白血病闘病記

leukemia Fight against illness







白血病闘病記ー2008年 再々発 入院・治療 4月

2006年10月寛解退院後、2007年10月再発・入院。2008年再々発後の記録になります


4月28日    月曜日

朝、友人の車に乗せてもらい病院へ。手続きや荷物の整理で午前中は終わる。昼食後、院内の床屋で丸坊主にする。マルクとCVの挿入。終わってすぐに夕食となる。今回は現在のところ4人部屋なので写真などは撮らないことにする。消灯時間の前に医師から今回の治療方針等の説明がある。まずは出来る限りの寛解を目指し、その後臍帯血移植をする予定とのこと。ただ今までの抗癌剤の蓄積などもあり、寛解導入時に様々な障害が予想されるのでそれを見ながら進める方針。障害とは具体的に言うと心不全などの心臓への障害、その他肺、腎臓、肝臓などへの障害。特に心臓への負担が高いらしく、寛解導入時にこの徴候が現れた場合はミニ移植へ変更することも考えられるとのこと。「命がけの治療になります」という言葉が全てを物語っているのかもしれない。

4月29日    火曜日

今日は世の中も病院もお休み。治療等もなくベットの上でボーッと過ごす。明日から抗癌剤による再寛解導入療法がはじまる。午後はさわやかな晴れとなった。

4月30日    水曜日

抗癌剤治療開始。プレドニン→ナゼア→キロサイド→リンデロン液→生理食塩の順で点滴。これを午前と午後くりかえす。少しボーッとしている程度で辛さはいまのところない。食事も食べられている。









白血病闘病記ー2008年 再々発 入院・治療 5月

5月 1日    木曜日

抗癌剤2日目。特に症状は出ない。前回までの副作用が嘘のようだ。

5月 2日    金曜日

抗癌剤3日目。午前中部屋移動。一般個室に。差額ベット代は90日間かからない。90日経過する前には無菌室移動となると思う。今回副作用があまり出ない事がいいことなのか、悪いことなのか・・・とにかく寛解にならなければ前進できない。部屋移動と抗癌剤治療で少々疲れた。今日から抗癌剤が追加。「ミトキサントロン」。青いインクのような前回も使ったものである。

5月 3日    土曜日

朝から雨。少し手足にシビレと、軽い吐き気を感じてきた。しかしまだ食事はほぼ普通にできている。朝食だけパンにしているのだが、これにみそ汁が付いてくるミスマッチ。しかもパンにつけるものが何もない。今は連休中だからどうにもならないようだ。とりあえず売店でジャムを買ってきてしのぐことにする。

5月 4日    日曜日

今日も天気が良くない。抗癌剤投与は今日の午前で終わり。後はじわじわ効いてくるのを待つのみ。明日血小板の輸血をするようだ。今回ほんとに副作用が少ない。食事も食べられているし、ひどい吐き気もない。抗癌剤に対して耐性ができてしまったのだろうか。集中力が今ひとつなく、本はまったく読んでいない。もっぱらDVDを観るか、音楽を聞いているか。とりあえずはマイペースで行こう! 

2008/5/4
無菌2008

5月 5日    月曜日

これを書いているのは6日朝だが、少々辛くなってきた。吐くまではいかないがむかつきがとまらない。熱も微熱だが37、5度。何日かこの日記お休みするかもしれませんがご心配なく。

5月 7日    水曜日 

むかつきにガスターを処方してもらう。熱は37、5前後をうろついている。これはこれで慣れてきたのか辛いという感じではなくなった。ただ食事はもう一割ほどしか食べられない。やはりあの独特の臭いが鼻につく。プラスチックを暖めた時の臭いとでも言えばいいのか。プチ脱走して弁当買ってきてしまった。8日未明の地震がすごかった。

5月 8日    木曜日

CRP値が5までいっているとのことで抗生剤の点滴。それまで37度前後だったが点滴をはじめると38度を突破。その後冷やしてすぐに37度まで戻る。食事ができなくなってきたのでカップ麺買い出しにいく。明日からは夜だけカップ麺にしてみようと思う。

5月 9日    金曜日

午後から夜にかけて38度になるようになってきた。今日の夕食から夕食だけカップ麺でいくことにする。「緑のたぬき」と「赤いきつね」時々やきそばというローテーション。病院食のおかずはまったく食べられないが、こういったのは食べられる。おそらく味が濃いからなのだと思う。病院食は健康には配慮され申し分ないのだが、味覚に異常が出る患者には食事が苦痛になってしまうことも考えるべきだろう。楽しく食事ができることは入院、特に長期になる者にとっては必要なことだと思う。それからこれは個人的なことで申し訳ないのですが、私が入院してから私の実家へ郵便物を送られた方がもしおられましたら、それらが私の元へ来るまでは約一ヶ月かかるとお考えください。これは高齢の両親に極力見舞いをさせない為です。ご理解いただければと思います。

5月10日    土曜日

午後から雨。土曜日の病棟は静かなものである。白血球数が400程まで落ちている。少しの目眩とふらつき、味覚異常。症状としてはそんなものであろうか。熱も今日は37、4までしかあがらなかった。感染の危険はあるのでほとんど病室からは出てはいない。今回本を読もうとする気にならない。音楽やDVDを見て過ごすことが多い。

5月11日    日曜日

雨である。静かな日曜日。午前と夜の2回、抗生剤を点滴するだけだが、自由に動き回れる訳ではないので結局終日病室で過ごす。やたら眠くなるのでよく寝る。無為に日は過ぎていく。

5月12日    月曜日

曇り空だが雨は降っていない。一日があっと言う間だ。特に何かしている訳ではないのだが。そして無理に何かすることもないと思っている。

5月13日    火曜日

医師から今回の移植に臍帯血を2種類混合で使わないかと説明がある。理由は私の体重あたりの臍帯血から採取できる細胞量が一つではギリギリであることと、2種類混合法はアメリカで実績をあげ、最近日本でも厚生省から認可された病院のみではじめられた方法とのこと。メリットとして移植時の細胞量の確保とデータとして再発率が低くなるというデータもあるそうである。移植後生着するのは結局どちらか一つになるそうだ。もともとある移植に関するリスクがなくなる訳ではないが、2種混合のデメリットはほとんどないとのこと。より確実な方法を選択するしかない。医師の説明を聞き、即断した。
※ 文中「2種類混合」と表記しましたが、これは正式な呼び方ではなく私の勝手な命名です。

