白血病闘病記

leukemia Fight against illness







白血病闘病記 2006年 療養 10月

退院後についての記録になります

10月17日    火曜日

退院後第1日目。何をしてもすぐに息が切れてしまう。食事以外の時はごろごろと寝て過ごす。荷物の整理などやろうという気力が出てこない。昨日退院時の注意として病院から聞かされた事を書いておこう、

○食事制限なし

○就業は様子をみながら半年~1年かけて徐々に復帰してください

○退院後約半年間は人ごみの多い場所をなるべく避け、庭仕事なども避ける

○免疫力(生まれてから獲得した)が元に戻るには半年~一年かかる

○退院後5年間再発がなかった時、白血病は治癒したと言ってもよい状態となる

就業に関しては、体調との相談だが半年~一年なんて言ってたら生活が出来ない。ある程度体調が戻ったところで復帰することになるのだろう。

10月18日    水曜日

病院から送った荷物だけでも整理しようかとおもったが、箱1つも整理しきれなかった。あんな単純作業でも息が切れるし、気力が続かない。食事以外は終日寝てすごす。病院がいかに至れり尽くせりであったか思い知らされる。家の階段昇り降りするだけでもつらい。入院で筋力が落ちたのと、ヘモグロビンが正常値になっていないせいであろう。何もやる気がしない。

10月19日    木曜日

食事の時以外起き上がる気力が出ない。終日寝て過ごす。何だか病人みたいだ(病人か!?)。

10月20日    金曜日

だるさはあいかわらず。例えて言うなら、病院にいた時よりも重力が1.5倍くらいに感じる。回復を待つ以外に道はない。

10月21日    土曜日

一人の人生の内で、結核と白血病、両方経験した人っているのだろうか?少なくても私は知らない。病気を糧にしてなどと軽々しく言う人もあるが、そんな人は一度も大病を経験した事のない人に違いない。病気はしないに越した事はないのだから。

10月22日    日曜日

以前お世話になっていた渋谷昶子監督が東京国際映画祭の女性映画祭でクロージング作品に選ばれる快挙を成し遂げました。オープニングの赤絨毯も歩いたそうです。「さっちゃん」というドキュメンタリー作品です。今月26日だそうです。お時間ある方は観て下さい。女性監督として日本ではじめてカンヌでグランプリを取った監督です。私は相変わらずの穀潰し生活で、黒い絨毯の上を歩いております(昔「黒い絨毯」という蟻の大軍がジャングルを食い付くす映画がありました)。

10月23日    月曜日

1.5倍だった重力が1.4ぐらいになったような気がする。二階への階段の昇り降りでもほんの少し息切れの程度が軽くなったような気がする。午後、退院のお礼状を半分ほど書く

10月24日    火曜日

重力が1.2ぐらいになった感じがする。階段の昇り降りで息が切れることはなくなった。何だかこの数日一日ごとに体調がよくなっているような気がする。後は外へ出てどうかだが、もう少し様子を見てからにする。今日は新宿の紀伊国屋で、昨年撮影していた「伊勢神宮」のお披露目上映会があったはずである。参加するのは当初からあきらめていたが、どうだったのだろうか。お礼状を書き終わり、父に投函してもらう。

10月25日    水曜日

久し振りの秋晴れ。昨日の寒さが嘘のように穏やかな一日。体調もいい。今ある症状は指先の痺れぐらいのものだ。これはあきらかに9月に投与した抗癌剤の副作用であろう。

10月26日    木曜日

暇なのでテレビを見る事が多いのだが、やたらと保険のコマーシャルが目につく。癌保険や入院保険というやつだ。今さら入れる訳もないのだが、自分が病気してはじめてわかった。癌治療にはそれそうとうのお金がかかる。サラリーマンでないぶん、こういった保険に入っておく事は必要なのかもしれない。後同じテレビに感じるのは、社会の中にある小さな違法行為を取り上げ、当事者にマイクを向け、そのやりとりを放送しているものが目立ってきている。これは完全に作り手が意図的に過剰な反応を当初から期待した作り方になっていて、正直一番無法なのは作り手であるメディアの側だと感じさせる。違法行為の当事者にカメラやマイクを向ければどういう反応が返ってくるかは誰でも予想できる事で、その当事者の過剰な反応を見せ物にして視聴者の感心をひこうとしている。例えばゴミの不法投棄などがあればメディア自らが規範となるように自分達でそれをかたずけるとか、交通トラブルがあるならば自ら交通整理するなどを見せるべきなのではないだろうか。それを当事者となる人や役所にいって「何とかしろ!」ともんくしかいわない。こういったメディアの姿勢が世の中を悪くしている元凶に思えてならない。メディアの無責任と驕りが目立つ。

10月27日    金曜日

指先の痺れはあいかわらず。しかし、体調はすこぶるいい。もう階段で息切れすることもない。おとなしくしているぶんには自分が病人だとは感じられない。月曜日ぐらいから少しずつ外へ出てみようかとおもう。来週は木曜日に退院後初の検診もあるので、せめて車で動き回れるようにしておきたい。

10月28日    土曜日

あたたかい一日。入院前と違うのは、そんな時着ている服で体温調整をこまめにするようになったことであろうか。以前はめんどくさがって風邪をひいたりしていたが、今はそんなこともない。

10月29日    日曜日

朝から降っていた雨も午前中にあがり、秋晴れの空が広がった。特に変わったこともなく一日が過ぎる。指先の痺れは相変わらずである。いつになったらなくなるのだろう。入院前にやっていた「伊勢神宮」の中学・高校生向けDVDが届く。モニターでちゃんとみたいので、荷物の片付けが終わってから見る事にする。

10月30日    月曜日

半年ぶりに車の運転。違和感はまったくなかった。何の不安もなく市役所と警察へ行き、運転免許の住所変更手続きを終える。午後は、引っ越し荷物の片付けを始める。5月末からほったらかしだったので約5カ月目だ。あらためて荷物と向き合う。当初は1ヶ月ぐらいかかるかもしれないと思っていたが、ゆっくりやっても1~2週間でケリがつくかもしれない。休み休みだが、さほど疲れもしないし、息があがるような事もなかった。

療養療養療養

10月31日    火曜日

本格的に荷物の整理をはじめる。はじめてみて分かったのだが、荷物の中身がわからない。病気が分かって翌日には入院してしまったので、四ッ谷の荷物整理を友人達に頼んだのだが、やはり自分でやっていないと細かい内容物がわからない。全て開封し中身をあらためるスペースがあればいいのだが、それもできない。これはやはり時間がかかりそうである。荷物整理に必要なものを車で買いにいく。本や書類の入った段ボールのいくつかは持ち上げることができないほど重い。道険しである。






白血病闘病記 2006年 療養 11月

11月 1日    水曜日

終日、荷物整理。特に変わった症状もない。出るゴミの量に閉口

11月 2日    木曜日

朝9時、車で病院へ向かう。35分程で到着。最初に採血を済ませ、病棟へ。医師や看護士さん達に御挨拶。みんな回復を喜んでくれる。大部屋の時同室だった人に会いにいくが気持ちよさそうに寝ていたので一度病棟を後にし、ケンタッキーフライドチキンを買いに(その人の大好物だという事は既にわかっていたので)。ふたたび病棟へ行き、お見舞いとして渡す。話しを聞くと痛みがひどいそうだが差し入れには喜んでくれた。11時半から診察。血液検査の結果は「順調に回復している」との事。あまり不安はなかったが、やはり安心する。白血球数6500、赤血球277万、血色素量9.7。赤血球、血色素量がまだ通常置より低いが退院時よりはかなり増えている(通常値は赤血球414~548万、血色素量13~17)。抗癌剤を投与しはじめた当初から気になっていた事に、顔の頬の部分が黒ずむ症状があったのだが、これは色素沈着とのことを聞かされる。次の検診は2週間後の17日。しばらくは2週間ごとに検診するようだ。1時少し前に病院を後にする。入院時、外出の時見つけた近くの中華料理屋へ歩いていってみたが休業していた。車で帰る途中、ラーメン屋へ入りラーメンとチャーハンを食べる。醤油系の味が戻ってきているようだ。美味しく完食。帰ってから荷物整理の続き。家具の配置と荷物整理を同時進行しなければならないのでパズルの様相を呈してきた。こっちの家具を配置するためにあっちの段ボールを移動し、と中々はかどらない。まぁ時間は腐るほどあるのでのんびりやるつもりである。

11月 3日    金曜日

終日荷物整理。今日はずいぶんとはかどった。家具の配置が終わり、これから段ボールの中身を出していけるようになった。早くDVDがモニターで見たい。指先の痺れは相変わらず。血液検査でコレステロールが高めになっていたので、食事を少し控えめにする。

11月 4日    土曜日

荷物整理。パソコンの設置を始める。夕方にはデスクトップ3台とも立ち上がる。インターネットに繋がらないので、申し込む。それにしても、入院中使っていた旧式のノートパソコンに慣れていたせいか、夢のように早い。ウインドなどもじつに軽快に開く。CPU性能で3倍近く差があるから当然なのだが、少しとくしたような気分。

11月 5日    日曜日

終日荷物整理。本の入れ場所と撮影機材の入れ場所を確保することが難しそうだ。四ッ谷の部屋の半分以下の広さなので当たり前なのだが、どうしようかと悩む。本は本棚1個分は捨てなければならないだろう。それにしても、洗濯機や冷蔵庫、机などを処分しておいてよかった。テレビでDVDが見られるようになったが、部屋の中がまだ未整理なので見られる状態ではない。指先の痺れは相変わらず。

11月 6日    月曜日

終日荷物整理。本棚の本は最後に整理しようとおもう。本棚2個分処分するのが目標。とりあえず、明日で全ての荷物を確認できるだろう。

11月 7日    火曜日

終日荷物整理。段ボール類は全て確認し終わった。とりあえずここで使わないものは出さなかったが、一応中身は全て確認した。残るは本や書類なのだが、これが入院時のものも合わせて段ボールで11個ある。本棚の整理をはじめ、捨てる本を選別するがなかなかはかどらない。指先の痺れ、少し弱くなる。

11月 8日    水曜日

本棚の整理がほぼ終わった。後は書類などの行き場所を確保し、小物を整理すれば終わる。しかし、段ボールや本の処分が待っているので、本当の終りはもう少し先になりそうである。

11月 9日    木曜日

午前中、車で父を病院へ送ったり買い物。前日にパンクした父の自転車を修理へ持って行く。午後、全ての必要な段ボール整理終了。これからはゴミ捨てとの闘い。

11月10日    金曜日

小物を整理。ケーブルテレビのSTBが来たのでさっそく設置。地上デジタルやBSハイビジョン放送が見られるようになった。夜、DVDを退院後始めて見る。やはりノートパソコンの小さな画面で見るのとは全然違う。今年の4月まで撮影していた「伊勢神宮」もこんなに綺麗だったんだと我ながら感心する。

11月11日    土曜日

朝から雨模様。雨の日は好きである。静かで物悲しい。6ヶ月半振りに壁掛時計に電池を入れる。4月で止まった時間がふたたび動き出す。部屋の片付けを終了。後は段ボール等の整理のみ。指先の痺れがかなりなくなってきた。もう普段は気にならないレベルである。

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11月12日    日曜日

晴天。カーテンを外し、洗濯。パソコンソフトの空箱が段ボール5個分あったので、段ボール1個分を残して後はつぶす。病院にいたころの書類を整理。夜は録りためたVHSテープを少し整理。気に入ったから録ったものたちばかりなので中々捨てる判断ができない。もう17年も使っているソファがあるのだが、埃も17年分たまっているようでどうにもならない。近々買い替えようと考えている。

11月13日    月曜日

ヒゲが二日もほおっておくとかなり濃くなるようになった。今は剃っているが、大分元にもどりつつあるようだ。抗癌剤は毛に出る。整理でいらなくなった本をBOOK OFFへ売りにいく。段ボール4箱分で2、700円也。ふとんをお日さまにあてる。気持ちの良い晴天。しかし気温は18°くらいと確実に冬に向かっているようだ。帰宅後VHSテープの整理。4箱あったテープを2箱まで整理。光ファイバー設置、22日に決まる。

11月14日    火曜日

気が付いた小さな整理をする。病院で記録していたノートパソコンのカレンダーデータをデスクトップパソコンへ移す。夜、昔8mmビデオに収録しておいた「わんわん忠臣蔵」を見る。今「宮崎アニメ」と言われているものが、これら東映動画の上にあることを再認識する。指の痺れ、軽微。

11月15日    水曜日

朝6時起床。不燃物のゴミ出し。もうほとんど部屋の整理に関してやることはない。デスクトップパソコンの住所録の変更作業。ふとん干し。そんなことをしているといつの間にか外は暗くなっている。日が短くなった。

11月16日    木曜日

明日朝捨てる予定の段ボール等を車に積み込む。バンの荷物室一杯になってしまった。しかしおかげで部屋の方はすっきりした。車で近くのショッピングセンターへ。髭剃りの替え刃などを買う。新しい電話番号が決まる。回線工事は来週。明日は定期検診。

