。中途半端ではあるが高熱には悩まされなくなった。背中に違和感があり触ってみると、前回の入院最後に背中にできたものと同じものができている様子。皮膚科の医師に診てもらう。注射で膿みが引ければ切開してとのことだったが、膿みは引けず、木曜にもう一度診察することとなった。満身創痍という感じである。
10月16日 火曜日
相変わらず、集中できない。本も読み始めて数ページはいくのだが、それ以上になると思考が他のことを追い始めてしまう。DVDもまだ一本も観てはいない。とにかく「ボーッ」としてると夜になっているという具合である。食事が美味しくとれていないのもストレスを増しているのかもしれない。最大の悩みは「移植」か「寛解で一旦退院」かの選択である
10月24日 水曜日
朝、血液採取。好中球が少し出始めてきた。まだ無菌室から出られるレベルではないが。兄が移植ドナーとなれるかの血液検査の結果もわかった。結果は不適合。これで移植の場合は、骨髄バンクか臍帯血バンクしか選択肢はなくなった。今回は事情があり、寛解退院するつもりである。次回再発するか、又は再発がなくても年齢のことがあるのでそんなに移植を待っていることもできない。頭髪の脱毛が進んでいる。
10月25日 木曜日
もう、3週間無菌室から出ていない。一日中この狭い無菌室の中で過ごしていると、自分でも気づかないストレスが溜まっているようだ。相変わらず本には集中できない。テレビをボーッと観ていることが多いが、それもあまりドラマや映画には集中できずにバラエティーばかり観ている。いや観ているというより、見つめていると言ったほうがいいかもしれない。自分でも持ってきた映画のDVDがあるのだが、一本も観ていない。観始めても、集中できない。いま私の心はここにはない。
10月26日 金曜日
仕事仲間が見舞いにきてくれる。事前にアイスを買ってきてもらうようお願い。売店へ行くにはまだしばらくかかりそうな気配なので差し入れてもらった。無菌室のガラス越しに話しているとどうしても話しが事務的になってしまう。インターフォンでの会話のせいかもしれない。あぁ早く出たい!!今朝血液検査があったのだが、結果はまだ好中球がたち上がっていなかったようだ。土日は血液検査がないので月曜日以降に期待するしかない。今一番気にしている彼女の容態は、あまり思わしくない。間に合うのだろうか・・・
10月27日 土曜日
いま、朝から栄養剤の点滴が一日中続いている。そう、結局点滴につながれ続けている訳である。これが結構わずらわしい。病人が贅沢なと言われてしまうかもしれないが・・・台風接近という事らしく、外は強い雨が降っているようだ。ただ前にも言ったように、風や音が聞こえる訳ではないので実感が薄い。サイレント映画を観ているような感じと言ったら分かってもらえるかもしれないが。こうして虚しく日々が過ぎていく。
10月28日 日曜日
台風一過の晴天。気温はどのくらいなのだろうか。秋というより冬に近いのか。ただ一日が過ぎて行く。脱毛が甚だしい。もうほとんど頭髪は残っていないが、それでも枕には髪の毛がついている。入院してすぐに刈ってしまってよかった。長いまま抜けているのは見苦しいし、きっと耐えられないと思うからだ。洗濯に行けないので、部屋で乾かせる分だけ部屋の洗面台で洗濯する。無菌室は四六時中空調が空気を循環させているので結構乾くのである。まめに洗濯していれば、そう困ることもない。しかし、気分転換も含めて外へは出たいが。入院してちょうど4週間が経過した。
10月29日 月曜日
朝、採血がある。午前中に主治医より、院内での活動許可が出る。無菌室から出てもいいということである。ただ、今は朝から夜まで栄養剤の点滴が続いているので、今日はいつも通りおとなしく部屋ですごす。明日からその点滴もなくなる予定なので待望のレストラン食や洗濯、買い物に行けそうである。「地固め」がこの後控えているので、1週間から2週間ぐらいはささやかな自由を楽しめそうだ。
10月30日 火曜日