5月14日    水曜日

昨日の2種類混合、正式には「複数臍帯血移植」というのだそうです。味覚異常は相変わらず。今は一日一食は「緑のたぬき」か「赤いきつね」でしのいでいる。常温で保存できて味がしっかりしていて、レンジでチンするだけか、お湯を注ぐだけのものって考えてみるとカップ麺関係以外ではあんまりないんですよね。今は朝と昼は病院食でパンにしているのだが、おかずがおもいっきりご飯のものなのだ。みそ汁、焼き魚、煮魚とパンという組み合わせ。一応何とかならないのと抗議はしているのだが改善の兆しいまのところない。現場を見ないからこういうこと平気でしちゃうんでしょうね。

5月15日    木曜日

いま友人にも探してもらっているのだが、常温保存でお湯又はレンジのみでできるご飯系食品をご存知の方いましたらお知らせください。冷凍だと結構あるのだが、常温保存のものはあまりないようなので・・・さすがに「緑のたぬき」と「赤いきつね」のローテーションだけだとあきてきそうだ。今日は血小板の輸血。アレルギーが出たので途中かゆみ止めをはさんで5時間程かかってしまった。このところ朝5時前には目が覚めてしまうせいか、夜は9時頃には眠くてしかたなくなる。病院生活的には問題ないけれど、なんだかなぁ~

5月18日    日曜日

このところ39度代の熱を一日3回程くりかえしていた。好中球などがない状態なのが原因だろうとのこと。抗生剤の点滴はしているがそれでも熱は治まらない。まだ続いている。

5月19日    月曜日

新しい抗生剤が追加になる。でもいまのところさほど効果はなく、かえって頭痛がひどくなる。しばらくは様子見か。

5月20日    火曜日

今日は朝から台風の影響で大雨。と言ってもここ(病室)ではほとんど音も聞こえないのでサイレントの映画を見ているようだ。雨は昼前にはあがってしまった。今日から抗生剤のメロペンが一日3回、トブラシン一回が基本となるようだ。今日はこれに赤血球に輸血がプラス。今のところ熱は37、2までしかあがっていない。効果が出てきたのか。みなさんから食事に関する情報を掲示板やメールでいただいている。本来なら病院側で工夫してもらえば済む事なのだが簡単には変わらないようだし、少しでも入院ライフをストレスの少ないものする為には自分でやるしかないようである。情報をお寄せいただいた皆様には感謝いたします。ありがとうございました。いずれ食品を実食した際にはここで報告したいと思います。夜少し不思議な感覚を感じたので記述しておく。

(超常現象的なことが苦手な方はこのあと読まないでくださいね)。

夕食も終わりベットに横になっているときのことである。夕食の直前まで赤血球の輸血をしていて、その際のアレルギー止めのせいだと思うのだが妙に眠かった。西側に向いた窓に背をむけまどろんでいたその時、急に背中から人が私の体の中に「入って」こようとする感覚に襲われた。それは何となく女性のように感じたのだが、明らかに「いい者」ではないという感覚がする。すぐに振り払おうとすることが何故かできず、「それ」からくる嫌な感覚が首のあたりまできたときに「このままではいけない」「何か囁かれたらいけない」と体を動かすと「それ」の存在は一瞬にしてなくなってしまった。薬が見せた幻覚なのか・・・ただ「入って」こようとするその「者」の手のひらの感触は生々しくのこっている・・・

5月21日    水曜日

快晴。トプラシンのせいなのか少し頭痛がするくらいで熱も上がらなくなった。白血球数もまだ正常値ではないが900まであがってきた。好中球もたちあがってきている。様子をみてマルクをし、「寛解」になっていていれば心臓の調子なども考慮しつつ場合によっては移植に進むこともありえると医師から話しがある。どちらにしても私自身は「まな板の鯉」なのでおまかせである。一度ぐらい外出して気分転換したいけど、どうなるかは体次第というところか。

5月22日    木曜日

昨日の夕方突然部屋が変わった。無菌室への引っ越し。特に私の病状が変わったとか移植になるとかではなく、完全に他の患者さんの為の移動である。また移植前には一旦無菌室から出なくてはならない。この病院では今毎週移植予定が入っているらしく、無菌室のやりくりが大変なようだ。私のように中途半端に元気だと頼みやすいのかもしれない。でも無菌室だと、テレビは無料だし冷蔵庫、レンジ、お湯も使い放題になるので助かる。

5月23日    金曜日

無菌室3日目。白血球数は1100。明日父と兄が見舞いにくることになっているのだが、父に弁当をリクエストした。卵焼きとウインナ炒めだけでいいと言ってあるのだが、心配になり夜電話すると・・・ウインナだけは炒めて準備してあるとの返事。80になろうとする父・・この季節にそんなことしたらどうなるかがわからないのだ。ましてや私はまだ普通の状態ではないのに・・私が入院生活を何とか一人でのりきろうとしている理由もご理解いただけるのではないだろうか。

5月24日    土曜日

結局卵焼きとウインナにはありつけなかった。土日は採血もないので、病気に関しては何も動きはない時。皆、思い思いに1日を過ごす。病院の1日で一番長く感じるのは昼以降の時間。何故か今回本にまったく集中できないので携帯をいじったり、テレビをつけてみたり、音楽を聴いたり・・そんなことしながら夕食の時間になり・・・夜はDVDで映画の時間。(20年前の結核入院の時はラジオしかゆるされなかったが)そしてまた朝を迎える・・・そして繰り返し。病気にはならない方がいい。

5月25日    日曜日

午前中は雨と風。木が激しく揺れている。ニュースによると外は暑いらしいが、この3週間病棟から一歩も出ていないので実感がない。アイソレーターとエアコンのたてる風と音のみが部屋を満たしている。明日は採血の日なので何か動きがあるかなぁ。

5月26日    月曜日

白血球数は1300。残念ながら院内フリーにはならなかった。洗濯いきたいなぁー。髪の毛は9割方抜けた。明日で入院一ヶ月。

5月27日    火曜日

午後にマルク。結果についてはまだ報告なし。明日は心エコーの予定が入っている。そして明後日はまた部屋移動。同じ無菌室内の移動とのこと。入院して1ヶ月あまりの間に3回移動したことになる。今後も移植の前処置に際して移動が予想されるので後数回はあるだろう。現在、熱は37度を越えることはなくなった。許可をもらって1階上まで洗濯しに行ってきた。たった1階分の階段が少々辛かった。