11月17日    金曜日

定期検診で病院へ。血液検査の結果は順調で、後一歩でほとんどの値が正常値になりそうな気配。まだ低いのが、赤血球339(基準値414~548)、血色素量11.8(ヘモグロビン基準値13~17)、ヘマトクリット38.1(基準値41~51)。とりあえず不安要素もないという事で次回の検診は1ヶ月後の12月15日にとなった。前回は病棟を訪ねて、看護師さん達に挨拶したが、今回は2週間しかたっていないので遠慮した。

11月18日    土曜日

転居通知作り。夜、というか夕方、退院後はじめて食事作り。両親は共に70代半ばで母はもう随分前から食事作りは一切しないので、ここ数年食事は全て父が作っていた。スパゲティーナポリタンと野菜スープ。食事作りから解放された父は、碁会で全勝したそうである。当面、一日交代で食事作りをすることにする。日が短くなった。

11月19日    日曜日

昼頃から雨。デスクトップパソコンのデータを整理。後は特にすることもなくぼーっとして過ごす。雨が降るとこの住宅街も静かでいい。

11月20日    月曜日

午前中、宅急便にて光電話対応ブロードバンドルーターが到着。22日に終端装置の工事をすれば光通信が開通する。夜は野菜たっぷり豚肉の生姜焼き。キャベツにみずなをまぜたら美味しかった。父が78歳の誕生日。一日はっきりしない天気。寒くなってきた。

11月21日    火曜日

晴。大分寒くなってきた。本を読んだりして怠惰に過ごす。コーヒーがうまい。髭が一日で普通にのびるようになっている。抗癌剤剤は特に成長する細胞に攻撃するものらしく、癌細胞をたたくのはいいのだが、他の細胞も関係なく攻撃するので特に髪の毛などの発毛を疎外する。造血幹細胞も同じである。それが普通にのびるようになったということは、大分抗癌剤の作用も薄れてきたのだろう。指先の痺れもほんのわずかである。

11月22日    水曜日

光回線が開通。この半年以上、アナログダイヤルアップ並みのスピードだったので、目が覚める様な早さだ。パソコン4台とデジタルテレビ、そして電話がつながった。役所に用事のある父を車でつれていったついでに、父の畑に寄る。さやえんどうの苗を植える。夜は野菜たっぷり長崎ちゃんぽんをつくる。お腹一杯。

11月23日    木曜日

一日中曇り。夜になって雨。パソコンの調整。半年以上、セキュリティーなどのアップデートをしていなかったので、さっそくダウンロード。これでひとまず安心。後はぼんやり過ごす。

11月24日    金曜日

晴れ。父の買い物につきあう。インターネットなどで住所変更ができないものの手続きをする。病院で使っていた通信端末も最低の料金のコースに変更。解約しないのはまた使う日が訪れないとも限らない為。夜は、野菜たっぷり(またか!)煮込み風うどんを作る。自分で言うのもあれだが、美味しくできた。

11月25日    土曜日

晴れ。明日からしばらく天気が悪そうなので、布団を干す。お日さまをたっぷり吸い込んだ布団は夜その温もりが残っていて気持ちがよい。指先のしびれ、もうほんとにわずかである。。

11月26日    日曜日

車で本屋へ。ここは一番近い本屋でも、歩くと20分ほどかかる。退院してからまだそれほどの距離を歩いたことがない。雑誌を買う。昼食はサンドイッチを作る。夕食は五目御飯。みずなとレタスが余っていたので細かく切って入れる。夜半から雨が降りだした。

11月27日    月曜日

朝から雨。終日、パソコンに向かっていた。姉妹ホームページをリニューアルするつもりだ。入院前、編集していたプライベートのビデオも仕上げてDVDに書き出した。デスクトップが多少すっきりした。

11月28日    火曜日

終日雨がふったりやんだりのはっきりしない天気。風呂のリモコンがおかしくなったのでメーカーにきてもらい修理。父と食材の買い出し。夕食はさんま焼きと野菜クリームシチューを作る。市販のルーではなく一からクリームシチューを作ったのはこれがはじめて。ちょっと納得いかなかった。60点というところか。指先の痺れ、もうまったくといっていいほど気にならない。髪も鬚もいきおいがついてきている。

11月29日    水曜日

晴天。昨日買ってきた白菜を使って漬け物を作る為の準備。白菜を4つに割り。縁側で干す。漬け物作り初挑戦である。最近急激に迷惑メールが増え続けていた。それもメインで使っているアドレスでである。プロバイダーのフィルターやソフト自体のフィルターはそれ程効果がなく、どうしようかと考えていたのだが、今日思いきって変更することにした。まず、ソフト関連の会社に登録してあるアドレスを変更する手続き。これだけでほぼ半日を費やした。インターネットを始めた頃、掲示板等へ書き込む際、このメインのアドレスを使ってしまったのが原因だと考えられる。アドレスを自動収集するソフトも存在するらしく、そういったものにやられたらしい。幸いインターネットはMacでやっているのでウイルス等の被害は皆無であるが、これからは気をつけることにしよう。私のホームページにも私宛にメールを送れるようにしてあるが、そのアドレスの表示を画像ファイルにしてある。テキストで書き込んでしまうと上記の収集ソフトにひっかかってしうかもしれないからだ。まだ以前のアドレスも生きているので、関係者への通知はこの後やろうと思っている。

11月30日    木曜日

昼頃雨が降り出す。病院へ行く父を車で送る。迎えに行く頃には雨は上がる。母のリクエストによりクリームシチューを作る。今回はなかなかいい味になったと思ったら、最後に入れた鱈の臭みが出てしまい失敗。まぁ、食べられない事はない。アドレス変更のお知らせを送る。Amazonで「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツサウンドトラック」を買う。「戦国大合戦」、音楽だけでも泣ける。

○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・124 悪意 東野圭吾(講談社文庫)

・125 人間の幸福 宮本輝(幻冬舎文庫)









白血病闘病記 2006年 療養 12月

12月 1日    金曜日

12月である。今年も残すところ後1ヶ月。本当に色々とあった年であった。軽い貧血のような感じが数回したので夜も9時頃には床について寝る事にした。

療養
12月1日状況
療養療養
二ヶ月前            現在

12月 2日    土曜日

昨日あった貧血のような感じが数回ある。料理作りも今日は中止。先日つけた漬け物、浅漬けだが食べてみる。美味しい。初漬け物としては上出来ではないだろうか。(貧血症状、これを書いている3日朝現在では特になく、違和感も消えている)

12月 3日    日曜日

特に違和感も感じない。ただ大事をとって食事作りはしばらくお休み。VHSを整理するためにパソコンに取り込む、DVDにする為だ。ただソフトウエアエンコードの為、実時間の3倍程度エンコードにかかってしまう。まぁ時間はくさるほどあるので別に問題はないのだが、一日1本DVDにするのが精一杯だ。

12月 4日    月曜日

昨日エンコードしたファイル、ビートレートが高すぎて使えない事がわかり再エンコード。出来たのは結局夜であった。その夜、実家の電話に不審な電話あり。いわゆる「振り込め詐欺」である。電話に出た父の話しでは、向こうは最初に兄の名前を告げたそうである。「携帯を落として番号を変えた」と言ったそうだが、幸い父は声が違う事に気付き指摘すると、「風邪をひいた」「また後でかける」といって切ったそうである。困っている人を見て笑っているようなこんな輩がいる世の中になってしまったんだなぁ。

12月 5日    火曜日

午前中再び「振り込め詐欺」の電話がある。今回は私が出たのですぐにわかった。電話に出ると「おれおれ~(兄の名前)」と言ってきた。「あんた誰」と返すとすぐに電話は切られた。電話の設定がおかしかったので断言はできないのだが確かに兄の携帯番号で着信しているようだ。今度かかってきたら騙されたふりをして口座番号を聞き出して潰してやろうとおもう。その後ネットで調べるとIP電話や海外のサービスを使う事で番号の偽装は可能のようだ。ナンバーディスプレーを悪用した卑劣な手口である。たとえ本人からの着信であろうと信用はできないということだ。しかし、もっと恐いのは少なくても兄の名前とこの実家を結び付けるデータを詐欺グループは持っているという事。個人情報の管理は厳重にするべき時代になった。しかし、これが行き着くところはおそらく人を信用できない社会。考えなければならない。午後はアナログレコードをデジタル化。中学生の頃から買い続けたアナログレコードがおそらく300枚以上あるのだが、それをパソコンで録音、デジタル化し、CDに焼く。冨田勲の「展覧会の絵」など5枚を作業した。

12月 7日    木曜日

VHSの映画2本パソコンに取り込む。エンコード作業。体全体の体毛がどんどんのびている。病気前はけっこう毛深いほうだったが、またああいう風になってしまうのだろうか。そうなるとあのつるつるお肌が懐かしい。吾妻ひでおの本を読んでいて、ふと最後の発行日を見ると30年前になっている。本自体はさして時代を感じさせないのだが。物持ちの良さにしばしあきれる。

12月 8日    金曜日

昨日取り込んだ映画2本をDVDに焼く。続けてまたVHSの映画2本パソコンに取り込む。それだけで夕方になってしまった。あまり生産的とはいえないなぁ。夜、鼻水が出てくる。風邪かと思ったがすぐに治まった。寝る前に取り込んだ映画のエンコードを仕掛けて10時すぎには就寝。最近寝る前に吾妻ひでおの漫画を読返している。

12月 9日    土曜日

朝から雨が降り出す。雨が降ると町が静かになるので落ち着く。ここは住宅地なので子供の声や犬の泣き声でけっこう五月蝿いのだ。私の家の回りでは並んで7軒ぐらい犬を飼っているのだが、宅配や犬の散歩がとおりかかるとまるで「野性の王国」だ。特に神経質な犬がいて、近所に訪問者が来ている間中吠え続ける。その犬に対しては自治会からも文書で苦情をもうしたてたらしいのだが改善する気はまったくないらしい。こういう自分勝手な権利意識しか持たない低俗な人間が本当に増えてきているような気がするのだが、いかがなものであろう。だから雨が好きになる。今は食事作りは暫し休息。後片付けだけするようにしている。

12月10日    日曜日

お昼頃から晴れてきた。アナログレコード4枚をデジタル化。本棚や押し入れにあった本を整理。段ボール2箱分の本をBookOffへ。1700円余りで買い取ってもらった。暇なので、ムービーキャメラをメンテがてら出してみた。実に半年振りに、カメラを操作してみる。自分がカメラマンだった事すら忘れてしまいがちな状況なので、いい刺激にもなるかもしれないと考えての事でもある。このARRIFLEX(アリフレックス)キャメラは35mmフィルムの撮影機でムービー全盛の頃は劇映画、CM、ニュース、PR映画と大活躍していた。私が助手生活を始めた頃はまだ主流はフィルムだったのでずいぶんお世話になった。キャメラを眺めていてそんな昔の事に想いを馳せている。

療養療養
ARRIFLEX35 IICBV

12月11日    月曜日

朝から晴れ。布団をベランダに干し、1階、2階を全て掃除。車も洗車。レコードのデジタル化3枚。夜、昔NHKで放送された「キャメラマンの映画100年」を見ながら同時にパソコンに取り込む。しかし、病気について書くこことが何もない。いたって普通だからである

12月12日    火曜日

昼前から雨になる。静かだ。映画を1本デジタル化。配線を見直しているうちに夕方になってしまう。夜はさんまを焼く。いつの間にかさんまを焼くのは私の役目になってしまった。体調に変化なし。

12月13日    水曜日

午前中は晴れていたが、午後は雨。父と車で買い物。昨日の映画をDVDに焼く。特に体調に変化なし

12月14日    木曜日 

明日は一ヶ月振りの検診。今月のはじめにあった少しのぼせたような症状が気になっているので、実は少々不安である。再入院なんてことにならなければいいのだが・・・

12月15日    金曜日

8時前に家を出る。9時病院到着。血液の採取。病棟に顔を出し看護士さんに挨拶。検査結果は特に問題なし。今月頭にあったのぼせた様な感覚は、入院が長く、抗癌剤などの影響もあって、血圧の調整がまだうまくいかない時があるのではという事だった。まだ低いのが、赤血球395(基準値414~548)。血色素量13.3(ヘモグロビン基準値13~17)、ヘマトクリット42.5(基準値41~51)と基準値の範囲に入った。次回検診は1月12日となった。退院から今日で丸2ヶ月。とりあえずのりきった。

12月16日    土曜日

ビデオのエンコード作業。話は専門的になるが、今までMP2にエンコードする時2PASでやっていたのだが、元素材がVHSなのであまり意味がない事に気がつく。1PASでエンコードすればエンコード時間は30%ほど速くなる。何もしない日が続いている。あるサイトにあった「ストレスチェック」というのをやってみたら「すぐ医者にかかれ」というレベルになってしまった。退屈である。暇である。

12月17日    日曜日

終日エンコード作業。しかし、毎日毎日こんな事でいいのだろうか・・・あせるのは良くないとおもいつつも、いらだってしまう。だがどうにもならない事も分つている。この日記も病気に関して書く事がほとんどなくなってしまった。そろそろ一区切りつけたほうがいいのかもしれないなぁ。

12月18日    月曜日

父のお供で買い物に。座椅子を下見。野菜。米。エンコード作業の続き。このところ、魚中心の食事。来月の検査結果が楽しみ。「認知症」のテレビ番組を見る。私も仕事でだが実際認知症の取材をしたことがある。人ごとではない。