午後、洗濯しに無菌室を出る。約4週間振り。階段が少々辛い。運動不足もあるのだろうが、血液が完全に正常とは言えないからだろう。まだ一回一時間程度の抗生剤その他の点滴が一日5回あるので、その間を縫うようにであるが。夕食は待望のレストランで食べる。カツカレー。だが味覚が戻っていないのかそれほど美味しいとは感じない。でも病院食よりはすすんで食べられる。病院食はどうしてもおかずが食べられない。何だか独特の匂いが駄目なのである。どうしてなのかは自分でもわからないのだが。この自由も1週間程度のようで、来週ぐらいから「地固め」開始の予定と主治医から告げられる。今週末か来週明けにマルクをし、「寛解」を確認できれば、「地固め」へということらしい。今回、移植はしないことは決定した。「地固め」が終わり血液が回復したら退院となり、しばらくは外来による経過観察となる予定だ。
10月31日 水曜日
抗生剤の点滴が午前、午後とあるので一日の内結局5時間近くは点滴に繋がれている結果になっている。今日は突然午後、マルクをすることに。正直、いままでで一番痛いマルクであった。今週末には外出の許可が出るかもしれないが、来週早々から「地固め」がはじまるようだ。自由は短い。午前中父が来る。年老いた父を目の前にすると、申し訳ない気持ちで一杯になる。父は私の顔を見て安心するようだが、遠いところをやってくること自体大変である。もうすぐ80になろうとする父である。相変わらず、本も読まないし、DVDも見ないし、CDも聞かない。パソコンもネットも接続環境があまりよくないので、この日記をつける時ぐらいである。テレビをボーッと見ていることが多い。無為な日々である。
○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算
・223 天国で君に逢えたら 飯島夏樹 新潮文庫
白血病闘病記ー2007年 再発 入院・治療 11月
11月 1日 木曜日
入院して一ヶ月。早かった。あんなに何にもしていなかったのに・・・あと約一ヶ月で退院できるか・・・今後の事で医師から説明があった。今回のように「再発」して、化学療法で「寛解」にし、そのまま治癒まで行く例は10%だとのこと。数ヶ月以内に「移植」を実行できる環境であれば、年齢的な事もあるので「移植」を勧めるとのこと。ただもし「寛解」状態が半年や一年続いたら、ちょっと「移植」は考えてもいいのかもしれないとのこと。つまり「その時の状況」次第だといういうことだと解釈した。ふたたび「再発」する可能性は90%だということでもある。これが「移植」をすれば「再発」しないというなら躊躇せず「移植」を決断するだろうが、「移植」でも「再発」の可能性はあるのだから始末が悪い。当分この病気には付きまとわれそうである。
11月 2日 金曜日
とりたてて何事もない一日。外は雨のようだ。人の人生、生きるってなんなんだろう。一生ってなんなんだろう。死んだ時がその人の一生?長い時間の一生の人。短い時間の一生の人。そのどちらでもない一生の人。生きた時間・・・それが一生なのか。生まれ、生き、死ぬ・・・それが早い人と遅い人。やりたい事、夢、それを実現するために人は生きるのか?漫然と呼吸し、食べ、寝ているだけで時間を消費してきたのではないかと考えると、いまの私にはとんでもなく時間を無駄にしてきたのではないかと思えることがある。私より短い時間で死んでいこうとする命もあるというのに・・・「お前は生きてきたのか」「お前は生きているのか」自分自身に問いかける。
11月 3日 土曜日
午後、外出。一ヶ月振りの外である。午前中曇っていたた空も晴れていく。今日は学生時代の仲間が見舞いにくる日でもあり、近くの駅で待ち合わせている。着替えて出発。日差しは暖かいが、風はやはりひんやりとしている。今回ほとんど歩いたりしていなかったせいか少し安定感がない。筋肉も衰えている。ゆっくりゆっくり歩いていく。目的の駅まで普通の足であれば10分程だと思うが、30分ぐらいかけて歩く。が、目的地を目の前に財布を持っていないことに気がつく。大分早めに出ていたので時間は大丈夫だが、また病院まで戻ることに。とほほ・・・財布を持ち、またゆっくりゆっくり歩いていく。映画学校の仲間達。もう30年のつきあいだ。前回の入院の時も来てくれている。ファミレスで馬鹿話しに花が咲く。こんなに笑ったのは入院以来だ。この仲間が集まるといつもそうだ。30年たっているような気がしない。学生の時にすぐ戻ってしまう。2時間ぐらいであろうか、陽も暮れてきたのでファミレスを出る。みんな病院まで送ってくれる。夜は今回リクエストしていた「崎陽軒のシュウマイ弁当」を食べる。滅茶苦茶美味しい!何だか少し疲れたが、これからまた一ヶ月頑張れる気力が湧いてきた。みんな、ありがとう!