5月28日    水曜日

明日のはずだった部屋移動が今日の午後になり、既に新しい無菌室でこの日記を打っている。新しいと言っても私はこの病院にある6部屋の無菌室の内5部屋まで使ったことがあり、今の部屋も前回の退院時にいた部屋。だから特に目新しさもなく違和感もない。いつのまにか「無菌の達人」と呼ばれたりして(笑)医師から院内フリーのお達しが出る。今後のスケジュールに関しては来週決定するとのこと。既に私に合う臍帯血は見つかっており、福岡から来ることもわかった。夜、外来患者さんのいない時間に買い物へ。アイスを買って食べる。美味しかった。来週まで、つかの間の自由を謳歌させてもらうつもりだ。楽しみにしていた「河童のクゥと夏休み」のDVDが届いた。まだ勿体なくて観ていない。思い出一杯の映画・・・

5月29日    木曜日

今日は「看護の日」とのことで夕方「ナイチンゲール祭」というのがありました。3~40人の看護学生さん達が手に蝋燭を持ち、歌を唄いながら病棟をまわる。蝋燭の優しいオレンジに包まれた廊下と合唱の声が美しい。実は私はこの病院で2006年にも見ている。前回は無菌室の窓越しだったが、今回は廊下で間近で見る事ができた。(2回見ていることにはちょっと複雑な思いもありますが・・・)夕食は一階上にあるレストランでナポリタンを。売店で「スパ王カルボナーラグラタン風」を買う。明日試してみよう。

5月30日    金曜日

明日で5月も終わり。もう入院して1ヶ月以上が経ったのだと思うと早かったなと感じる。昨日の採血結果では、白血球数が1800。何だか以前に比べて戻り方がゆっくりしているようにも感じる。このところ天気がハッキリしない。もう梅雨入りしたところもあると聞く。季節を肌で感じることができること・・・そんな当たり前のことがこうして入院しているとものすごく貴重なことなのだと思い知らされる。長年自由に生きてきた身には尚更そう思える。今日は結局レストランでカツ丼を食べてきた。なんだかんだ言いながら結構今は自由か(笑)

5月31日    土曜日

どんよりと曇った空。雨も降っているようだ。無菌室の窓は部屋自体のものが2重になっていて、更に面会用の廊下の向こうに窓がある。つまりガラスの枚数で言うと3重になっている訳です。だから外の音は全くと言っていいほど聞こえません。サイレント映画の世界。少し脱線しますが、映画は今当たり前のように「音」を持っています。ですが映画はその初期、「音」を持っていませんでした。技術的に持てなかったのです。映画史的な事件としてフランスのルミュエール兄弟が映画を初めて興行した時の一本に列車が駅に到着する模様を写したものがありました。もちろん音はありません。しかし、映画というものを初めて観た観客は自分達に向かって走ってくるその列車に驚き、逃げ出したといいます。純粋にその動きに驚かされた訳です。映画はその後手品師だったメリエスという人物により「手品」や「魔術」の延長として観客を集めました。メリエスはいわゆるトリック撮影や編集を考えだし、観るものを驚かせました。そして簡単な物語を語るようになっていったのです。やがてこの「物語る」ことのために編集が進化し、観客の心理をも動かせることに気付いていくのです。みなさんも一度、テレビの音を消してみてください。「セリフ」や「効果音」がない世界。きっとドラマなどそのほとんどの内容がわからないはずです。しかしそうして観ていると表情や動き、編集である程度お話しがみえてくることがあります。それはきっと役者さんがセリフという「音」だけでなく、体や表情で表現しているからなのです。たまには「サイレント」も面白いものです。








   

白血病闘病記ー2008年 再々発 入院・治療 6月


6月 1日    日曜日

点滴も一切なく、1日3回の検温のみが病院との接点。しかし、今日の採血結果もふまえて今後の方針を決めるとのことなので早ければ今日中にも変化があるかもしれません。夕食にスパ王カルボナーラを食べてみました。これが美味しい。麺のモッチリ感といい味といい、ちょっと驚きです。さっそく売店に行って今度はたらこ味の物とゲットしてきました。電子レンジだけであれだけのものができるんだからたいしたものです。

6月 2日    月曜日

今日、関東が梅雨入りしたそうである。病院にいるとエアコンの世界なので温度や空気で季節を感じることができません。でも、夏の暑さは苦手なのでそれだけはラッキーかも(笑)最初の入院の時も春から秋の終わりぐらいまでだったけれど、今回はどうなるだろうか・・・今後の治療方針に関してはまだ報告がない。しばらく様子見かもしれない。白血球数は2100。夜、テレビで「WATARIDORI」を観る。確か前回の入院時にも観ているのだが、一体どうやって撮影しているのか鳥たちの姿が間近に捉えられている。詩的な美しい作品である。また感動してしまった。

6月 3日    火曜日

今後の方針が決まった。今月末の移植に向け、来週から検査、前処置(抗癌剤・放射線)を始めることになりました。順調に行けば26日前後が移植日となりそうです。とりあえず来週までは院内をぶらぶらできるかな(笑)また部屋移動がありそうなのでその方が大変かも。何せ荷物が多いもので。

6月 4日    水曜日

今日は青空が広がっている。採血結果、白血球数2700。ぼんやりとしているとあっという間に1日が過ぎてしまう。選択を迫られるのは夕食に何を食べようか?ぐらいなもの(笑)暇なのだが、何かをしようという気にも今は正直ならない。無理をせず、あくまでマイペースで行こうと思う

6月 5日    木曜日

梅雨空模様。最上階にあるレストランのラーメンだけは結構いけることを発見。カップめんでも食べられるので今まで食べないできたが今回初めて食べてみた。しかし何回も書いてしまうが、今回本を全く読めない。自分ではマイペースでいるつもりでも、動揺や不安はこういった部分に現れているみたいだ。だからといって無理にページを開いても内容が入ってこないだろうし。今の状況で余裕なんかあるわけがないのだから、それが自然なことと居直るしかない(笑)

6月 6日    金曜日

午後には雲がなくなり、青空が広がる。穏やかで静かな日々が続いている。判で押したような生活だが(笑)朝採血があり、白血球数は2400。水曜日より下がってしまったが、骨髄の回復を示すデータは順調なようなので心配はないとのこと。

6月 7日    土曜日

朝、雲はあるが天気は良さそうである。今日も特に治療の予定はない。しかし1日が経つのが早い。ボヤボヤしているとあっという間に夜になっているという感じがする。忙しい訳でも何かに集中している訳でもないので、これはいったいどうしてなのだろうと考えてみるのだが。そんな原因を考えていること自体が暇な証拠だとこの日記を打ちながらあらためて思う。落語のような日々であります。