12月19日    火曜日

頼まれていたDVDを郵便局にて発送。今日はエンコードもアナログレコードのデジタル化もお休み。何となく一日が過ぎていく。夜、夕方5時から9時まで前の家の犬が吠え続けてうるさく、いらいら。

12月20日    水曜日

ホームページのトップページを改修。大分コンテンツが増えたのでボタン領域を広げる。午後はインターネットで調べもの。前の家はどこからか苦情がきたのか、犬を室内へ入れたようだ。静かな夜が戻ってきた。

12月21日    木曜日

映画4本、パソコンに取り込む。犬の騒音、昨日はたまたまだったようで、今日は夕方7時くらいから10時すぎまで断続的に鳴きわめいていた。私のいる2階の真ん前にあたるので、音がかなり響く。音は上へ上がる性質があるので特にだ。この家の住人は少しおかしく、家の前で出会うと黙って背中を向けて移動していく。子供介した付き合いはしているようだが、お隣を含めた近所の人と挨拶しているのを見た事がない。自分勝手な一家である。子供も相当けたたましい。週末になるとトラックでやってくる年寄りがいるのだが、四六時中外でたばこを吸いながら咳を繰り返している。一度車を家の駐車場の前に止めていて車が出られないので注意するまで、数年間平気で家の駐車場の前に車を止め続けた鈍感な人間だ。人を思いやれる感情の欠如した一家である。。

12月22日    金曜日

昨日エンコードした4本のうち1本がダブってエンコードされていて明日やり直し。設定ミスであろう。母の病院にお伴。朝9時から11時半ぐらいまでかかる。場所が場所なのでマスクを着用。帰りは一緒にご飯を食べて、買い物にも付き合う。母は脚が少し悪いので疲れたようだ。。

12月23日    土曜日

エンコードのやり直し終了。昨夜、相変わらず前の家の犬がうるさいのでカーテンを開けて、夜3時まで明かりをつけておいた。今日の朝、眼の家の主人と母親らしき人間が外でばたばたと掃除をはじめたので私も外へ出てこれ見よがしに掃除をはじめる。もちろん挨拶はない。私は通りかかる人でも眼が合えば挨拶するが、前の家はそれもない。ところが掃除も終わりかけた頃、その家の嫁さんとおぼしき人物が「犬がうるさくてすみません」と向こうから言ってきた。私も「そうですねと」と。「捨て犬でまだ子供の犬との事」。犬なのだから鳴くのは当たり前だし、まして子供の躾の出来ていない時期ならばいたしかたないのも理解出来る。だがここは野中の一軒家ではないのである。ひとまず「お互い様の部分はありますが、犬がうるさいとは思う」という事と「現在白血病で療養中」であることは告げた。こちらもいい歳をして四六時中仕事もせずに家にいるので、病気の事は言っておいた方がいいだろうと考えての事だ。今の状況は少々不審がられても仕方がない。ひとまずそんな事で夜は昨日程ひどくはなく、許せる範囲であった。この日記は白血病の闘病記であり、療養記でもあるのだが、こんな日常の事しか書けない状況である。こんなの意味あるのだろうか? 

12月24日    日曜日

先週、お笑い芸人さんが白血病が原因の肺炎で亡くなった。そのニュースを見たとき、初めて「白血病」だった事を知ったのだが、何故か「やはりそうだったのか」という思いにとらわれた。一度退院してからの再発のようで人事ではなかった。なんの根拠もないのだが、最近白血病が増えていないだろうか。自分が病気になり関心があるからそう感じるだけなのだろうか。静かなクリスマスイブである。

12月25日    月曜日

車で外出。年賀状の事をすっかり忘れていた。年賀はがきを購入。その他プリンタ用品なども買う。母から頼まれた座椅子も購入。帰って年賀はがきのレイアウト。一日がたつのが早い。

12月26日    火曜日

午前中から雨。けっこう激しい降りだ。年賀状の印刷を開始。午後には刷り上がる。傘をさしてポストへ。傘をさしたのは9ヶ月振りぐらいではないだろうか。何だか小さなときめきが。傘に当たる雨音が心地よい。冷たい空気が肺に入る。体の中に確かに感じる冷気。生きているからこそ感じられる。生とはこんなことなのかもしれない。そしてこんなことを幸せと感じられるのは人間だけなのかな。無菌室から見た雨は無声映画のように、「映像」でしかなかった。菌だけでなく、音も無い部屋。寂しい部屋だったんだなぁと今にして思う。雨は素敵だ。

無菌室

12月27日    水曜日

父の買い物につきあう。豪雨と強風の一夜が明けて、台風一過のような日本晴れ。高校生の頃作った自主制作映画と映画学校時代の作品をエンコード。映写画面をビデオカメラで再撮影した素材なので画質はよくないが、逆に映写機のフリッカーが「映画らしさ」を醸しだしているのかもしれない。高校時代に40分と85分の作品2本を作ったのだが今にしてみれば工夫のない構成だが、言いたい事はストーレートに伝わっているような気がする。「映画青年」という言葉があったが中学生の頃から「映画」しかない生き方だったと今更ながら思う。DVDにした後、高校時代の友人に送ってあげようと思う。

12月28日    木曜日

風邪の強い一日。自主映画のDVDパッケージをつくり、友人のところへ発送。銀行の住所変更がまだ終わらない。変更届けを最初出したのが11月の末なのだが以前の住所の表記中「~ビル」と称していたものが登記上は「~ハイツ」だからだ。以前住んでいた建物の外には「~ビル」と表記していた。あの不動産屋と家主共々、まともではない。引っ越しの時もリフォーム代金の過大請求等があったが、いまだに悩まされるとは。変更届けを書き直して投函。後気になっているのは郵便の配達が以前に比べ、遅くなっているような気がしてしょうがない。今の時期だからという訳ではなく普段からである。以前はがきや封書は近県宛ならば投函後翌日か翌々日には配達されていたと思うのだが、このところ3~5日ぐらいかかっているような気がする。気のせいだろうか。

12月29日    金曜日

昼過ぎまで強風が続く。買い物のお手伝い。VHSのデジタル化で、パソコンにキャプチャーしたファイルの音声がずれる。原因を特定した訳ではないが数日前から異音を発するハードディスクに入れていたので原因はその辺が関係しているのではないかと思う。数年前、やはり異音を発するハードディスクが突然昇天してしまった事がある。ちょうど納品しなければならないデータが入っていて、その納品日の前日だった。頭が真っ白になったのを覚えている。結局何とか約束の時間をずらしてもらい、全てやり直して納品した。あの時発していた音と同じである。データ復旧サービスなるものもあるようだが、100%直る保証もなく、しかも数十万円はかかるようだ。皆さんもハードディスクの異音には要注意。少しでもおかしいと思ったら大事なデータは他のディスクにバックアップする事をお勧めします。仕事のデータだったら異音とかも関係なく常にバックアップしておく事が大切です。音ズレが2本も出て、合計で8時間は無駄にしただろうか。しばらくデジタル化はお休み。

12月30日    土曜日

父と正月用品の買い出し。どこも人であふれている。もうすぐお正月。もしかしたらお正月を迎える事もできなかったかもしれないと思うと現代の医療とそれにたずさわる人々に感謝。昨日の音ズレ、ハードディスクの断片化が原因のようだ。ファイルを他のディスクにコピーしたら正常に再生された。コピーしたファイルを元のディスクに書き戻してみたが、やはり音ズレはない。このところデジタル化作業で何十ギガものファイルを書き込んだり消したりを繰り返していたのでそれが原因だろう。メインのパソコンにハードディスクを増設。OSをインストール。メインで使っているOSが最近少し挙動がおかしい事があるので踏切った。いままでの環境はそのまま温存し、新しい環境へ徐々に移行しようという作戦だ。Macは起動ディスクを簡単に切り替えられので助かる。いまメインのマシンには4台ハードディスクが載っているが、そのどれからもブートできるようになっているので緊急時は本当に便利だ。

12月31日    日曜日

2006年も今日で終わる。今年はまさに病気の年であった。それもこれ以上はないというくらいの重病。正直病名を告げられた時は「死」を覚悟した。幸い治療が順調に進んだからこその今日である。しかし、完治のない病気でもある。入院中は病気と闘う事で集中できるが、これからは「再発」におびえながらの生活になるのだ。一体どちらが楽であろうか・・・昨日書き忘れたが、半年振りに湯船に浸かった。今日も入ったが、特にのぼせるような事もなかった。やはり風呂は気持ちいい。体は使っていないから疲れはないが、精神の疲れがお湯にとけていく。湯気で白く煙った浴室の中、ぼんやりとしているのが心地よい。これも生きていればこそ味わえる感覚。「死」とはまさにこの「感覚」の停止。死ななかった意味、生き残った意味・・・今あるのは生きて2007年を迎えられる事への感謝のみである。大晦日、CS放送で「ウルトラQ」全話放送がある。今このときに私の原点とも言える作品と共に2006年を終わろうと思う。

○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・126~128おろち1、2、3 楳図かずお (秋田コミック)※再読

・129~130恐怖1、2 楳図かずお (秋田コミック)※再読 

・131    ぶつぶつ冒険記 吾妻ひでお (東京三省世社)※再読 

・132    海から来た機械 吾妻ひでお (奇想天外社)※再読

・133    ぱるぷちゃんの大冒険 吾妻ひでお (ぱるぷ)※再読

・134    贋作 ひでお八犬伝 吾妻ひでお (奇想天外コミック)※再読

・135    魔女にあイブ 吾妻ひでお (秋田コミック)※再読

・136    ハイパードール 吾妻ひでお (秋田コミック)※再読

・137    ミニティー夜夢 吾妻ひでお (秋田コミック)※再読

・138    チョコレートデリンジャー 吾妻ひでお (秋田コミック)※再読 

・139    自己の探究 中村元 (青土社)※再読 

・140    映画撮影とは何か 山口猛 編 (平凡社)※再読

・141    映像を彫る 撮影監督宮川一夫の世界 改訂版 渡辺浩 (パンドラ)※再読

・142    円谷英二の映像世界 完全・増補版 竹内博・山本眞吾 編 (実業之日本社)※再読

・143    殺しの四人 仕掛人・藤枝梅安(一) 池波正太郎(講談社文庫)

・144~171人間交差点1~27巻 矢島正雄作 弘兼憲史画(小学館BIG COMICS)※再読











白血病闘病記 2007年 療養 1月

1月 1日    月曜日

明けましておめでとうございます。昨夜の大晦日は布団の中で本を読みながら年越し。特に正月らしい事もなく一日が過ぎる。夜テレビで黒澤明の「赤ひげ」を見る。何度見たかは覚えていないが、また感動。今回は直接パソコンに取り込む。現在エンコード中。

1月 2日    火曜日

「赤ひげ」がDVD1層では収まらなくなってしまった。それで初めて2層のプロジェクトで作成。パソコン上では切り替えポイント等もうまくいったのだが、2層用のメディアの値段を調べると一枚で7〜800円する。VHS整理が当初の目的なのでなんだかもったいないような気がしてきた。2層対応のハードは随分前から使用しているのだが、まだ一度も2層で焼いた事がない。経験として2層に挑戦する意味はあるのだが、せこい話ではあるがもし失敗したらと考えてしまう。悩む。午後兄夫婦がやってきて家族が揃う。お正月。もしかしたらこんな事も体験できなくなっていたかもしれないと思うと感謝の気持ちがわいてくる。無事に年をこせたんだなぁ。

1月 3日    水曜日

明け方雨が降ったようだ。朝雨戸を明けると道がぬれている。どことなく空気も暖かい。朝7時前には朝食を食べ終え、コーヒーを入れながらこの日記を書くのが日課になっている。コーヒー豆を挽いていると、あの何とも言えない豊かな香りが部屋にあふれるあの時間が好きだ。たっぷりと2杯分。一日の中で一番落ち着く時間かもしれない。午後はパソコンをいじっているうちに終わる。

1月 4日    木曜日

やっと一枚DVDが出来た。年末にOSを新しく入れ替えたのでその調整に手間取っていて今になってしまった。退院してから急激に太ってしまったので少し前から食事の量を制限している。今はほとんど運動らしいこともしていないので当然と言えば当然の結果。前回の血液検査の結果でもコレステロールが増えていた。少し自重しなければ。

1月 5日    金曜日

アナログレコード5枚、CDに焼く。CS放送で「ピンクレディーの活動大写真」を観る。当初は何気なく観ていたのだが、撮影がいいので思わず全部観てしまった。レンズの選択がいい。と思っていたら最後のエンドロールで「撮影 稲垣涌三」の文字。当「短編映画製造計画」でもおなじみのあの稲垣さんだった。ちなみに監督は「小谷承靖」あの「ゴキブリ刑事」の監督である。「中野稔」さんも合成で頑張っていた。

1月 6日    土曜日

インターネットの調子が悪いのでルーターやハブを初期化し再設定。インターネットの調子が悪いのでルーターやハブを初期化し再設定。結局原因はハブの接続ケーブルの一本がループしてしまっていた事だったようだ。先月メインのメールアドレスを変更したのでユーザーIDとログインIDが別になってしまっているのも原因を特定するのを遅らせていたようだ。夜、デジタル化しながら「キネマの天地」を観る。山田洋次の作品の中では話題になることも少ない作品だが、主人公の父役の渥美清がいい。無法松の一生の松五郎を病弱にしたような設定だが、実に細かい芝居をしている。やはり稀有な役者さんだったのだなぁと改めて関心し感動させられた。水野晴郎ではないが「映画って、ほんとにいいもんですね」。