11月 4日 日曜日
いつの間にかホームページへのアクセス数が6万件を越えていた。約7年間で6万件だから個人ページにしては地道にアクセスをのばしてきたほうではないだろうか。アクセスいただいている皆様に感謝いたします。ありがとうございました。そして今後もよろしくお願いします。今日も午後外出。といっても本屋と夜のお弁当を買い、デニーズでコーヒーを飲み、2時間程で戻ってきた。昨日に比べると歩いていて格段に安定しているのが実感できた。やはり運動不足が原因だったのだろう。明日からまた抗癌剤治療がはじまる。
11月 5日 月曜日
お昼前から抗癌剤治療が開始された。ただし、前回の時のように24時間続けてではなく、2時間半づつが一日2回のサイクルで3日間。3日目から抗癌剤の種類が一つ増えて、合計5日間で終了するようだ。その後、血液の回復を待って、今回は退院、外来となる予定だ。後一ヶ月ちょっとといったところか。最初の投与後一カ所だけ発疹が出たが、夜の時は出なかった。だるさが少しあるぐらいで、特に変わりはない。ちなみに、病院食は主食のパンと麺以外食べることがどうしてもできない。無理におかずを口に入れると吐き出してしまう。いまこうして書いていても少しムカムカしてくる。
11月 6日 火曜日
終日曇り。抗癌剤治療が終わったのが午前1時頃。朝が眠い。今のところこれといって副作用の症状は出ていない。少しだるさを感じる程度。明日の採血結果までは自由にしていて良いそうなので、買い物に行く。朝用と昼用のパンを購入。さぁ後一ヶ月程で退院できるか。
11月 7日 水曜日
抗癌剤治療が続く。まだ特に副作用的なものは出てこない。少しだるいぐらいか。集中力まったく無し
11月 8日 木曜日
抗癌剤にプラスして栄養剤の点滴がはじまる。これが落とし終わるまで9時間ほどかかる。朝から夕方まで点滴に繋がれっぱなしである。入院してるんだから、我慢しろといったところだろうが、やはりわずらわしい。抗癌剤治療は明日までで終わる予定。症状として抗癌剤点滴中に少し胃のむかつきを覚える。今はそれぐらいだ。
11月 9日 金曜日
皮膚科の検診。入院してすぐに切開した背中の傷。やっと治癒となった。抗癌剤最終日。点滴中少し胃のむかつきを感じる。あとは全身の倦怠感。でも症状はそれぐらい。今後、白血球、赤血球数の低下、回復とすすんでいくはずだ。朝の採血の結果はまだそれほど低下していないようで、医師いわく「嫌でなければ部屋ですごしましょう」と言われる。栄養の点滴があるので半日はおとなしくしているが、売店で翌日用のパンを買うのはまだやめなくてもよさそうだ。よかった。贅沢な話しかもしれないが、相変わらず病院の食事のおかずは一切口にできない。無理に口に運んでも吐き出してしまう。それぐらい合わない。
11月10日 土曜日
今日は栄養剤の点滴のみ。朝6時代にスタートして午後2~3時ぐらいまで。外は雨模様のようだ。それにしても前回の入院時のような発熱がないので楽だ。それとも抗癌剤に対して耐性ができてしまったのか・・・相変わらず集中力なし・・・怠惰な一日を過ごす。あぁ・・・
11月11日 日曜日
しかし、よく考えれば私は病人。病気を直すのがいわば仕事である。怠惰な一日と書いたが、それはある意味当たり前なのだ。と居直ることにする。今の悩みは食事。どうしても病院から出される食事のおかずが食べられない。主食のパンや麺は食べられるが、それに自分で買ったパンや弁当で補っている状態だ。入院直後は食べられていたので、やはり抗癌剤のせいであろう。今味覚はかなりおかしい。
11月12日 月曜日
晴天。採血の結果、白血球数が下がりはじめており、無菌室から出ることができなくなった。現在白血球数は1100。栄養剤の点滴は継続中。無菌室から出れなくなったせいもあるのだろうが、やっと本を読み始める。午後はほとんど本を読んで過ごす。
11月13日 火曜日
ようやく本を読む集中力が戻ってきた。今日は終日読書。部屋から出られないということも手伝っているのであろう。外は雲ひとつない晴天。ただガラス越しに見ているだけだが。こうしているだけでも季節は冬へ向かっている。時間が過ぎていく。
11月14日 水曜日