6月 8日    日曜日

さぁ、明日の採血結果はどうなるだろうか。今日も特に変わったこともなく1日が過ぎていった。自分が病人なのを忘れそうである(笑)あっ、でも脱毛だけは進行中。もうすぐツルツル近し(笑)秋葉原では大変な事件がおきているようだ。一人の通り魔によってなんの罪もない人が7人も命を落としたという。私も何度も歩いた場所である。自分の知っている場所で何人もの人が犠牲になる事件が起きようとは。テレビでは「環境デー」とかで「エコ」をデーマに番組が組まれていたが、何だかそれも虚しくなるような事件だ。環境だけでなく人の心も確実におかしくなってきているだろうか。そして「命」の儚さも・・・

6月 9日    月曜日

今日はマルクが突然あり、ちょっと驚いた。いよいよ治療のメインイベントが始まるようだ。最初の発病からほぼ2年・・・色々あったけれど、これでいい方向へ行ってくれることを願うのみです。でも例えいい結果にならなかったとしてもそれを受け入れる覚悟はこの2年という時間が与えてくれました。仕事でもまだまだやりたいことはあるけれど、それなりに満足している部分はありますし、後悔はあまりありません。その時その時精一杯やってきたつもりです。さぁ、静かに闘いがはじまります。

6月10日    火曜日

今日おおまかな移植スケジュールを聞いた。明日の「呼吸器機能」検査をスタートに16日までは各検査。そして18日より前処置の放射線や抗癌剤スタート。26日に臍帯血移植。これから先は抗癌剤以外は未知の世界。初めて経験。移植後の副作用や拒否反応など、経験された方々の話しや書かれた情報には触れてきたのである程度覚悟はしている。果たしてこの日記も書き込むことができるかどうか・・・文字を打つのもしんどくなるかもしれません。しかし、万が一この日記が途絶えても心配はしないで下さいね。きっと遅くても数週間以内には必ず帰ってきます。

6月11日    水曜日

午前中に胸部レントゲンと呼吸機能検査。問題なく終了。白血球数も今日の段階で4200。正常値となった。今週になってグングン回復した。先日のマルク結果で「寛解」の状態であることもわかった。抗癌剤が効いてくれることに感謝。明日はヒックマンカテーテルの挿入がある予定。移植用の中心静脈カテーテルだ。説明によると、カテーテルが体へ入っていく部分が今は直接なのに対して移植用のそれは、皮膚を少し切開し、皮下を少し経由させてから中心静脈へ挿入するとのこと。感染予防効果を高めるのが目的とのこと。私的には「そんなに違うの?」という感じだが(笑)まぁ何事も経験(笑) 

2008/6/11
無菌2008

6月12日    木曜日

通常の中心静脈カテーテルからヒックマンカテーテルに付け替えた。血管造影室へ連れて行かれ、ちょっとしたミニ手術だった。このカテーテルの利点は感染予防効果。カテーテルを皮下に数センチ横へ走らせ、そこから静脈へ落とし込む。こうすることでカテーテルが体に入る部分と血管の距離をとるわけである。挿入部分は皮膚と一体化するのでシャワーも大丈夫とのこと。皮下にトンネル状のものを形成するためにパイプ状のものを埋め込む時が少し痛いかもしれない。ちなみに私は違和感程度だったが(笑)過去、スズメバチから同時に3カ所刺された経験があるのですが、私の人生の痛みMAXはいまだにそれでそれに比べたらマルクの痛みは5位くらいになる(笑)ヒックマンは10位くらいか(笑)明日は、腹部エコー、CT撮影、髄液検査(髄注)予定。病人らしくなってきました(笑)

6月13日    金曜日

午前中、CTと腹部エコー。午後は髄注。背骨に針刺すあれである。これで今週の検査予定は終了。後は月曜日の胃カメラを残すのみ。明日、明後日はのんびりさせてもらいます。髄注のせいか、少しボーッとする。夜テレビを見ながら寝てしまった。

6月14日    土曜日

父が見舞いに来た。母は足が悪いので家に残っている。父は車の免許を持っていないのでバス、電車を乗り継いで片道3時間かけてやってくる。「大変だから来なくていい」と言うのだが・・・少々認知症の母の為に食事は父が3食作っている。現代では珍しくない光景なのかもしれないが、老齢の父をできるだけ煩わせないように私は自分の事は自分でしていくつもり。それが今の私ができる唯一のことだから。「父の日」という言葉が重い・・・

6月15日    日曜日

前処置の為の部屋移動に備えて少し荷物を整理する。インスタント食品だけで段ボール2つ分。これに元からある荷物があるので大変だ。病室にある引き出しのついた台をそのまま移動できればいいのだが、無菌室のものは外へ移動できないのである。だから荷造りし直さなければならなくなる。ちなみにこの病院では前処置は一般病棟個室にアイソレーターを入れてとなる。ナースステーションからすぐ駆けつけられるからであろうか。今回、無菌から個室移動時は私も動けるのでいいが、移植の為無菌に戻る時は体が動くかどうか怪しい・・と、ここまで書いてきて、たかが荷物のことでなにをこんなに神経使ってるんだろうと馬鹿馬鹿しくなってきた(笑)こっちは生きるか死ぬかだというのに(笑)荷物どころじゃない事態なのだから(笑)

6月16日    月曜日

午前中胃カメラ。喉を通す時が苦しく、半泣きでした。午後、放射線治療室に呼ばれる。頭を台に固定するマスク作りと体へのマーキング、放射線治療の説明を受け実際に治療台にも寝てみた。実は私は日焼けマシーンのようなのを想像していたが、甘かった。まず治療台は不謹慎な例えだが「棺桶」の蓋がないものを想像してほしい。そこへ横になり、マスク状のもので台に頭が完全に固定されます。手は胸の前で組み、足は軽く開く。体勢が決まると「棺桶」と体の隙間に砂袋状のものを次々入れ、体はがっちり固定される。これも例えは悪いが半「生き埋め」状態。放射線照射時間は一回20分、準備など入れるとワンセット約40分とのこと。これを明日から1日2セット3日間続けることになる。耐えるしかない。