1月 7日    日曜日

今日は「山椒大夫」を観る。監督溝口健二、撮影宮川一夫。安寿と厨子王の説話である。別れ別れになった親子のものがたり。数十年の時間がよどむ事なく流れていく。観る者はそのゆったりとした語り口にただ身を委ねていればよい。親が子を、子が親を、兄が妹を、妹が兄を思う。ただそれだけを見つめていればよい。「まだ人が人としてめざめていない頃のお話」のとおり人買いや奴婢など、地獄のような時代。観る者はそんな時代を生きる親子を通じ自然と「人として」の自分を見つめはじめる。兄を救う為に命を捧げる妹。妹や奴婢を助けようとする兄。遠く海を隔てた島から子供たちを思う母。ものがたりが具現化し体験となっていく。そして最後ぼろぼろになって親と子が再会する姿に、深い共感を持って感動するのだ。

1月 7日    日曜日

今日は「山椒大夫」を観る。監督溝口健二、撮影宮川一夫。安寿と厨子王の説話である。別れ別れになった親子のものがたり。数十年の時間がよどむ事なく流れていく。観る者はそのゆったりとした語り口にただ身を委ねていればよい。親が子を、子が親を、兄が妹を、妹が兄を思う。ただそれだけを見つめていればよい。「まだ人が人としてめざめていない頃のお話」のとおり人買いや奴婢など、地獄のような時代。観る者はそんな時代を生きる親子を通じ自然と「人として」の自分を見つめはじめる。兄を救う為に命を捧げる妹。妹や奴婢を助けようとする兄。遠く海を隔てた島から子供たちを思う母。ものがたりが具現化し体験となっていく。そして最後ぼろぼろになって親と子が再会する姿に、深い共感を持って感動するのだ。

1月 8日    月曜日

黒澤明の「どん底」。つっかえ棒でやっと建っている木賃宿に吹き溜まった人々。彼らも建物同様、嘘や世の中への反抗というつっかえ棒がなくては生きていけない。左卜全演じる遍路姿の老人が彼らのそんな心を表出させる。人は例えそれが悪い事でも、夢がなければ生きては行けない。酒毒で五臓六腑をやられ、大好きだった台詞すら忘れてしまった者に老人は言う、「人間、好きなものがあって辛抱できるんだから」と。演じる役者達が凄い。名傍役達が揃っている。左卜全をはじめ、三井弘次、千秋実、清川虹子、根岸明美、東野英治郎、田中春男、渡辺篤、上田吉二郎、藤原釜足・・・香川京子、三船敏郎、山田五十鈴、中村鴈治郎・・・最後、酒によって始まるセッションが凄い。生きようとする人間の力。「こん、こん、こんちきしょう」「こん、こん、ちきしょう、こんちきしょう」「こっちはおけらだすってんてん」・・・どん底へ落ちた人間がそれでも人間でいようとする物語。

1月 9日    火曜日

今日はがらっと趣向を変えて「黄金バット」。いつでも何が可笑しいのか笑っている。ただの死体じゃないかと思うなかれ、これが滅法強い(相手が弱すぎ?)。しかし特撮は結構よく出来ている。特撮監督は上村貞夫。監督はあの「吸血鬼ゴケミドロ」の佐藤肇。この話私が学生時代に作った「怪彗星おむすび」に似ている。当時この作品は未見であったが、ようするに誰でも考えそうなお話という事か。娯楽作品としてはよくできていると思う。特筆すべきは沼田曜一の怪演が光っている。

1月10日    水曜日

夜は「私が愛したウルトラセブン」。13年前にNHKで放送されたドラマである。ウルトラセブン制作時の円谷プロが舞台になっている。アンヌを田村英里子、ダンを松村雄基、金城哲夫を佐野史郎、円谷英二を鈴木清順が演じている。脚本は市川森一。ベトナム戦争、沖縄にゆれる時代の中でウルトラセブンというテレビドラマを作る人々の思いを描いた2部作3時間の作品。特に脚本家金城哲夫のエピソードが印象に残る。自身が沖縄の出身者であり、セブンと宇宙人、ウルトラ警備隊と宇宙人の対立を描くうちにウルトラ警備隊が自衛隊に、セブンがアメリカ第七艦隊に、ベトナムが宇宙人というように感じられてしまい苦悩する。本土に何度も侵略された沖縄人の血が流れていることがセブンをただのヒーローに描く事を躊躇させはじめる。ついには作品の中で「ウルトラ警備隊の馬鹿やろう!」と人間に滅ぼされた民族の魂に叫ばせてしまうこれらはほとんど実話のようだ。金城の関係者達が表した書物の中でもこの金城の苦悩は語られる。私が仕事で沖縄を訪れた時、この金城家の経営する料理屋で食事をした事があり、その時金城哲夫を知る家族(記憶ではお姉さんだったはず)にお話を聞く機会に恵まれた事がある。金城家は沖縄では知らない者のないほどの旧家で相当に裕福な家だったようだ。料理屋も金城家をそのまま店にしたもので、広大な土地に立派な木造の家が建てられていた。金城自身があの時代本土の学校で勉強できたのもそんな背景があるからだろう。しかしそのことも彼には「本土でぬくぬくと生活している場合ではない」という思いを抱かせたという。そして「沖縄の為に働きたい」という思いが彼を沖縄に戻らせた。金城は後に沖縄海洋博推進の中心人物となり、海洋博は日の目をみた。がしかし成功とは言えなかったその博覧会で深く傷つき、晩年はアル中のようになってしまったという。最後も自殺のような死だったらしい。しかし、沖縄の為にという思いは達せられなかったかもしれないが、彼が創造した「ウルトラQ」、「ウルトラマン」そして「ウルトラセブン」は私も含めて金城と同じ時代子供だった者達にメッセージを残した。それは受け取った者の人生を変えてしまう程、強烈なものであったと思う。金城哲夫を忘れる事は出来ない。

1月11日    木曜日

「ウルトラマンをつくった男たち」。TBSで作られたドラマ。昨日の「私が愛したウルトラセブン」に比べると「特撮に夢を賭けた人々」の物語としてストーレートに描いている。が、演出に冴えはなく、役者さん達も空回りの演技。特撮に関心のある者しか引き込めない内容だと思う。現場の人間達の苦悩をそのまま描くだけで深みがない。どうしても登場人物が薄っぺらくなってしまっている。情熱を声高に叫ぶ台詞で表現してしまっている。物語る事を忘れ、エピソードだけでつながっていて感情が伝わらないのだ。ドラマは難しい。ドキュメンタリーは人物そのものの持つ魅力で引っ張っていく事もできるが、ドラマは一からそれを作り上げなければならない。シチュエーション(事態や状況)の嘘はいいが感情が嘘をついていると観客はついていけなくなってしまう。

1月12日    金曜日

定期検診。午後の予約なので、昼前に家を出る。実は気になる事がまったくない訳ではないので少々緊張している。着いてすぐに採血。1時間以上待ってようやく順番がきた。結果は何も問題なし。ほっとする。全ての血液データが基準値に入った。白血球68(基準値33~81)、赤血球434(基準値414~548)、血色素量(ヘモグロビン基準値13から17)、ヘマトクリット44.9(赤血球容量基準値41~51)、MCV103.5(平均赤血球容積基準値87~102)、MCH32.9(平均赤血球色素量基準値28~34)、MCHC31.8(平均赤血球色素濃度基準値31~34)、PLT22.0(血小板数基準値14~31)。4月からだからほぼ10ヶ月振りに正常値になった事になる。長い道のりでした。夜、「どですかでん」を観る。黒澤作品の中ではあまり話題にならない作品だが、私は何故か好きだ。数えた訳ではないが20回以上は観ているだろう。この作品も「どん底」と同じく役者達がいい。特に伴淳三郎が秀逸。足を引きずり、時々おそう引きつけにもかかわらず、穏やかで朗らかで。山本周五郎の原作「季節のない街」の季節とはなにか。単純に四季がないという事だろうか。私は思う。それは変化しない、つまり普遍という事ではないだろうか。舞台は、バラックといっていい家ばかりの街で一般の空間とは切り離されている。そしてそこには悪もあるし、善もある。裏切りもあるし、泥棒もいる。姦通もあるし、純愛もあるのだ。つまりそれは人間の社会そのものであるということにはならないだろうか。何千年も同じ過ちをくりかえす人間という生き物達。そのミニチュアが「季節のない街」なのではないだろうか。

1月13日    土曜日

ちょっと考えている事があって、オークションでデジタルカメラを5000円で落札した。同じカメラを後最低2台、合計で3台揃えようと思っている。そのカメラはオークションで人気もなく。競り合うような事もなく手に入れられた。実はこのカメラ、動画をやる人にとっては興味ある機能があるのだ。考えている事というのは今は秘密にしておく。結果が出してからにしたい。しかし、発売当時の価格は8万円のカメラがたった4、5年で5000円なのだから世の中の進み具合は早いものだ。昨日、検診の前に気になる事があると書いたが、それは耳鳴りがするという事。入院中もしていたし、実はこの病気になる以前もしていた。医者に一応相談すると、あまりひどいようなら耳鼻科へという話だった。

1月14日    日曜日

朝からいい天気。以前人からもらった望遠鏡キットを出してきて、部品のあれこれを組み合わせたりしてみる。以前から「虫の眼レンズ」に興味があって、自分でも作れないだろうかと思っていたからだが、なかなか一筋縄ではいかないようだ。細かい工作ができる機械があれば何とかなるかもしれないのだが。あれこれ考えているうちに夕方になってしまった。夜はホームーページの手直しをする。

1月15日    月曜日

HDのことを調べる。入院前にも調べていたのだが、人から頼まれた事もありまた調べはじめている。一口にHDといっても、民生用のHDV、AVCHD、業務以上のDVCーPROHD、XDCAMーHD、HDCAMと様々だ。このなかでHDVが売れているようだ。しかし発売当初から疑問だったのだが、このHDVは以前のDVと同じテープに同じ時間収録できるようになっている。これはデータ量としてみればDVとHDVはまったく同じという事になる(実際そうだが)。ちなみにHDCAMーSRのデータレート440Mbps(これは1秒に記録するデータ量の事)だがHDVは25Mbpsである。実にHDVの18倍のデータをもっている事になるわけだ。これらを同じ「HD」と称していいのだろうか。しかしモニターで御覧になった方なら分かると思うが、あきらかにDVよりHDVの方が画質がまさっている。これが意味するのは圧縮技術の差があるという事だ。DVは1フレームごとに画像を圧縮、記録しているが、HDVは15フレームを1つの単位として圧縮している。そうしてこの15フレームのうちの1フレームにデータを集中させ後は徹底的に圧縮する。そうやって高画質を実現している訳である。確かに見た目は高画質なのだからいいじゃないかと思われる方もいると思うが、はたしてそうだろうか。弊害はその圧縮方法にある。映像編集は1フレームを単位として行うものなので、このMPEG技術の映像は一回1フレーム単位に戻してやる必要があるからだ。それからHDVはメディアにテープのみが考えられていて、ノンリニア編集する場合必ずキャプチャーという作業が発生する。圧縮という方向はいいとしてもこのテープをメディアとして記録する方向はこの先あるとは思えない。実際後発のAVCHD規格はDVDやメモリに書き込める仕様になっている。つまりHDVはおそらくすぐにこれらの陰で消えてしまうのではないだろうか。かといって現在のAVCHDも中途半端な仕様になっている。HDは今過渡期にある。

1月16日    火曜日

今日もHDの事を調べる。しかし次第に興味は虫の眼レンズや他の方向へ。気が付いたらHDの事は忘れていた。友人から高校時代に作った自主映画の台本が送られてきた。自分でもそんなものがあるとは思ってもいなかったのでビックリ。公民館を借りて公開したときのポスターまである。ほんとにあの頃から本質的には何も変わっていない自分がいる(進歩してないとも言うか?)。何であんなに映画に取り付かれたのだろうか・・・その答えを見つける為にこの仕事に選んだのだろうか・・・答えは今も分からない。しかし、まだまだしていないこと、やりたいことは沢山ある。問題は時間だ。人間遅かれ早かれいつかは死ぬ。そう考えると特に死も怖くもなくなる。困るのは、果たしてどのぐらい時間は残されているかが分からない事

1月17日    水曜日

朝から雨が降りだす。父と車で買い物。私が魚を焼くようになってからすっかり父も母もさんまのファンになってしまった。近くに繁盛している魚屋があるのだが、そこでさんまを9尾買う。一尾39円也。これはすぐに食べる訳ではなくすぐにラップで一尾づつ包んで冷蔵庫の冷凍室へ。こうしておくと数ヶ月は保つ。焼くときは冷凍庫から出してそのまま焼けばよい。最初だけ弱火で、解凍されたら後は普通に焼けばよいのだ。昨日も一ヶ月前に買ったさんまを食べたが、買ってきたばかりのものと味の違いはなく、おいしく食べられた。今日の夕食はステーキ。ちゃんとした牛肉は入院以来食べてはいなかったとおもうので久々だ。温野菜とスープも添えて作る。やっぱり牛はおいしい。さて明日だが、入院以来はじめて友人の家に泊まりにいく予定。車で移動するつもりだ。ちょっと緊張している。しかし復帰への第一歩。楽しみでもある。ちょうど遠足前の小学生といったところだろうか。病院でも外泊・外出の前の日は結構興奮していたからなぁ。ということで明日の日記はお休みさせていただきます。