終日読書で時間を過ごす。白血球数その他の数値がグングン下がっているようだ。無菌室から出ることはかなり危険な状態であろう。しかし相変わらず食事が美味しく食べれない。朝、昼は主食のパンや麺のみ。夜はインスタント麺でしのいでいる。売店に行けないのが辛い。
11月15日 木曜日
晴天の一日。看護師さんの話しだと結構寒いそうである。季節は秋からいつの間にか冬へ。おもえば入院時はまだ半袖で大丈夫な陽気だったのがもう長袖でなければ寒くなってきているのだろう。無菌室に居ると本当に季節がわからない。空気が感じられない病気をしたことがない人、入院したことがない人にはわからないことだろうが、自由に外を歩ける事だけでも今の私にとってはありがたいことである。少しペースダウンしたが、今日も終日読書
11月16日 金曜日
雲の多い一日。採血の結果、週末輸血があるかもしれないとのこと。11月も半ば、後一ヶ月半で今年2007年も終わってしまう。早いものである。仕事は数えるほどしかできなかった一年だった。仕事に関して何の手応えもない一年だった。
11月17日 土曜日
血小板の輸血あり。おそらく月曜の採血結果が下のピークになるのではないだろうか。夜寝ていないわけではないのだが、昼間眠くて寝てしまう。この眠さはどこからくるのだろう。輸血の際、アレルギー予防の薬を事前に入れるのだがそのせいなのか。
11月18日 日曜日
熱が少し高め安定となってきたようだ。37.8度。夜から抗生剤の点滴はじまる。でも苦しくはない。
11月19日 月曜日
晴れ。テレビによると外は今年一番の冷え込みとのこと。日に3回点滴。朝の血液検査の結果は、白血球数が400、CRPが3.84H。熱が37度台で安定するようになってきた。おそらく今日、明日あたりが白血球数の最低値であろう。その後は上昇に転じるものと思われる。前回と同じ経過だとすれば、今日から2週間とちょっとで「院内フリー」となれるはずである。問題は食料のインスタント麺が保たないこと。今のところ無菌室からは出られないので明日からは節約するしかなさそうだ。
11月20日 火曜日
少し雲が多い。毎日日の出が部屋から見えるのだが、今日は雲に阻まれ見えなかった。入院から50日が経った。夏休みより長い入院生活。治療とは名ばかりで、今の状況を抑えているに過ぎない。治癒できる特効薬がないのだから仕方がない。自分が癌になるとは正直思っていなかった。平静を保っているつもりだし、実際そうしているつもりだが、本当は心落ち着かない日々である。考えても仕方のないあらゆることを考えてしまい、やはりあきらめることしかできない日々なのである。
11月21日 水曜日
採血の結果、白血球数は700と上昇に転じた。ただ肝心の好中球数は0なので、感染への抵抗力は0である。この好中球数が上がらないと院内フリーにはならない。だからやはりあと2週間ほどかかるであろう。目安としては白血球数3000以上であろうか。熱は37度台で安定。雲ひとつない青空。木々の枝を見ても、風のない穏やかな陽気のようだ。東北ではもう雪が降りはじめているように、気温は低いのだろうけれど。
11月22日 木曜日
今日も晴れ。いま居る無菌室からは日の出が窓正面に見える。午前中、久々にシャワーを浴びる。だがこれがよくなかった。シャワーが終わり体を拭いている時に急に貧血状態になる。起てない。呼吸も早い。とにかく下着だけははいて何とか自室まで歩く。倒れるようにベットへ横になる。ナースコール。血圧が100ー40と低い。失神しなかったのは幸いだったが、一瞬前回の入院時のことが頭をよぎった。その後安静にしていたら目眩などはなくなった。明日の血液検査の結果で赤血球の輸血になるだろう。
11月23日 金曜日
今日も雲ひとつない晴天。勤労感謝の日で祝日。菌室は常に空気が循環していて、かなり湿度が低い。以前から肌はカサカサ状態だったのだが、一番ひどいのは唇。ひび割れて痛い。看護師さんにお願いしてリップクリームを買ってきてもらった。これで何とかしのげそうである。赤血球の輸血あり。血圧も120ー70と上がっている。昨日はシャワーだけとはいえ、のぼせてしまったのだろう。午後、父と兄が見舞いにきたので買い物を頼む。食料確保。
11月24日 土曜日