6月17日    火曜日

明日から放射線治療。不安でないと言ったら嘘になる。しかし、進み続けるしかない。

6月18日    水曜日

朝8時半と夕方4時の二回、放射線治療。夜、吐き気。喉の腫れ。自力歩行可能。熱37、2度。

6月19日    木曜日

朝夕放射線治療。吐き気ひどし。夕方は念の為車椅子で放射線室まで送り迎えしてもらう。食事まったくできず、点滴にて栄養補給。

6月20日    金曜日

放射線終了。倦怠感。吐き気。まだまだこんなの序の口のようだ。まだまだ辛くなっていくようである。

6月21日    土曜日

朝晩2回、キロサイド。明日まで。明後日からはエンドキサン。文字通り最後の抗癌剤だ。話しによるとこれがきついらしい。自分はとんでもない病気になっているんだという事を嫌でも実感させられる日々。こんなに辛い目にあわなければ治らない病気なんだと・・・吐き気。食欲なし。倦怠感 

6月22日    日曜日

食欲全くなし。栄養は全て点滴。今日でキロサイド終了。明日からエンドキサン。尿道にカテーテル。尿量が観察される。

6月23日    月曜日

午後、トイレで失神。気がついたら床に倒れていた。転倒の際、オデコを床にぶつけたらしく痛い。首も軽いムチウチの状態。大事には至らなかったが危なかった。一番最初の入院の時も同じ事があった。ヘモグロビン値が急激に低くなっていたせいだろう。貧血で失神したわけである。

6月24日    火曜日

エンドキサン投与2日目。時々猛烈な吐き気に襲われる。移植がうまく行けばこれが最後の抗癌剤投与となるはず。

2008/6/24
無菌2008
無菌2008

6月25日    水曜日

免疫抑制剤投与はじまる。尿道のカテーテルは抜かれる。無菌室へ移動。少々疲れる。

6月26日    木曜日

午後2時、複数臍帯血移植がはじまる。最初に凍結された臍帯血パックを見せてもらう。10センチ四方ぐらいのビニールパックに赤い臍帯血が入っている。触るとシャーベット状。医師から「凍らせる際に細胞を保護する薬品が混ぜられているため、体に注入してすぐに薬品の臭いを感じるはず」。凍った臍帯血が解凍され、カテーテルから体内へ。数秒後、濃いトマトジュースを飲み干した後のような感覚が少しする。最初の臍帯血の型はB+男性のもの。次のものはAB+男性のもの。つまり「生着」するまでは私本来の型も合わせて3種類が私の体の中でしのぎを削るわけである。もちろん臍帯血側に勝利してもらわないと困るのだが・・・開始から40分程で臍帯血移植は終了した。移植直後から全身の火照り、倦怠感が感じられた。1週間後と1ヶ月後に骨髄検査する予定。おそらく順調に行ったとしても、この1ヶ月後のマルク結果までは移植の成果は評価できないでしょう。

6月29日    日曜日

昨日から感じはじめた喉の違和感。ひりひりする感じ。それが次第に痛みに変わってきた。舌にも痛みが。つばを飲み込むのも痛い。とうとう口内炎がはじまったようだ。喋ることも難しくなってきている。

6月30日    月曜日

口内炎ひどし。熱も39度台を出すようになってきた。口内炎の痛み止めとしてモルヒネを点滴しているが、解熱剤を併用したときだけなんとかうがいや水を飲んだりできる。







   

白血病闘病記ー2008年 再々発 入院・治療 7月


7月 1日    火曜日

口内炎は相変わらず。痛いなりに安定してきている。試しに「フルーツジュース」を一口・・・喉と舌を酸味が刺激するのか痛くて飲めない。酸味と塩味は御法度のようだ。

7月 2日    水曜日

昨日と変わらず、昼前と夕方熱がでるのと喉や舌の痛みはず~っと。まだ先だが、今後食事や飲み物は赤ちゃんの離乳食を考えればいいそうである。

7月 3日    木曜日

午後、アイスはどうかな?と思い。売店で買ってきてもらう。ハーゲンダッツの緑茶から試してみる。完食はできたが、味が濃すぎるのと口の中でべたつく感じがあまりよくない。しかし気のせいかもしれないが、ほんの少し喉が楽になったような。

7月 4日    金曜日

今日は午前中熱が出なかったので「進歩したかな?」と思っていたのだが、残念ながら夕方から出てしまいました。移植の翌日から私の点滴台には輸液ポンプが常時稼動中。4台分のケーブルを捌きながらトイレや洗面をしているがこれが結構めんどくさい。もちろんバッテリーでも動くからケーブルを抜けばいいのかもしれないが、4台となるとそのほうがめんどくさい。夜、「ガリガリ君」ソーダ味を試す。さっぱりしているのも良かった。クリーム系よりシャーベットの方が今の私には良さそうである。

7月 5日    土曜日

夕方熱。38、6度。兄が見舞いにきたので、アイスを注文。かき氷のレモンとかち割り氷。かき氷をさっそく試すが、少々今の私には「甘すぎ」るも何とか食べきることができた。

7月 6日    日曜日

父がひょっこり現れる。これ幸いと下着と水を差し入れてもらう。夕方発熱。相変わらず白血球0状態。

7月 7日    月曜日

エコー検査で心臓が若干肥大していることがわかった。夜うがいをした後咳が続き動悸と息苦しさに襲われる。心電図で調べると鼓動の間隔に若干乱れが出ていた。昼頃と夜の2回発熱。今日は七夕。この病院で迎えるのはこれで2度目。ため息しか出ない。

7月 8日    火曜日

熱が昼前と夜に。特に夜は、39、8度まで上がった。

7月 9日    水曜日

熱が午前と午後2回。2回とも39、4~6度までいく。でも喉が少し楽になっているように感じる。

7月10日    木曜日

午前中マルク。昼から猛烈な寒気。39、9度まで行く。水を楽に飲めるようになった。

7月11日    金曜日

昼ぐらいから熱上昇。39、5度。白血球が現れたそうです。数値的には100。さぁ、いったい誰の白血球なのか・・・ミステリー

7月12日    土曜日

午前中医師が来て、マルクの現段階での評価を教えてくれた。今の骨髄内容の14パーセントが元来のもので、後は移植したものが活動し始めているようだとのこと。移植は順調に進行しているとのこと。後は「生着」のお墨付きまで耐えればいいのだ。安心したせいか熱も出ず。1日微熱~平熱で過ごせた。午後には仕事仲間が見舞いに来てくれて現状報告、買い物を頼んだり。夕方外を見るとひどい雨。景色が霞んでしまう程だ。夜は何だか眠れなくて、深夜劇場でポランスキー監督の「オリバー・ツイスト」観る。初見だったが面白かった。