1月18日    木曜日

外泊で日記はお休み。

1月19日    金曜日

昨日は昼過ぎに車で家を出る。10ヶ月振りの高速道路。ちょっと緊張。都心に近づく。ビルの街が遠くに霞んで見える。妙に美しい。飛ばさず、ゆっくりと走る。高速で分岐を間違える。かなり遠回りしてしまった。でも時間はたっぷりある。高速を降りてからも道に迷うが、結構楽しい。もう少し迷っていたいぐらいだったが、見覚えのあるところに出てしまい着いてしまった。あ~ぁ。友人の家へ。入院する当日も一緒だったし、引っ越しの指揮もしてくれた。感謝。以前と変わりなく色々な話に花が咲く。楽しい楽しい。夜は友人の作るお好み焼き。美味しい美味しい美味しい。奄美の(ちなみに私の一家は私を除いて全員奄美大島生まれ)泡盛をいただく。入院中一度だけ外泊時にビールを一杯飲んだが、その時以来。酒ってこんなに美味しいものなのね。そうはいっても4、5杯でもうかなり酔った。いい気持ち。話は夜の1時過ぎまで続いた。そして今日。友人の家の近くにとても好きなチャーハンを出す店がある。入院中何度も白昼夢のように頭に浮かんだ念願のチャーハン。絶品、絶品。友人は気がつかなかっただろうが、一口食べた時感動で涙が出そうになった。何とも安上がりな感動ではあるが・・・昼過ぎ友人と二人、近くのプロダクションを訪ねる。HDの機材検討。意見交換の後、方針が決まる。入院前貸していた機材を引き上げ帰路につく。この機材をさわって見れば自分がどの程度回復しているかが分かるような気がする。回復のバロメーター。それにしても本当に楽しい2日間であった。生きるというのは人と交わる事なんだと再確認。でも気は緩めない。私は昔の病歴から細菌には弱い傾向があるのは自覚している。慎重になるべきところは慎重にならなければならない。

1月20日    土曜日 

少し疲れたのかよく眠れた。オークションで落札したデジカメが届く。2000円也。先週落札したものとまったく同じ機種。このカメラ、かなり高度なインターバル撮影機能がついている。CCDもハイビジョンクラスのカメラ以上のスペックを持っている。以前から思っていたのだが、こういった特殊な撮影をしようとするとどうしても時間がかかってしまう。予算が潤沢であればそれでもかまわないのだが、昨今はそういった作品ばかりではない。メインスタッフや機材を長時間ワンカットの為に拘束する事はなかなかできない場合も多く、いきおいそういった撮影手法を最初からあきらめてしまう。それを安価でしかも無人化できれば、セットしてしまえば後は他の作業に時間が使える。以前の方法でもセットしてしまえば後は高価なカメラの番をしているような状況だったが、この方法ならばさほどカメラの心配はしなくてもよくなる。まぁそういった考えから最近オークションを注意深く見ているというわけだ。それに他にすることもないしね。

1月21日    日曜日

少し雨がぱらつく天気。疲れが残っているのか昼間も眠い。昨夜はことのほか寒かった。たのまれたオークションの原稿を書く。夜、もう一台のデジカメを落札する。これでカメラは揃った。山田風太郎の「人間臨終図鑑」を読んでいるが、人間病気で死ぬ事が多いのだなぁとあらためて関心する。ここ数日以来、パソコンのマウスの調子が悪くいらいらさせられる。

1月22日    月曜日

マウスを交換。タブレットに元々付属していたものが未使用で置いてあったのを引っ張りだす。性能は若干落ちるが快調、快調。前のマウスはドラッグしていても途中で解除されてしまったりして非常にいらいらさせられていた。今、家では結構壊れているものが多い。レーザーディスク、カセットプレーヤー、プリンター、8ミリビデオデッキ・・・しかし、私自身も壊れているんだから文句が言えない。今日から父と一日交代での夕食作りを復活。スパゲティーナポリタン。学生時代、サウナの深夜バイトをしたとき、軽食を作ってお客さんに出していた時によく作った。あの時は、自分で作っていながら「美味しい」と感じ、以来よく食べるようになった。まぁ簡単だから誰が作ってもさほど変わりはしないだろうけど。

1月23日    火曜日

先日の外泊時に引き上げた機材を整備する。カメラボディの蓋を開け、基盤のボリュームを調整。本当はディティール量を調整したかったのだが今日はその位置が分からず断念。さらに、三脚へ独自に取り付けた小さなライトを付け替える事にしたのだが、取り付け方で悩む。結局、夜まであれこれ考えて「まぁ、いいだろう」という方法へ落ち着く。機材に触れていると時間が経つのが本当に早い。ここ4・5日、テレビもビデオも見ていない。

1月24日    水曜日

もう数年前からになるが、天井裏に鳥が住みついている。いや、実際にその姿を見たわけではないので正確には「鳥らしい」と言うべきか。時々騒々しく動く時があるので分かるのだがなかなか元気がいい。二階の屋根の下に出入りしていると思しき穴もある。最初は天井を下から叩いたりしていたのだが今はもうあきらめた。どんな鳥なのか知らないが、生き物が住むというのはここが安全と考えてのことだろうから悪い事ではないような気がするからだ。「共存」である。午後は取説やら何やら読んでいてあっという間に過ぎた

1月25日    木曜日

録画しておいた「四季ーユートピアノ」を見る。佐々木昭一郎の作品で、今から27年前にNHKで放送された番組である。過去2回再放送を見ているので今回で4回目になる。最初に見た時の感動は強く、しばらくテレビの前から動けなかったことを覚えている。全編フィルムで撮られたこの作品の特筆すべきは、キャメラワークの凄さである。キャメラマンは吉田秀夫。NHKでは伝説になるほどの人だったらしい。同じコンビで撮られた「夢の島少女」も凄かったが、今作もまるで主人公の心がそのままキャメラに乗り移ったような印象。20歳の時に見たわけだが、こんなに長く心に留まる作品にそのとき出会えた事は幸運だったと思う。ドラマとドキュメンタリーが渾然と一体になった構成。主人公A子(榮子)は「音」を探している。それは亡くなった兄の記憶と結びついている。そしてA子の側には裸電球や太陽の光が寄り添っている。「光」と「音」。これは映像そのもではないかと今気づいた。そうかこれは光と音の物語。A子の音探しは無くしたものを記憶する為。しかし音は確かにそこにあったのにやがて消えてしまう。空気を震わせたあの「音」はどこへいってしまうのか。そして「人」は・・・。「音」と「人」。A子は一台のピアノを8年の月賦で買う。それは「音」を永遠に所有できるからなのか。しかしA子はそのピアノを兄との思い出の学校へ寄付してしまう。きっと兄の側でそのピアノから「音」が出る事に意味があるから。貨車に載せられたピアノが雪原を行くとき、まるで送り火のようなせつない感情がわき上がるのはそのためなのだろう。A子以外の登場人物は全て本当の人々が「演じて」いる。その場所の匂いを体から滲ませている人々。フィクションでありながらノンフィクション。小説にも出来ないし、舞台でも出来ない。映像の持つ本当の力を感じさせる作品である。

1月26日    金曜日

母を定期検診で病院へ連れて行く。足が不自由な母は外へはほとんど出ようとしない。母にとってはこの病院の日が唯一といっていい外出となる。診断後、二人で食事しに行き、近くに量販店で買い物。1時間近く歩き回る。かご一杯の商品が母の鬱積を表している。したいようにさせた。

1月27日    土曜日

父の畑に蒔く為の肥料を買いにいく。後は細々とした用事で一日が過ぎる。夜、「男はつらいよ」の渥美清最後の作品を観る。想像していたより元気だった印象。だが所々疲労が見てとれる。最初の頃と比較してしまうとどうしても「寅」に元気がない。病をおして出演し続けた渥美清の心中はいかばかりであったろうか。しかし、作品としてきちんと伝えたい事が伝わるのはさすがだと思う。山田洋次はこの「男はつらいよ」シリーズで「寅」や「寅屋」人々の性格や行動は変えなかったが、それにからむマドンナ達は「時代」をきちんと生きているように描く。観客もそうであるように、「寅」達へのあこがれと現実がうまく調合されている。そんなところが息の長いシリーズの人気を支えていたのかもしれない。

1月28日    日曜日

ホムーページの掲示板をあらためる作業で終日すごす。一年ほど前からアダルトの投稿が毎日繰り返されていた。それを毎日手動で消していた。おそらく掲示板を自動で探し、自動で書き込む形でおこなわれていたようだ。今回そういった自動プログラムに対抗できる掲示板を設置した。それにしても最初掲示板を設置した時には考えられなかった事がおこる。掲示板からメールアドレスやURLを収集されるとは。人間は情報に翻弄されている。コンピューターができて便利な部分もあるが、こういった事もおこるのだから実際「便利」になったと言い切れるのか疑問である。

1月29日    月曜日

あるプロダクションからの依頼で16ミリカメラをオークションに出そうとしていて、ヤフーの説明を読んで驚いた。落札価格の5%+消費税を落札された場合ヤフーに支払うシステムになっていたのだ。5年程前にも16ミリカメラを同じように売った事があったが、その時には一切利用料はかからなかった。オークション詐欺などへの対応ばかりとは思えない。ヤフー商法とでも言えばいいのか・・・夜は白菜などをあしらった蕎麦を作る。

1月30日    火曜日

録画した「南極物語」を観る。泣きました。その後、DVDにする為のエンコード作業。10時間かかりました。泣きました。

1月31日    水曜日

今日で1月も終わり。体調的には変わりはない。耳鳴りは相変わらず。今日食事を作っているとき少し目眩があった。しゃがんでいて急に立ち上がったせいだとは思うが。DVD「南極物語」を焼く。2層ディスク。切り替えポイントも分からないぐらいスムーズにいく。だいぶ2層ディスクの作り方のコツを覚えてきた。

○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・172~182漂流教室1~11巻 楳図かずお(小学館少年サンデーコミック)※再読

・183~192わたしは真悟1~10巻 楳図かずお(小学館BC)※再読

・193 隣りの女 つげ義春 (日本文芸社)※再読

・194 姫田眞左久のパン棒人生 姫田眞左久(ダゲレオ出版)※再読 

・195 改訂版 撮影監督宮川一夫の世界・映像を彫る 渡辺浩(パンドラ・現代書館)※再読

・196 こっこさん こうの史代(宙出版)※再読

・197 夕凪の街 桜の国 こうの史代(双葉社)※再読

・198 暗黒神話 諸星大二郎(集英社)※再読

・199~201 人間臨終図鑑1・2・3 山田風太郎(徳間書店)※再読










白血病闘病記 2007年 療養 2月

2月 2日    金曜日

母と毎年恒例の神社へ。外は風が強く滅法寒い。杖を使わなければならない母は歩く気力もあまりない。神社の後行ったデパートも駐車場からデパートの前でくじけてしまい、結局デパートの中には入らず帰路についた。そんな状態でも役所的には介護度が1またはそれ以下。要支援がいいところなのだ。カツを買って帰り、夜はカツ丼。見た目は少々悪くなってしまったが、味は抜群。志ん生の落語を聞きながら寝る。

2月 3日    土曜日

朝からホームページのレイアウト変更作業。基本は作成ソフトでやるが、書き出したのちに手作業でHTMLを書き足す。夕方まで没頭していた。夜。節分。遠くに豆まきする声が聞こえる

2月 4日    日曜日

晴天。今日もホームページの変更作業。コンテンツを見直す。それに伴い、昔つくったCG素材を変換する作業。これがなかなかうまくいかず時間を浪費した。夜は辛し明太子スパゲッティー。明太を入れすぎてしまい、辛くて全部食べきれなかった。「気をつけよう、暗い夜道と辛し明太」。

2月 5日    月曜日

終日CG作業。このところテレビも一切見ない。もちろんニュースも。なんだか最果ての地にきた世捨て人のような生活。家から出る用事もないのでこのところ外へも出ない。肩が凝る。それ以外いつもの日常である。志ん生を聞きながら寝てしまった

2月 6日    火曜日

終日CG作業。試行錯誤がはじまり時間が過ぎる。夜はチャーハンを作る。フライパンのテフロンが剥がれているのか、焦げ付いてうまくかえせない。それにしても3人前となると結構重い。夜はこのところいつもの志ん生を聞きながら寝る。

2月 7日    水曜日

父のお伴で千葉へ。銀行の用事だったが、肝心の通帳を間違えている。父も母も間もなく80歳になろうとしている。物忘れはかなりひどく、もう二人だけでの生活は厳しいものがあると感じる。帰ってからCG作業。インターネットで調べものなどしているうちに夜。今日も志ん生を聞く。