晴天。どうやら祈りは通じたようだ。いい情報が入ってきてホッとしている。午後、血小板の輸血。アムール制作の「映画の都 ふたたび」をDVDで観る。山形国際ドキュメンタリー映画際を創っていく人々のドキュメンタリーである。監督 飯塚俊男。撮影 渡辺智史。2007年度よりNPO法人として市から独立することとなった映画祭の苦悩と夢を記録した作品である。アジアのドキュメンタリーを育てたと言っても過言ではないこの映画祭に関わる人々の葛藤が描かれている。映画祭運営という実務と夢がそこにはある。実社会と変わることのない「経営」と「映画祭」という祭りの葛藤と言ってもいいのかもしれない。観始めて当初はインタビューが長いのではと感じていたが、見続けるうちにそれが「山形時間」であることに気づく。そして様々な実務処理と夢の折り合いをつけていく作業が描かれる。ここに描かれる人々の間にも夢への「対立」はないことがわかる。一見厳しい意見や人事も出てはくるが、それらもより力強く生まれ変わるための「禊」だったのではないだろうか。映画祭当初からの人間パワーがこの映画祭を支えているのだという静かな主張が見えてくる。佳作である。
11月25日 日曜日
晴天。日曜日の病院は静かなのだろうが、ここ無菌室にいるとあまり関係ない。時間だけが過ぎていく。でも思いのほか早く過ぎていく。別に何かに集中したり、やったりしている訳ではないのに、気がつくと消灯時間がきていると感じる。栄養剤の点滴が朝6時から夕方まで。抗生剤の点滴が朝、昼、晩。一日中点的に繋がれているようなものだ。金曜日の白血球数は600。前回より下がってしまった。明日の採血の結果はどうなるだろうか。
11月26日 月曜日
採血。今日から抗生剤が変わる。以後熱が治まる。効いているようだ。36度台をキープしている。主治医から、早ければ来週退院もあり得るとの話しがある。もちろん血液の回復次第なのだが、以前の例から言っても私の場合、たちあがり始めると一気にたちあがる傾向があるそうで、今週のデータ如何によっては可能性があるとのことである。好中球も白血球の回復に伴いあがってくるはずである。夜、「七人の侍」を観る。物語の面白さ、役者の存在感、編集の的確さ、どれをとっても文句のつけようがない。しかし実はそんなことよりも観始めると一観客として引き込まれている自分に気づく。映画とは「七人の侍」のことを言うのかもしれない。最近、テレビで「椿三十郎」のリメイク版の映像を観る事が多いのだが、あの若侍達が群れでしかないのが気になるのだが・・・原因は役者の存在感にあると思う。以前役者の眼の力について語ったことがあるのだが、今回のはまさにその好例となってしまっているのではないだろうか。そう眼に力がないのだ。役者の力(眼力)を旧作と比べてみてほしい。一目瞭然だと思う。
11月27日 火曜日
曇り。昨日の白血球数は800。もうすぐ11月も終わる。入院して約2ヶ月。本当に長い。移植だったらもっと長くなっていたはずである。病気はつくづく嫌だ。夜「砂の器」を観る。物語に引き込まれる。撮影はズーミングが多用され、一見荒っぽさすら感じる。が、それがある種のリズムを生み出している。風景から主題へ。そう音楽的なのかもしれない。撮影は川又昴。
11月28日 水曜日
朝、採血。白血球数1200。まだ無菌室からは出られない。金曜日にマルクの予定。外は一日中曇り。栄養剤の点滴がなくなる。これで点滴は抗生剤(メロペン)一日3回のみとなる。熱も36度台をキープしている。
11月29日 木曜日
曇り。部屋から出ず(出られず?)一日中。来週退院の可能性が浮上。来週月曜日にマルクをし、血小板値などもあがっていれば来週中の退院を検討するとのこと。治癒で退院する訳ではないが、これでひとまずはホッとできそうである。マルクの結果、「寛解」が維持されていればとりあえずは保つということである。可能性としては限りなく低いが、このまま5年経過して「治癒」ということがないわけでもないらしい。まぁ期待はしないほうがいい。私の場合、抗癌剤では再発してしまうということがわかってしまったので、いずれ移植を選択するか、または一切の治療をしないで自然にまかせるか・・・道はその二つである。あぁ、映画撮りてぇなぁ!!