7月13日    日曜日

熱に悩まされる事がなくなった。あと、舌の腫れがひいて固形物が食べられるようになればいいのだが・・・足のむくみがひどく、この春からこの病院に導入された廃用性症候群予防リハビリ運動プログラムに参加。エアロバイクとラジオ体操をはじめる。少し息が切れそうになることもあるけれど、何とか大丈夫だ。筋肉動かすことでむくみを軽くできれば一石二鳥なのだが。水は飲めるので、いくつか経口薬が復活。

7月15日    火曜日

少し体調悪し。何と表現していいのか、尿意は常にあるのに、おしっこがでない。眠れない。いらつき。苦しい。飲んでいた下剤の服用を中止したら楽になった。熱が38、8度。ロキソニンで解熱。だるくて何をする気力もない。

7月22日    火曜日

何とか頑張っていますが、今しばらくこの日記は不定期連載とします。勝手言って申し訳ありません。

7月30日    水曜日

ご無沙汰してしまいました。少々しんどい日々を過ごしておりました。まず御報告を。移植結果は100%の生着で成功しました。ドナーB+とAB+の内B+が生着し造血をはじめています。理想的な成功のようです。白血球数は現在4600で正常値になっています。無菌室からも本日脱出しました。後は体力と今ある熱との闘いを乗り越えれば退院となるでしょう。







   

白血病闘病記ー2008年 再々発 入院・治療 8月


8月 7日    木曜日

原因不明の熱。未だに続く。食欲なし。だるさもひどい。

8月11日    月曜日

先日から免疫抑制剤が点滴から飲み薬に変更になってから38度を越えることはなくなりました。しかし、この免疫抑制剤がえらく臭く、飲むのに一苦労ですが。今最大の課題は味覚異常です。食事が拷問のようです。唾液がほとんど出ていないことも辛さに拍車をかけます。

8月24日    日曜日

相変わらず、横になっていることが多い日々です。金曜日に久々のシャワーに挑戦しました。行きはよかったのですが、シャワーを終えた直後から息が上がり、結局帰りは車椅子。でも、横になって直ぐに落ち着きました。今回、だるさや味覚障害が続くのは私自身がフル移植のできる限界年齢だったことが少なからずあるというというのが医師の見解である。放射線治療や抗がん剤治療の影響を長く引きずることになりそうだ・・・赤ちゃんと同じように、つかまり立ちからやり直さなければならないのだろう。「アンヨは上手」(笑)







 

白血病闘病記ー2008年 再々発 入院・治療 9月


9月30日    火曜日

久々にパソコンを開いた。状況はあまり変わってはいない。それからこの闘病記を一時的に「掲示板」で行うことにします。そうすると携帯からでも書き込めるので。。

パソコンをたちあげる気力を失い、退院まで携帯から掲示板へこの闘病記を書き込んでいました。今やっと落ちついてきましたので、掲示板に書き込んだ内容をここへ移記しておこうと思います。思えば今回の入院に際しては「覚悟」をしていました。それは最悪の事態もありうるのではないかという意味の「覚悟」でした。幸い移植は成功し、今こうして居られることが不思議な気さえします。発病からずっと続けてきたこの闘病記が少なからず読まれていることも今回実感することができました。白血病は残念ながら風邪などのように消えてなくなってしまう病気ではありません。5年再発がなければ安心と言われていますが、他の病気の「治癒」とは意味が違っています。この闘病記は私の「生」の証として今後も継続していくつもりです。
2009年1月9日







   

白血病闘病記ー2008年 再々発 入院・治療 10月


10月 1日    水曜日

とうとう10月になってしまいました。どうやら入院中に四季を全て経験することになりそうです。状況は相変わらずですが、熱が38度を越えることはなくなりました。ただ最近薬を飲む時に吐き気におそわれるようになり、毎回数十分苦しんでいます。

10月 3日    金曜日

昨日からスプレー式の人工唾液というのを試しているが、正直気持ちのいいものではない。下手をすると、スプレー自体で吐き気がしてくる。まだ使いはじめたばかりで何とも言い難い・・・栄養の点滴がほぼ24時間あるのだが、その水分のせいなのだろう、昼・夜関係なく2時間おきにトイレに行きたくなる。眠りが浅くなってしまって少々辛い。今日はいい天気だ。

10月 4日    土曜日

今日は4人部屋に2人しかいません。ベットの一つは空いていて、1人は外泊中である。だからいつもより静かな朝でした。残っているのは私と耳の遠いおじいさんなので会話もなく、私はほぼ一日中本を読んでいます。

10月 6日    月曜日

朝から雨模様。体調にも気持ちにも特に変化なし。昨夜、看護士さんと話していて、過去に私とほとんど同じ経過の患者さんがいたそうである。自分だけじゃないと思うと何だか心強い。

10月 7日    火曜日

私の今居る病室からは景色の中にほとんど季節を感じることができません。考えてみると今回は外泊はおろか外出すら一度もしていません。話では朝晩は結構冷えるようですね。見舞い客があったのでレストランへ。コーヒーを飲んでみるも味はせず。泥水飲んでいるかのよう(笑)

10月10日    金曜日

味覚が改善したわけではありませんが、今日から朝だけ「重湯」をスタートです。できれば徐々に昼夜と増やしていきたいと思っています。

10月12日    日曜日

朝だけですが、重湯続けてます。熱が少し落ち着いてきました。腕からとっていたカテーテルが感染元だったようです。首からに差し替えた翌日、熱が上がらなくなりました。昨夜、少し吐いてしまいました。毎日同じ時間に気持ち悪くなるのですが、吐くまでいくのはまれです。幸いすぐに落ち着いてくれました。

10月13日    月曜日

静かで穏やかな連休です。何もしていないようで、1日がアッというまに過ぎるような気がします。退院に関してほとんど考えなくなりました。成り行きにまかせるしかないと思っています。

10月15日    水曜日

朝の重湯に加え、昼にヨーグルト始めました。ひとまず食べられています。

10月18日    土曜日

夕方の、ラジオ体操に復帰しました。体調的には上向いているのを自分でも感じます。私より一週間早く移植した人が今日退院します。私も頑張らねば。

10月19日    日曜日

夜、「もしかしたらいけるかもしれない」と売店で焼きそばを買い、試してみた。結果は一口でノックアウト。まったく焼きそばの味ではない。試みは失敗であった。焦ってはいけない。

10月21日    火曜日

昨夜は「豆腐」を試してみた。味がおかしく、全部食べることはできなかった。野菜ジュースは飲むことができた。病棟内にあるエアロバイクで運動再開。少しずつだが上向いてきている。