2月 8日    木曜日

なんだかこのごろ急に暖かくなってきた。まだ2月だというのに。なんでも世間では「暖冬」とのことらしい。確かに5度くらい気温が高いようだ。こんな片隅に生きていても地球の事が心配になる。この数年続いている大災害なども無関係ではないだろう。いや、環境だけではない。アフリカではチンパンジーがかつて例がないほど大集団化し、飢えている訳でもないのに他の群れを定期的に襲い、あろう事か敵のチンパンジーを殺し、食べてしまうという。その映像を見たとき、背筋が凍るような気がした。かつて見た地獄絵の世界だ。人間と同じように生物全体が「何か」を感じはじめているのかもしれない。

2月 9日    金曜日

今日は検診日。午後からなので昼に出る。午後のせいか幾分外来は空いている。診断の結果は「血液学的にはまったく問題ない」。しかし、先月から気になりだした耳鳴りが続いているので念のため後日耳鼻科の検診を受ける事になった。外来で順番を待っている頃から鼻がぐずりだしていたのだが、風邪をひいてしまったようだ。炎症反応の数値が上がっているとの事。帰りは定番となったラーメン屋でラーメンとチャーハン。特に美味しい店ではないのだが車で入りやすいのでいつも病院の帰りには寄る。本屋に寄ろうと行ってみると棚卸しで休み。仕方なく別の小さな本屋へ。浦沢直樹と吉村昭を買う。病院で処方された風邪薬と抗生物質を飲み寝る。効いたようで、これを書いている現在はもうすっきりしている。

2月10日    土曜日

父と食料品の買い出し。風邪もすっかり治りさわやか。プリンターのインクを購入。午後はパソコンで調べもの。実に暖かい日であった。少し動くと汗ばむほどである。

2月11日    日曜日

終日CGのモデリング作業。吉村昭の遺作短編集「死顔」を読了。氏の作品に共通する。丹念な描写は徹底した取材にもとずいていて、読む者を作品世界に引き込む。しかしこの遺作短編集にはどちらかというと随筆に近い。自身の身辺におこる死に関連した出来事が綴られている。人が死を思うときそれが他人の死であってもそれは自身の死を深く見つめている。重いが、静かな力をもった作品である

2月12日    月曜日

(2007年2月12日19時59分 読売新聞)「浴室での80代夫婦死亡、夫は水死・妻は凍死・・・大阪」大阪市住吉区墨江の無職男性(82)方の浴室で11日夜、死亡しているのが見つかった男性と妻(81)の死因は、大阪府警の司法解剖の結果、男性は水死、妻は凍死の疑いが強いことがわかった。調べでは、男性方は2人暮らし。男性は今月6日ごろ、妻は10日午後に死亡したとみられる。妻には認知症の症状があったといい、同署は男性が死亡した後、妻がそのまま浴槽に入ったとみている。ネットの新聞記事である。認知症の妻が風呂で死んでいる夫とどうしようとしたのか。自分の意志で夫の風呂へ入ったのだとすれば・・・・いや、やめようどんな考えも推測にすぎない。いたましい記事である。

2月13日    火曜日

今日も終日CG作業。没頭すると時間が経つのが早い。ネットラジオで音楽を聴きながら作業する。以前からAppelのiTunesに入っているAmbientがお気に入りだ。作業は軽快に進む。

2月14日    水曜日

外は嵐のような雨。今日も終日CG作業。セッティングも終わりレンダリング。中々良いとおもうのだが。今創っているムービーは姉妹ホームページの「特撮大陸パンゲア」にてリニューアルと共に公開しようと考えているもので、東宝特撮テイストをふんだんに取り入れたものにしようと考えている。もちろん自分のオリジナリティーも出しながらであるが。いわゆる「怪獣」ではなく「SF」の世界観で統一する。

2月15日    木曜日

午前中、耳鳴りの件で耳鼻科へ。受け付けてから4時間待たされた。CTを撮り、聴力検査。結果は異常は認められず。「耳鳴りとうまく付き合ってください」というのが診断結果である。予想はしていたが、合計5時間近くいてこの結果なのだから喜んでいいのか・・・文庫本は一冊読めたけど・・・昼も食べずにいたので帰りに行きつけのラーメンで食事して夕方帰る。

2月16日    金曜日

父と買い物。CGの新しいカットを仕込む。アイディアで悩む。時間が過ぎていく。

2月17日    土曜日

CGのアイディアが膨らみ、カットが増えていく。しかし、計画をちゃんとたてないでスタートしているせいで無駄も多い。まぁ行き当たりばったっりでやっていると言っていいだろう。しかし自分で言うのも何だが、いまのところ結構満足のいく出来映えだ。集中しているせいか時間がたつのがあっという間だ。それに耳鳴りもこういう時は気にならないのも助かる。

2月18日    日曜日

朝5時過ぎ、雨の音で目が覚める。布団の中でジッとそれを聞いていると妙に物悲しい気配があたりを包みはじめる。ふたたび眠りにつくのは困難と判断し、起き上がる。外はまだ暗い。パソコンに灯を入れ、昨日のCG作業の確認をしてみる。その充実が体にゆっくりと、そして静かにもどりはじめるのを感じる。雨は強さを増していく。

2月19日    月曜日

「荒野の用心棒ー早撃ちMac対殺し屋Win」
西部のとある小さな街。砂埃が舞う街のメインストリートで対峙する早撃ちMacと殺し屋Winのふたり。
Mac「おうっWin! お前最近また名前を変えたそうだな!」
Win「ふんっ、それがどうした!」
Mac「今はVistaだと! その前はXPで、その前は確か2000だったな!」
Win「Meってのもあったぜ!」
Mac「てめえ、いったいどういう了見でそうコロコロ名前を変えるんだ!意味わかんないし!」
Win「てめえの知った事か!!」
Mac「それから、酒も毎日あびるほど飲んでるっていうじゃねえか」
Win「文句あるか」
Mac「メモリ酒をほとんどお前に飲まれちまうって酒場の親父が困っているんだ!」
Win「ふんっ、いっそのこと酒場にあるメモリ酒を全部飲み干してやるぜ!」
Mac「抜け!」
二人の手は同時に腰のマウスへ。左クリック。
Winはアップルメニュー、Macはスタートメニュー。
Win「システム終了!」Mac「シャットダウン!」
二人が倒れたのは同時だった。ひときわ大きな砂塵があたりを吹き抜ける。
するとWinがゆっくりと立ち上がった。
そう、Macがクリックした「Windowsの終了」ウインドのメニュー選択が「シャットダウン」ではなく「再起動」だったのだ。 

2月20日    火曜日

午前中からしのつく雨。静かである。まるで雨が音を吸収してしまっているかのよう。CGとホームページの改修作業で終日すごす

2月21日    水曜日

今日はうってかわってよい天気。CGのレンダリング作業。カット数が結構あるので時間がかかる。体調その他変わりなし。耳鳴りは相変わらず。

2月22日    木曜日

今日もいい天気。父と確定申告の説明会場へ。順番待ちの人の多さに驚く。聞けば、書き方が分からない為の相談とのこと。説明は聞かず買い物をして家へ帰る。すぐに申告書を作り始める。今はネット上で入力するだけで完成する。1時間ほどで申告書完成。自分の申告書も作らねば。

2月23日    金曜日

今日は母のお伴で病院へ。病院というのは「待つ」ところなり。診察を待つ。会計を待つ。薬を待つ・・・どんな病院でも2時間で出られるところはないであろう。病院が少ないのか、それとも病人が多いのか。今回は2時間半で出られた。朝からの雨が強くなる。近くのファミレスで食事し、大きなスーパーで買い物。前回も来たが、ここはスペースが広くとってあって母のように杖をついた者でも比較的安心して買い物が出来るのだ。安い事だけを売り物にしているスーパーなどでは通路が狭く、無遠慮な人がどんと当たって来たりするから怖い。結局2時間程もいる。買い物を終え帰宅。

2月24日    土曜日

よい天気だが寒さが少しもどってきたようだ。午前中近くまで買い物に行く。近所も家族でどこかへ出かけたようで実に静かだ。確定申告書類作成のため領収書やレシートを整理。昨年4月以降は白血病の為無収入。あらためて空白の長さを感じる。今回インターネットで申告書類を作成。実に楽である。キーボードで入力し、印刷した書類が提出に使えるので以前のように下書きして清書する手間がいらない。来年からはこれでいこうと思う。

2月25日    日曜日

寒さがもどってきた。天気はいいが風が冷たい。先日レンダリングしたCGのカット、気に入らないので再レンダリングをはじめる。その間、ホームページ制作。夜はそばを作ったのだが少し味が薄かったようだ。

2月26日    月曜日

天気もよく、庭の梅が7分咲きなのでキャメラを出して撮影してみる事にする。重い機材を庭まで運び、ちゃんとレフも当てて花を撮る。ほぼ一年振りの撮影である。梅や夏みかん、その他の花をレンズを通してじっくりと見つめていると自然と集中してきていい気持ちである。20年以上仕事でやってきた事だからなのか妙に落ち着く。少し前から構想しているものがあるのだが、もう少ししたら撮影を開始しようと思っているので、今日はその肩ならしといったところか。完全防寒体制だったので少し動くと汗ビッショリになってしまった。ほんの短い撮影ではあったが充実した時間であった。ただ、肉体労働は本当に久しぶりなので少々疲れた。

2月27日    火曜日

朝晩はまだ冷えるがずいぶんと暖かくなってきた。今日はお好み焼きを作る。以前友人からレシピを教えてもらったとうりに作った。なかなか美味しかった。

2月28日    水曜日

今日で2月も終わり。退院してから4ヶ月以上が経った。体調的には耳鳴りがあるくらいで特に気になる事はない。しいて言えば運動不足ぐらいだろうか。仕事が恋しくなってきた。

○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・202 死顔 吉村昭(新潮社)

・203 寺田寅彦随筆集 第一巻 小宮豊隆編(岩波文庫)※再読

・204 天に遊ぶ 吉村昭(新潮文庫)

・205 見えない橋 吉村昭(文春文庫











白血病闘病記 2007年 療養 3月


3月 1日    木曜日

渋谷監督から帽子をプレゼントしていただいた。今風のものなので少しは若返るかも。帽子といえば少し前から気になっていることがある。この日記をお読みいただければわかるように退院時髪の毛はまったくなかったのだが、あれから4ヶ月あまりが経ち今では5センチほどの長さにまで生えてきている。だがである。その髪の毛がいわゆる「くせ毛」なのである。この病気になるまでの私の髪の毛は直毛でまったくカールしたりしてはいなかったのである。どういう事だろうと自分なりに考えると、まず一つは私の兄が「くせ毛」であること。抗がん剤などの影響で突然「くせ毛」の遺伝が発現したのではないか。もう一つは入院中毎月のように輸血をしていたが、その血の影響で「くせ毛」が発現した。後はただ短いからそうなっていていずれは元のようになる。これらはもちろん私の勝手な想像である。近々検診があるので、その時に聞いてみよう。

3月 2日    金曜日

終日CG制作。後2カットほど作ったら終えるつもりである。好きな事をしていると時間が経つのが早い。記録的な暖冬だそうだがまだまだ風は冷たい。特に私は冷え性で、足先が冷たくなる。暖房を入れていてもいつも足は冷たい

9月 3日    日曜日

こうの史代の本をゆっくり読もうと考えていたのだが、面白くて全部読んでしまった。「さんさん録」では人が死んでも残せる言葉という魂がある事を。「長い道」では男女の気持ちのすれ違いを。ぴっぴら帳では人々の優しさを。各々が傑作だとおもった。何度も読み返す作品になるだろう。惚れ込める作品である。「ぼくらのサイテーの夏」も夕食後から読み始めて読了。短い作品だが、テンポがいいので一気に読めた。9月の地固め治療が11日週からになりそうな気配である。そうなってくるといままでの経過からも治療後の経過観察に3週間はかかっているので、9月中の退院はどうもなさそうである。順調にいって10月上旬か中旬になるだろう。とにかくその時までどうなるかはわからないが・・・夕食は売店の弁当とカップラーメンで済ませる。このところ一日2個アイスクリームを食べてしまっているせいか、太りはじめてしまったでも病院内だけだが、自由はやっぱりいい。

3月 3日    土曜日

今日は桃の節句。といっても、父が買ってきた雛あられでわかったのだが。春の陽気だ。日中は暖房もいらずに過ごせる。テレビで「太陽を盗んだ男」が放映されていた。久々である。劇場で二回観て、その後レーザーディスクでも繰り返し観ていた作品。今観てもそのエンタテイメント性には感服する。過剰な心理描写をうまく避けながら「原爆」と「アクション」をつないでいく。少々理解に苦しむ展開もあるが、リアルがそれを修正している。こんな日本映画があった事を再認識した。CG、やはりカットを増やしてしまった。自分で増やしてるんだから文句は言えないが。でも、どうせやるならである。

3月 4日    日曜日

春の陽気である。室内で22度。いままで部屋ではどてらを着ていたが、今日は暑くて脱いでしまった。庭の梅も満開である。30年以上たっている梅である。毎朝、蜜を吸いにくるのか様々な鳥がやってくる。この辺でこれほどのごちそうがある家もそうはなさそうなので、鳥達にとってみれば季節限定開店のレストランといったところか。いらっしゃいませ~。CGとりあえず完成。後はホームページに載せる為の作業が終われば公開できる。ちょっと考えていることがあるので後数日はかかりそうだ。