11月30日 金曜日
採血。白血球数1200。前回と変わらず。ほんとに来週退院できるのだろうか。寛解は維持されているのだろうか。外は真冬並みの寒さと聞く。11月も今日で終わり。季節はいつのまにか冬へ・・・
○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算
・224 桜色のハーフコート 赤川次郎 光文社文庫
・225 楽園(上) 宮部みゆき 文芸春秋
・226 楽園(下) 宮部みゆき 文芸春秋
・227 家守綺譚 梨木香歩 新潮文庫
白血病闘病記ー2007年 再発 入院・治療 12月
12月 1日 土曜日
今日から12月。今年も残すところ後一ヶ月。特別に採血があるも白血球数1600。無菌室からは出られない。月曜の採血結果まで動きはない。無菌室から出られなくなって明日で3週間。今日も漫然と一日が過ぎていく。
12月 2日 日曜日
本当に何事もなく一日が過ぎていく。天気はいいようだが、そのぶん寒いのかもしれない。日曜日の無菌室は普段と変わる事がない。今日から夕食をキャンセルした。もちろん無菌室から出られるわけではないが、買い置きのカップ麺でしのぐことにする。いつもおかずは手つかずなのでもったいないのでそうする。早ければ明日ぐらいから買い物に行ければいいのだが・・・熱は平熱が続き、だるさもなく、穏やかな日々が続いている。
12月 3日 月曜日
採血の結果、白血球数1800。思ったより(私はこんなものと思っていたが)数値が上がっていなった為マルクは水曜へ延期。退院の判断は木曜となる予定だ(私は土曜までだめだと予想しているが)。よって退院はぎりぎり今週中か、遅くて来週早々となるのではと思う。しかし一応院内フリーにはなる。午後、外来患者が少なくなってきたところで1階の売店へ。パンやタマゴを買う。夕食はレストランでビーフカレー。
12月 4日 火曜日
夜、少し熱があがる。37.3°。一時的には38.0°までいった。明日の採血に影響するか。症状としては熱のみ。明日の採血の結果次第でマルクを行うか決めるとのこと。あまり期待せずに待とう。
12月 5日 水曜日
今日も雲ひとつない晴天。採血。CRP値がやはりあがっている。午後にマルク。結果は明日。マルク結果と合わせ、金曜日の採血結果で退院を決めることに。
12月 6日 木曜日
今日も晴天。熱が治まって、36度台をキープするようになった。今朝食以外は売店食である。病院食は朝だけ。夕方、外来患者が少なくなってくる時間に一階の売店に買い物に行っている。巷ではインフルエンザが流行りはじめているらしい。気をつけないと。病院はそういう病気の人達が集まるところなのだから。明日(これを書いているのは7日早朝なので実際は今日)の採血結果で全ては決まる。
12月 7日 金曜日
朝採血。血液検査の結果も順調に回復し、昨日のマルクの結果も「寛解」が維持されているとのこと。9日の退院が決まった。2ヶ月と9日間の入院で今回は終わることとなった。だが「再発」の危険を孕んだ退院である。今回はたまたま抗癌剤が効いてくれただけにすぎない。「再発」。それがいつなのか。一週間後の検査で「再発」しているかもしれないし、一年後かもしれない。これだけは私にも医師にもわからない。神のみぞ知るである。「ガンと付き合う」生活が待っている。今回は私のわがままで「移植」ではなく、抗癌剤治療のみとした。そのことについては病院側の理解と配慮に感謝すると共にお礼を述べたい。ありがとうございました。そして静かに応援してくれていた友人知人達にも感謝したい。ひとまず未来へ希望がつながった。