10月22日    水曜日

昨夜、突然物凄い目眩に襲われました。看護士さんには状況を伝えましたが、理由がまだハッキリしません。何だか不安です・・・

10月23日    木曜日

目眩について医師の見立てでは「良性のもので一時的なもの。やがて治まるだろう」というものでした。今のところ寝返りしたり、トイレに座ったりした時に目眩がきている。今日様子を見て改善がなければ、薬を検討するとのことです。

10月24日    金曜日

昨日から目眩用の服薬開始。今のところ変化はなく、目眩が続いている。体操とエアロバイクは休止している。

10月25日    土曜日

昨日、頭部CTと耳鼻科の検診。結論は「脳に異常はなく、良性の目眩で、やがて治まるでしょう」とのこと。「原因は特定できないが、有力なのは、耳石の中にある砂のようなものがリンパに流れ出したため」。「薬は気休め程度だと思って飲んでください」とのことでした。目眩は続いています。

10月26日    日曜日

昨夜は3時過ぎに目が覚めてその後眠れなかった。今日で入院6ヶ月となる。未だ、退院の目処はたたない。正直疲れた。何もやる気になれない。気力が出てこない。一体この先どうなるのだろうか・・・

10月27日    月曜日

本を読みたくなるとAmazonで探して注文していますが、色々と出てくる本の中にアウトドア関係の書籍を見つけて思わず注文してしまいました。キャンプなんて高校生の時以来していませんが、オートキャンプなら気軽にできそうです。いつになるかは分かりませんが、いつか行ってみたいなと憧れています。

10月30日    木曜日

今の状況を簡単に説明しておきます。現在、白血病、移植関連の治療はネオーラルの服薬のみとなっています。何事もなければ退院できる状況なのですが・・・しかし残念ながら味覚異常と唾液の分泌が無い為に食事がままならず、1日1000キロカロリー分点滴で補っています。つまり、この点滴が外れない限り退院はできないのです。今の状況で退院してしまえば、口にできるものがなく、すぐに栄養失調に陥るでしょう。先日からはじまった目眩もまだ改善の兆しがありません。唾液と味覚の異常については人にはなかなか理解しずらいようです。「ガムを噛めば?」何て人もいますが、そんなことはとっくに試しているし、唾液の出ない状況でのガムがいかに不味いものかは経験しなければわからないことでしょう。普通唾液が出ないなんて経験をしたことがあるひとなんていませんから、理解は難しいでしょう。







   

白血病闘病記ー2008年 再々発 入院・治療 11月


11月 4日    火曜日

左手の人差し指の爪が完全に新しい細胞のものに入れ替わりました。少し前から、爪が二段に分かれ、古い細胞の爪を押し出すように新しい細胞の爪が成長していたのですが、昨日自分でも分からないうちに古い爪が脱落していました。他の移植患者さんの書き込みから爪がとれるということは知っていたのですが、こんなにあっさりしたものだとは思いませんでした。痛みも全くありませんでした。他の指全てにもその兆候が見られますからいずれ全ての爪が新しい細胞製のものに置き換わるのでしょう。でも何だか、古い自分がなくなっていくというのも少し寂しい気がするのは感傷的すぎるでしょうか。だいぶ以前に観た映画ですが「転校生」のラスト、別れ別れになるふたりが自分だった相手につぶやく言葉「さよなら、俺・・・」「さよなら、私・・・」を思い出しました。

11月 5日    水曜日

昨日、隣のベットに60歳過ぎであろう方が入ってきた。奥さんと二人だったのですが、暫くして携帯で話しはじめました。もちろん病室の中でです。あまりに遠慮もなく話すので「すいません、外で話してもらえますか」と注意しました。最近感じるのですが、このぐらいの世代の人のマナーの悪さです。逆に若い人達の方が礼儀正しいし、遠慮というものを知っているように感じます。今の部屋では40代は私だけで、後は全員60代以上の方々ですが、入院してきて挨拶してきた人は一人もいません。私はこの部屋に入ってきた時にその時いた方々に挨拶しています。それが当たり前だと思うのです。常識のずれがあるのでしょうか・・・

11月 6日    木曜日

昨日から目眩が止まっています。まだ安心はしていませんが突然なくなりました。少し楽になりました。

11月 8日    土曜日

目眩も落ち着いたようです。後残るは、味覚関連の異常を克服し、口から食物を摂取し、栄養の点滴を外すこと。唾液を増やす薬を3ヶ月近く服用しているが、未だ改善の兆しなし。医師は漢方薬を次に試してみようと提案している。いずれにしても、まだまだ時間はかかりそうである

11月11日    火曜日

特に変化はありません。このところ読書量が増え、ここ一ヶ月で文庫・単行本合わせて30冊以上になっているのではないでしょうか。1日で2冊読んでしまうことが多いです。その中にはB級のグルメ関係の本がありましたがこれは少しでも唾液に結びつけばと思ってのことでした。今では携帯サイトのレシピ集等を時折ながめたりしています。

11月14日    金曜日

昨日、お尻のところに床ずれのような水疱ができてしまいました。寝ていてその部分が圧迫されると痛いです。7ヶ月近く寝てるんだから床ずれもできるよなぁ~って感じです。

11月15日    土曜日

お尻の水泡を医師に診てもらったところ「帯状疱疹」とのこと。すぐに点滴による投薬がはじまりました。夕方ぐらいから痛みが出てきて、夜はしんどかったです。何せ寝返りするだけでも痛い。・・・しかし、どうして次から次へと病気が出てくるのでしょう。まるで順番待ちしているかのようです。治るまでもある程度時間がかかりそうです。あ~憂鬱!!