3月 5日    月曜日

昨日は後数日などと書いておきながら、作業は全て終わってしまったのでCGを公開した。ファイルのアップロードと動作の確認作業に少し手間取ったが無事終了。今日は風が強く、午後には完全に曇ってしまった。夜半には強い雨が降りだし雨戸に強く打ち付ける程。しかし一日一日、春は近づいているようだ。

3月 6日    火曜日

安定しない天気。午前中は家中の掃除。掃除機のごみ取りからはじめたので2時間程かかってしまった。午後は昨日アップしたホームページの確認。映像ファイルを圧縮し直す。おおむね好評のようだ。夕方雨。一時強く降り、遠雷が聞こえる。春近し。

3月 7日    水曜日

午前中、母の買い物にお伴する。足が悪く、杖無しでは歩けない母であるが、30分もしないうちに歩けなくなる。ショッピングセンターの車椅子を借り、その後の買い物を続行。車椅子を押しながら買い物かごも持っていなくてはならないのでけっこうしんどい。山のように購入して帰路についたのは2時過ぎ。先方には悪いが、空いているショッピングセンターは本当に助かる。年寄りがよろよろ歩いていても心配がないからだ。車椅子のことで言えば通路が広くとられ、床に商品が置かれたりしていないことが重要。車椅子でも他のお客さんとすれ違える幅は確保してほしい。それから気になったのは、平積み用の冷凍庫。車椅子の人間からは商品が見にくいし、手前のものにしか手が届かないのだ。バリアフリーが叫ばれはじめて随分と経つが、まだまだ改良の余地は残されている

3月 8日    木曜日

雲一つない晴天。久々に布団干し。風は少し冷たいが太陽を布団に取り込む。資料を読みながら構想を練る。さて次のコンテンツはどうしようか。夜、昼の太陽を一杯に含んだ布団に包まれて寝る。幸せ~。

3月 9日    金曜日

今日は定期検診日。午後の予約。小雨の中車で病院へ。結果は「特に問題なし」「順調」とのこと。やれ一安心と思ったらγGPTが高くなっている。肝機能に関する数値だ。酒はこのところまったく飲んでいないので医師も首をひねる。私は食事と運動不足のせいではと思うのだが・・・ 髪の毛の事も聞いてみた。今のくせ毛は抗がん剤の影響がまだ残っている部分なのでいずれ元に戻るでしょうとのこと。いやーこのまま田中邦衛みたいになるのかと思っていたのだが残念。しかし最後の投与から5ヶ月ちかく経つというのに、抗がん剤って強い薬なんだとあらためて感じる。

3月10日    土曜日

今日は父の買い物にお伴して米や野菜を車で買いにいく。米は近所の農家がその場で精米してくれるもの。野菜もこれまた近所にあるJAの野菜専門店。質のいい野菜が安く手に入る。子供の足ぐらいの大根が100円、キャベツ丸一個80円也。帰ってからホームページ用の作業、単純作業だが結構時間がかかる。昨日の検査結果から、食事の量には気をつけるようにする。食べ過ぎは禁物。「もったいない」で食べていると後で泣く事になりそうだ。年齢や家族の病歴などを考えても特に糖尿には気をつけないと。

3月11日    日曜日

特撮関連のホームページも運営しているのだが、そこに最近CGで作った動画を載せている。自分ではWindowsもMacも対応させたつもりだったのだが、掲示板などで話していると、見れないという人がちらほらといるようなのだ。よくよく聞いてみるとMacの古い(OSX以前)であることがわかってきたのだ。確かにMacOS9などの環境では見れない。すっかり忘れていたOSであるが、まだまだ使っている人がいるんだなぁ。とりあえず対策をするつもりである。

3月12日    月曜日

今度は転送量の問題が出てきた。動画のデータを1GBのスペースがあるAppleのサーバに格納していたのだが、このサーバ1ヶ月の総転送量が10GBまでとなっているらしいのだ。今回お知らせのメールがきてはじめて転送量の制限があることがわかった。動画を配信するサイトとして考えた場合、これじゃとてもやっていけない。引っ越しを考えなければならないようだ。幸いもう目をつけているサーバがあるのでそこへの移動となるだろう。それから「特撮大陸パンゲア」が正式にヤフーへ登録される事になった。もちろん無料でである。そうなるとアクセスも増えるであろうから早く作業しなければ。

3月13日    火曜日

昨日書き忘れたが、ほぼ10ヶ月ぶりに頭をシャンプーした。抗癌剤で毛が抜けはじめてから全身ボディーソープ一本で済んでいたのだが、久々のシャンプーは爽快。サーバ移動は思いのほか簡単で小一時間で全て完了してしまった。結果ファイル転送スピードが格段に早くなり、移動したのは正解だった。ヤフーの登録も完了していた。ただこちらが思っていたカテゴリーではなく、「映画グッズ」のカテゴリーに登録されてしまった。パンフレットやソノシートの方がメインと映ったのだろう。

3月14日    水曜日

今度はメインページの更新作業。「小型映画」という雑誌に関してのページを新設した。この「小型映画」、8ミリフィルム時代の雑誌なのだが、ちょうど私の青春期に8ミリ映画を撮っていたこともありちょうど10年間読んでいた。捨てずに今までとってあったのを先日数十年ぶりに引っ張りだしぱらぱらとページをめくっていると、映画を撮っていた時が甦ってくる。そういった懐かしさと8ミリ映画の時代を記録しておく必要もあるのではないかという考えでスタートした訳だ。70年代、お父さんの趣味だった8ミリを、映像にどっぷりと漬かった子供達が手にしはじめた時代。今で言う自主映画が急速に増えはじめた時代でもある。雑誌「ぴあ」がぴあ展と称し、自主映画作家達を育てはじめたのもこの頃である。私のように中学生でも8ミリ映画を創る人間がちらほらと出始めていたことがこの雑誌を読むと分かる。8ミリの記録であると同時に、映像が人々の間で「観る」から「創る」へ変化していった記録でもある。

3月15日    木曜日

ホームページ用に作ったCGがそれの制作に使用した3Dソフト会社のギャラリーに掲載された。素直にうれしい。これでより多くに人に見てもらえるだろう。今日も終日「小型映画」の資料採集。また少し寒くなってきた。

3月16日    金曜日

ホームページのリンクを整理。リンク切れなどを訂正または削除する。映像配信について調べる。今後必要になってきそうだからだが、現在はただ流したりダウンロードしたりという形態だが、課金できるシステムに変更していかなければならないだろう。もちろん今特撮の方に出しているものはキャラクター自体は東宝のものなので課金することはできないが、オリジナルの作品であれば問題はない。要は課金するシステムである。ユーザーになるべく面倒くさくなくスムーズに支払えるシステムと、配信方法によっての著作期限や保護の問題。調べてみると、映像配信専門のサーバ運営会社に委託すれば可能なようだが料金が高い。平均20~30万(月額)の利用料を取る所が多い。まだ勉強しはじめたばかりなので結論は避けるが、委託はできれば避けたい。委託すれば当然売り上げのパーセンテージで料金を取られるので、どうしても安くコンテンツを提供できなくなると思う。今後の課題だ。

3月17日    土曜日

特撮CGの公開を取り止めることにした。評判は上々だったがやはり東宝のキャラを使っている事には変わりなく、残念なことではあるが決断した。また別の企画を考えることにする。ちょっと調子に乗りすぎたようだ。反省・・・このところ食事量に気をつけるようにしている。ろくに運動もしないのに食べてばかりじゃよくないに決まっている。次回の検診でデータとして結果が出ればいいのだが。

3月18日    日曜日

終日、ホームページ用の駄文を書いたり、調べものをして過ごす。もう2、3週間いや1ヶ月近くテレビを見ていない。さすがにニュースぐらい見た方がいいのだろうけど、見る気がまったく起きない。まずいかな・・・こういう日は本当に無駄な時を過ごしてしまったという感じがしていらだつ。これから待っている生活の立て直しや仕事への不安で疲弊する。考えたってどうしようもないことはわかっているのに「白血病に、もしなっていなかったら」などと考えてしまう。まっ、こういう焦りがあるうちはまだ大丈夫なんだろうけど。

3月19日    月曜日

午前中は父と車で買い出し。午後は調べもので過ごす。ホームページの企画作りの為である。天気はいいのだが風が強く、冷たい

3月20日    火曜日

特に記する事も無し。ただただ無為に一日が過ぎていくのみ。

3月21日    水曜日

今日は音楽を作ってみる。イントロは比較的簡単にできるのだが、その後の展開がどうもいまひとつピンとこない。そんなことの繰り返しで一日が終わる。今日でちょうど白血病と診断されてから11ヶ月が経った。

3月22日    木曜日

今日は比較的作業が進んだ。イントロ以後の部分がすんなりと出来ていく。ただ、一旦時間をおいて聞き直すと駄目な場合があるので完成とは言い難いが。お金になるわけでもないので生産的とは言えないが、何かしていないと落ち着かない。明日は母の病院である。

3月23日    金曜日

母と病院へ。頭部MRTを撮る。医師からは梗塞は何カ所かあるが、脳としては50歳代の脳と言われる。喜んでいいのか・・・実際は77歳なのだから喜ぶべきか。病院を出、食事してから植木の花を買うのに付き合う。まったくといっていいほど外出しない母なのだが、やはり自分で買い物するのは楽しいのだろう。しかし小一時間で椅子に座り込む。足がやはりしんどいようだ。今自分がしていることが介護だとは思わないけれど、今後は見守りも必要な時がいずれくるのだろう。

3月24日    土曜日

筆記者により削除

3月25日    日曜日

筆記者により削除

3月26日    月曜日

何だか自分が疲れているのを感じたので独り車でドライブへ出た。外に出ている間は気分も落ち着き、他の人と話をする事でまた癒される。ですので今日の家の状況はわからない。しかしこの日記は「白血病」の私の日記なのだが・・・

3月27日    火曜日

今日も色々あったが詳細は書かない。私自身もつらくなってきた。勝手なのですが、明日からしばらくこの日記もお休みさせていただきます。

3月28日    水曜日


3月29日    木曜日


3月30日    金曜日

何もやる気が起きず、この二日間はひたすら横になっていた。不愉快な事もあったが、気にせずマイペースでいこうと思う。今日は少し気分もよくなり、こうして日記を再開することにした。とは言うもののこの数ヶ月は白血病に関連するような話題もなく、「白血病療養日記」としての使命もなくなっていると感じている。次回の検診が4月の6日なのでそこで一度けじめをつけようと思う。

3月31日    土曜日

白血病に関しては特に記する事もなし。夕方、母を料理に誘い、クリームシチューを作る。美味し。夜半から猛烈な風邪と雨。雨戸が寝付くまで音をたてる。ちょっとした嵐である。


○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・206 グッドモーニング、ゴジラ 樋口尚文(筑摩書房) ※再読

・207 本多猪四郎「ゴジラ」とわが映画人生 本多猪四郎(実業之日本社) ※再読

・208 竜の柩 高橋克彦(NON NOVEL) ※再読

・209 こっこさん こうの史代(宙出版) ※再読


・210 さんさん録1 こうの史代(双葉社) ※再読

・211 さんさん録2 こうの史代(双葉社) ※再読

・212 長い道 こうの史代(双葉社) ※再読

・213 ぴっぴら帳1 こうの史代(双葉社) ※再読 

・214 ぴっぴら帳 完結編 こうの史代(双葉社) ※再読

・215 夕凪の街 桜の国 こうの史代(双葉社) ※再読










白血病闘病記 2007年 療養 4月


4月 1日    日曜日

少しだるいので寝ている時もあったが、昨日以前に比べれば軽くなった。来週末、仕事関係の方々と友人達が集まる事になった。お酒も入るので電車で移動するつもりだ。電車に乗るのは退院の日以来なのでちょっと不安。

4月 2日    月曜日

午前中雨。だらだらとすごしてしまった。あまり頭を使わなくてすむ漫画を読みふける。桜は今が見頃のようだ。ちょうど一年前、編集の仕事があり、時間があまりにも不規則だった時期だ。あの言いようもない疲労感を感じはじめたのもその頃からであったか。あれから一年。今の状況は予想もしていなかったが、そろそろ歩みをはじめなければならない

4月 3日    火曜日

先日、6日の検診後この日記を終えると書いたが、カレンダーを見ていて気が変わった。今月の21日で入院してから丸一年となるので、そこまでは続けてみようと思う。その方が何となくきりがいいように思うからだ(こういう性格だから・・・こりゃ歳とってから絶対惚けるな・・・)。午前中は母と買い物。スーパーの買い物かご二つ分。それからDVDプレーヤーを買いに。父と母の故郷奄美大島が舞台になっている「男はつらいよ」をリビングで見られるようにする為である。二人とも食い入るように見ていた。