12月 8日 土曜日
昼前、入院以来入りっぱなしだった中心静脈カテーテルが抜かれる。これが外されると、病院から出られるという実感が湧く。午後は荷物整理。なんだかんだ言って荷物が多い。段ボール2つにバッグ2つ。さっそく来週14日には外来が予約されしばらくは再発の影に怯えながらの生活となるだろう。そしておそらくいつの日か再発することは避けられないのだろう。夜テレビドラマで「半落ち」を観る。ドラマの核に「急性骨髄性白血病」が大きなウエイトを占めるドラマである。入院最終日にこういったドラマを観るのも何かのいたずらなのだろうか。
12月 9日 日曜日
今日が退院日。2ヶ月と9日間の入院となった。いつまで「寛解」でいてくれるのか不安はつきない。しかし、前には進んでいかなければならない。
12月10日 月曜日
昨日は友人の協力で荷物を病室から運び出し、友人の運転する車で帰宅。途中昼食でうな重を食べるもやはり味が違う。入院で衰えた体力と血液もまだ完全に元気な時よりは衰えているせいで、階段の上り下りでも息が切れる。両親も歳はとっているが、比較的元気だ。友人としばらく話し、別れたあと自室に戻り、入院前にはずしていったパソコンの電源周りを配線する。病院で使用していたノートパソコンからデスクトップへデータを移す。夜は父のつくった夕食で退院を祝う。しかし、ここでも味覚がおかしくなっていることを実感。今週14日には検診の予定。今回2ヶ月半と前回に比べると短い入院でしたが、それには個人的な事情がからんでいたからである。医師とも相談し決めたことです。
12月15日 土曜日
14日、退院後の初検診。まだ数値的に低いものがいくつかあるがとりあえず大丈夫とのこと。血液の戻りが若干遅いようだ。しかし油断はできない。前回再発の連絡も検診から4日後だったからだ。考えてもどうにもなるものではないが、やはり少し不安だ。上記の件と関連しているのであろう、階段を昇るのが辛い。家の10段程度の階段でも息が切れる。退院当初に比べれば日一日と良くはなっていると感じるのだが・・・次回の検診は28日である。
12月18日 火曜日
数日前から咳と鼻水がとまらなくなっていた。今日医者に行き、風邪の診断をいただいた。薬を処方してもらう。寒さに油断していた。
12月25日 火曜日
やっと風邪も治まってきた。今いる実家の父が暖房嫌いで部屋の中にいても外と温度があまり変わらない。自衛策として室内でも外と同じように着込んで生活している。それにしても寒い。24日に光ケーブルの工事。やっとダイヤルアップから抜け出し、快適なインターネット環境に戻れた。
12月31日 月曜日
今年2007年も今日で終わる。2006年、2007年と白血病の年と言ってもよかった。仕事らしい仕事もできず、再開しはじめた途端に再発し、中途半端な形で終わってしまった。病気がこれで終われば言う事はないが、この先も続く可能性はかなり高いと考えざるを得ない。正直現在はこれからの事をまったく考えてはいない。考えられないと言ってもいいのか・・・年の終わりの言葉が愚痴になっている。ここでお詫びをひとつ。2008年は一通も年賀状を出さないことをお許し願いたい。書いていただいた方々には申し訳ないのですが・・・理由はお察しいただければと思います。勝手な理由ですがご理解いただければ幸いです。2008年も厳しいと予想しています。特に1月、2月は厳しいものになることが・・・乗り切れるのでしょうか・・・