11月17日    月曜日

昨日16日朝、熱が39・8度、血圧も異常に低いということで、一時的にナースステーション側の個室へ移動となりました。昇圧剤の点滴で落ち着き、午後には元の大部屋へ戻りました。点滴が一気に4種類になり、ポンプも3つついているので煩わしいです。今朝の段階で血圧もほぼ正常値になってきましたが、点滴は続いています。

11月18日    火曜日

血圧は正常値に戻りました。点滴もいつものように落ち着きました。お尻のできものは結局ヘルペスということになりました。かなり痛みがつよいです。

11月20日    木曜日

ヘルペス以外は落ち着いています。ヘルペスのできている場所がお尻の右側なので、寝返りをするたびに「イテテ!・・・」状態です。最近は退院してからどんな映像作品をどんな機材で撮ろうかなどと夢想しています(現実逃避ですけどね)(笑)

11月23日    日曜日

先日から、味覚・唾液対策として漢方薬の服用をはじめました。今のところ何の変化もありませんが、効いてくれるといいのですが。しかしこの薬滅法不味い。顆粒なのだが毎回吐き気と闘いながらの服用だ。

11月29日    土曜日

漢方薬を飲まなくなってから吐き気は治まりました。体質的に合わなかったのでしょう。しかしこうなると医学的な治療で味覚、唾液を復活させることは難しいということになり、残される方法は根性で食べる方法しかないようです。しかし、唾液の出ない辛さはなかなか人には理解してもらえないのが少し辛いです。







   

白血病闘病記ー2008年 再々発 入院・治療 12月


12月 1日    月曜日

12月です。今回入院してから7ヶ月以上が過ぎました。治療とのタイミングや点滴のためにまだ外泊はおろか外出すら一度もしていません。屋上や玄関前にはよく行くのですが、そこまでです。自らの連続入院記録を更新中です。

12月 4日    木曜日

お粥といなり寿司にチャレンジしてみました。結果は惨敗でした。お粥は一口食べて吐き気に襲われ、いなり寿司は薬のような不味さ・・・味覚は依然として改善されてはいませんでした。しかし、これでメゲることなくチャレンジは続けていくつもりです。

12月 5日    金曜日

昨夜、小さなバームクーヘンを食べることができました。唾液がでないので、水で流し込みながら何とか食べることができました。まだはっきりとは言えませんがバターや卵系のものなら何とかいけるのかもしれません。

12月 6日    土曜日

昨夜は厚さ2センチぐらいのカステラを食べることができました。バームクーヘンより食べやすかったです。

12月 9日    火曜日

移植後飲み続けていた免疫抑制剤ネオーラルが今日からなくなりました。これは私の勘ですが、これから味覚や唾液が戻ってくるような気がします。パウンドケーキとゆで卵、食べられました。

12月11日    木曜日

昨夜、病院内のレストランでスパゲティーナポリタンを食べることができました。約半年振りの食事らしい食事です。お腹一杯です(笑)

12月12日    金曜日

昨日、朝から寒気がして熱が40度を突破しました。そのおかげというのも変ですが、CVを抜きました。点滴から解放されました。しかしこれで栄養を点滴に頼ることができなくなり、益々食べることが重要になってきました。今現在は熱も落ち着いています。

12月13日    土曜日

昨日はいよいよご飯ものにチャレンジしました。ミニ天丼とかけそばのセットです。両方とも8割ぐらい食べることができました。味覚も100%というわけではありませんが、8割がた戻ってきています。あとは唾液がもう少し増えると嬉しいのですが。

12月15日    月曜日

その後も順調に食べています。ただラーメン、味噌ラーメンはまだ美味しさを感じることができず、ほとんど残してしまいました。やはり味覚・唾液ともに完全ではないようです。熱も36度台で安定してきました。

12月16日    火曜日

昨夜はカツ丼完食。天丼の時も感じたことだが、ご飯が少々「もっさり」する。これは唾液の量がまだ足りていないことが原因だと思われる。ご飯は唾液と適度に混ざってはじめて「ご飯」の味になるのだと知りました。

12月17日    水曜日

生姜焼き定食完食しました。退院に向けての検査が始まりました。今日はマルクの予定です。

12月18日    木曜日

昨日は久々にマルク。痛みの感覚も忘れかけていたので、少々緊張しました。結果は今朝の採血結果との総合判断となるようで今のところ聞いていません。昨夜はトンカツ定食食べました。午後、昨日の骨髄検査で気になる芽球が見つかり、今日再び骨髄を採取、外部の検査機関にて詳しく調べることになりました。結果は早くて月曜、遅くても水曜とのことです。

12月20日    土曜日

思いがけず今日骨髄検査の結果を知らされました。結果は100%ドナー細胞で、問題はないとのこと。聞いた瞬間、安心からか一気に力が抜けました。後、熱が高めなので、これを克服すれば退院できそうです。

12月23日    火曜日

熱は落ち着く方向ではありますが、夕方になるとちょっとした寒気を伴い37度台まで上がる傾向が続いています。しかしながら食欲は旺盛で、定食系は全部食べることができています。免疫力強化に良いと聞いたので「キノコ類」や「海藻類」を意識してとるように心がけています。

12月24日    水曜日

今日、退院のお許しがでました。26日に退院します。私にとってはこれ以上ない「クリスマスプレゼント」になりました。そして入院が4月26日で退院が12月26日・・・8ヶ月ちょうどとなったのにも不思議な縁(えにし)を感じます。夕食はしっかりたべましたが、クリスマスイブということでカップケーキをデザートに食べました(笑)。この手のものは別腹と信じ(笑)。

12月25日    木曜日

ほぼ荷造りも終え、一段落しました。本当に良い時期に退院となったことを実感しています。

12月27日    土曜日

昨日、無事退院しました。荷物が多くて大変でしたが8ヶ月振りに帰ってきました。まだ階段がキツかったり、まともなことはあまりできませんが時間をかけて回復に努めたいと思います。しかし寒いですね~(笑)

12月31日    水曜日

あと数時間で今年も終わり、新しい年がやってきます。今年のことを振り返ると、本当に色々な、そして人生の中でも大きな意味を持つ出来事がありました。その大半は病院での治療生活に費やしました。再発・抗癌剤治療・臍帯血移植・味覚障害その他の後遺症・・・幸い移植は成功しましたが、8ヶ月に及んだ入院生活は確実に私から体力も奪っていました。今は階段を昇るのもやっとですし、降りる時は一段一段手すりにつかまらなければならない状態です。味覚もまだ完全ではなく、正直食事が楽しくはありません。医師の説明では今後5年間の経過観察は必要で、特に移植後2年間は再発の危険が高いと聞きました。発病から足掛け3年、そのほとんどの時間を白血病に使ってしまいました。でも先のことは今考えても仕方ありません。今は「今」を考えるのみです。それが「明日」を迎えるということなのだと思います。体力がないと「やる気」にも影響しますから、ひとまずは体力の回復が最優先でしょう。先日8ヶ月振りに車のハンドルを握りましたが、その重かったこと・・・来年はどんな年になるのか。皆さん、特に同じ病気で闘っている方達に幸多からんことを祈りながら新しい年を迎えたいと思います。

  

○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・228 奇才ヘンリー・シュガーの物語 ロアルド・ダール 評論社



2009年 療養 へ矢印ー右




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