4月 4日    水曜日

朝から曇り。夕方激しい雨と雷雨。

4月 5日    木曜日

晴れ。しかし少し寒さが戻ってきた。闘いの日々である。

4月 6日    金曜日

定期検診。異常なし。一年間の総括として下に検査結果を掲載する。上が本日2007年4月。下が2006年入院当初(抗癌剤治療直前)。

2007/4/6
療養
2006/4/21-24
療養

白血球数に注目していただきたい。一年前のものは基準値の3倍近くなっているのがお分かりいただけると思う。数値の横に「H」と印字されているものは基準値より高く、「L」と印字されているものは基準値より低いことを表している。現在、γーGTPとGPTが若干高い。γーGTPは通常アルコールの摂取で数値が上がり、肝臓の状態を表す。GPTもやはり肝臓の状態を診る時のバロメーターとなる。一応ことわっておくと、昨年の入院以来酒を飲んだのは今年の一月に友人宅に泊まった時焼酎をロックで4、5杯のみで、その他には一滴もアルコールは口にしていない。元来私は飲めるくちではあるのだが、独りではほとんど飲まない人間なのである。まだ検診は続くが、やっと社会復帰ができそうである。今考えてもこの一年は本当に早かった。あれよあれよという間に過ぎた印象がある。この経験はどのように役立てられるのか・・・核の時もそうだったが、医学に助けられて今の自分は生きている。いわばもらった命である。このもらった命をどう使うのか・・・それは私の今後の『生き方』が答えということになろう。帰り、病院の日はいつもそうするように独りで食事。あれこれと考えるがまとまらない。ぼんやりと外を行く人をながめる。いまこうして何の気無しに歩いている人も何か悩みをかかえているのだろうか・・・※ 明日から10日まで私用により日記はお休みいたします。

4月 9日    月曜日

7日、午前中に家を出電車で東京へ。特に違和感もなく、電車に揺られ渋谷監督の家へ。ビール、ワイン、焼酎と病気以前とさほど変わらない酒量。楽しくお酒を飲み、夜友人宅へ。話をしながら気がつくと午前4時近い。こんな夜更かしも1年振りだ。8日は友人達が集まり飲む。こちらもいつものように楽しく過ごす。お酒が美味しい。ワイン、サワー合わせて5、6杯は飲んだのではなかろうか。9日、朝は友人の作ったカレーうどん。散歩しながら隣り駅へ。キネマ旬報の4月上旬号に入院直前まで撮影していた「伊勢神宮」が出ていると先日聞いたので探す。結局友人宅近くにはなかった。トンカツとビールで昼食。東京駅で降り、八重洲ブックセンターでキネ旬を購入。帰りの車中雨が強く降るも、すぐに止む。夕方5時半に無事帰宅。運動不足がたたって足腰に軽い疲労を感じるも体調は問題無し。

4月10日    火曜日

今後の事をあれこれと考える。会社員ではないので復帰=仕事とはならない。フリーランスにとって一年の不在はまさに存在しなくなったに等しい。経済的にもすぐ何かをはじめる余裕もない。しばらくは撮影以外の仕事をして資金を貯め、東京に以前よりは小さなねぐらを確保する、という方法しか今は思いつかない。本格的に生活を今の実家から移してしまうと、病気が再発したときに又迷惑をかけてしまうのでしばらくは考えていない。かと言って実家から通うのはかなりしんどい。時間の決まっている仕事ではないので、どうしても朝は早いし夜は遅いからだ。母の事もあり、今は少し頭の中が混乱している。

4月11日    水曜日

家族というものはどういうものなのか。家は家なりに家族ではあるのだろうが、早い時期からバラバラになっていたように思う。正直私自身家族を持つのは嫌だと十代の頃から思っていた。家族がいいものだと思った事は一度もない。他の家族にふれる機会などあるとなおさら自分の家族の特異性に気づかされるだけだった。世の中にはこういう家族も少なからずあると思う。仕事を持つと同時に私も兄も家を出たのは、ここには居たくないという思いからである。独り暮らしは本当に快適だった。家族は私にとって不幸の象徴のようなものでしかない。

4月12日    木曜日

昨日録画した映画をDVDにエンコード。ソフトウエアエンコードなので時間がかかる。ネットで仕事を探してみる。条件さえ選ばなければ私でもできそうなものもいくつかある。母の件が進展したら本格的に探してみよう。夜はスパゲッティーナポリタンとスープ。

4月13日    金曜日

母が定期検診で通っている病院へ一人行き、相談する。やっと方向だけは固まる。後はそれが効果的に作用するかどうかだ。検診は来週。このところ頭の中が少し混乱していて何かに集中できない。時間が解決するのを待つ以外なさそうだ。夜、母と「南極物語」を観る。

4月14日    土曜日

母が買い物に行きたいとのことで二人車で出る。途中海へ行きたいと言うので急遽コースを変える。家族連れで賑わう海浜公園のベンチに座り、とりとめのない話をしながらぼんやりと海を眺める。天気がよく、日差しは暖かい。小一時間程すごし本来の目的の買い物へ。今日は久々の外出と結構歩いたので疲れたようだ。

4月15日    日曜日

穏やかな日曜。安定。静寂。酢豚作りに初挑戦。レシピを見ながらなのでそこそこの味のものができた。ちょうどパイナップルがあったので入れてみる。私の好きな場末の中華の雰囲気がでた

4月16日    月曜日

今日は父もいれて3人で出かける。途中から雨が降りだすも3人で出かけるのは久しぶりの事だ。母のきまぐれで最初の目的地とは正反対の方向へ戻るはめになってしまったがそれはそれで車を走らせ海のある街へ。雨のせいもあり車から外へは出ることができなかったが食事をして帰路につく。私自身の体調、食欲に変化なし。

4月17日    火曜日 

雨が降ったり止んだり。特に記するようなこともなく一日がすぎていく。ぼんやりと雨音を聞いていると様々なことを考える。病気のこと、母のこと、仕事のこと、作品のこと・・何かに集中できればいいのだが、今はそれもできない。姉妹ホームページの改修のことが気がかりではあるが、なかなかいいアディアが浮かばない。

4月18日    水曜日

午前中はどんよりとした曇り空。午後雨になる。もやし炒めのあんかけ。あんの味がうまくできない。2回やり直してまぁ納得のいく味になる。片栗粉を少し入れすぎたようであんが固めになってしまったが、両親には好評であった。人間、生きるとは「めしの心配」をすること也。

4月19日    木曜日 

明日は母の病院の日。スタートラインに立てるのか不安ではあるが元気出していこう。夕食はさっぱりとまぐろやまかけ丼と煮魚。煮魚がいい味になってうれしかった。ちょうど一年前の今日、三重県伊勢神宮の山をカメラをかついで息も絶え絶えになっていた。しかし、退院できたのもお伊勢さまのおかげかもしれないな。知り合いとメールのやりとりをしながら就寝。

4月20日    金曜日

今日で入院からちょうど一年が経った。頭が混乱してぼーっとした中、電車に揺られ病院を目指した日から一年が経った。即日無菌室に入れられ、病気の重大さをはじめて感じたあの日から一年が経った。順調にいっても退院までは半年と言われたあの日から一年が経った。『白血病』・・・そんな病気になるとはまったく考えてもいなかった。血液内科。病院の生活に慣れるまでの不安な日々。抗癌剤の副作用に苦しんだ日々。脱毛。吐き気。目眩。食欲不振。トイレで気を失った日。引っ越し。手続き。いらだち、落ち込み、怒り、笑い、悲しみ・・・・・「寛解」という言葉をはじめて知った日。食事。シャワー。大部屋。デイルーム。洗濯。レストラン。屋上。売店。床屋。体重計。体温計・・・・・退院していく人。苦しむ人。自暴自棄になる人。家族と穏やかに談笑する人。医師。看護士・・・・・そして亡くなる人・・・・・外出の時、お寺の階段を昇り、目眩でうずくまった時の絶望感。普通なら10分もかからない坂道を1時間ちかくかけなければ登れなかったあの日。自分の体の不甲斐なさに涙があふれた。自分はこの白血病になったことによって何を失い、何を得たのか・・・・・正直、この病気を全て理解し受け入れている訳ではないような気がする。入院時の混乱はいまだ続いているような気がしてならない。白血病が確定した時医師が言った「治療しなければ後2、3週間の命」の衝撃。直後どんよりとした気持ちで道を歩いて家まで帰った時のあの何ともふわふわした感じ。何かを考えているのだが、それが何かはよくわからない。友人達と仕事の仲間達がかけつけてくれ、様々な雑事を請け負ってくれた。私自身はただベッドに横になり治療を受けていたに過ぎない。そしてこの日記を綴りはじめた。毎朝、ベットの上で前日の事を記録しつづけた。とりとめのない感情をこの日記に吐露し続けた。そうして一日一日を乗り切った。それは退院しても続き、そして今日を迎えた。一年・・・・・この日記は明日から毎日綴る事をやめようと思います。本当はスパッとやめればいいのかもしれませんが、白血病は5年再発がなければ治ったとみなすことには変わりありません。さらに言ってしまうとこの「5年完治」すら絶対ではありません。私の体の中にはおそらく今でも白血病細胞が息をひそめて存在しているはずです。ですので定期検診など、この病気に関連した出来事のあった日だけはこれからも記していこうと思います。そして仕事再開に向けすすんでいきたいと思います。夢はまだまだ実現していません。これからです。最後に今までサポートしてくれた友人、仕事関係の方々、医療関係の方々、皆様に深く感謝申し上げます。そして、この日記を読んでいただいた皆様にも感謝いたします。私を生かしてくれたのは皆様です。ありがとうございました。悔いの残らない生を生きたいと思います。


療養
2007年4月吉日

○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・216 あやかし通信『怪』 大迫純一(ハルキ・ホラー文庫

・217 怖い本1 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)※再読

・218 怖い本2 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)※再読

・219 怖い本3 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)※再読

・220 怖い本4 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)※再読

・221 怖い本5 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)※再読

・222 怖い本6 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)※再読










白血病闘病記 2007年 療養 5月


5月18日    金曜日

今日は1月半振りの検診の日。午後の予約なのでゆっくりと家を出る。早めに採血し、近くを散歩。予約時間の20~30分前には窓口へ戻る。数ヶ月の検診通いで身につけたテクニックだ。診察室に入り、診察台に横になるように指示される。触診は検診をはじめて初めての事だ。特に何も言われることもなく、血液データにも再発の兆候は見られないとのこと。白血球数が若干基準値よりも高く、92H(基準値は33ー81)。ただ相変わらずγーGPTの値が高い。74H(基準値10ー47)。お酒は日記に書いたとおりで、以後一滴も飲んではいない。肝機能に障害が出ているのだろうか?いままでと違い、少し気になる結果ではあった。次回は6月下旬の1月半後である。

2007/5/18
療養

5月28日    月曜日

「白血病を発症してから結婚や恋愛をした人っているのだろうか?」そんな疑問が最近浮かんできた。自分でもわららずYAHOOの掲示板にも問いかけてみた。「おいおい、それは自分の状況が分かってないよ」と言われるのがおちだろうか?いままでそれらには縁がなく自らも積極的に考える事もほとんどなかったのにどうしてだろうと思う。白血病を経験し、命について考えざるを得ない状況だからなのだろうか。自分の命がなくなるかもしれないということを意識することは、この病気以前にはなかったことだから。命ってなんだろう・・・生きるってなんだろう・・・生きたいという願いがやっと自分に人として生きる事の意味を問いかけはじめているのかもしれない。









白血病闘病記 2007年 療養 6月以降


6月 9日    土曜日

6、7日の両日、山形へ仕事で行ってきました。発病後の初仕事です。写真でご報告したかったのですが、仕事に没頭するあまり忘れてしまいました。ご存知の方も多いと思いますが、「だだ茶豆」の撮影です。WEB用の映像で予算も限られ小さな規模ですが、病後の仕事としては恵まれているのかもしれません。キャメラもキャノンのXHーA1という小型カメラでの撮影なので体力的にも問題ありませんでした。このようなチャンスを与えて下さったプロダクションには感謝してもし足りないかもしれません。山形入りした6日は生産者のお宅へ伺い、打ち合わせという事だったのだが、酒が出、料理が出で結局12時過ぎまでの5時間あまりで3人で一升空けてしまった。翌日、お酒が残っていたのは言うまでもない。現場でいざ撮影をはじめると自分でもまったく心配なく撮影を終えることができ、安心した。食欲も酒欲も仕事欲も旺盛である

ところで、キャノンのXHーA1とSONYのHVRーM15Jとの組み合わせで、再生が出来ないという不具合が発生しています。現在調査中ではありますが、キャノンのXHーA1で撮影したテープをSONYのHVRーM15Jにかけると「画が出ない」「出ても画が停まってしまう」という現象です。ただキャノンのXHーA1から再生する分には不具合は出ません。SONY側の言い分では「キャノンのXHーA1で撮影したテープのRF信号が基準値より低い」との回答があったそうです。現在キャノンの回答を待っているのですが、同じような現象、またはこの件について情報をお持ちの方がいましたら掲示板などに書き込んでいただければと思います。

6月10日    日曜日

Canonから回答があり、「RF信号」に不具合があることがわかりました。これは個体の問題で、代替え機のCanon XHーA1では起きていません。修理すれば直るとのことなのですが、機種をSONYに変更する方向で検討しています。CanonXHーA1のレンズは魅力なのですが、仕事で使っているので安全を優先することにしました。繰り返しますが、Canon XHーA1全てが同じ問題を起こす訳ではないことを明言しておきます。あくまで個体の問題でした。

6月23日    土曜日

20日から昨日22日まで、長野、山形ロケに行ってきました。長野は王滝村の王滝カブ、山形は鶴岡のだだ茶豆である。王滝村は御岳山の麓に広がる広大な面積のほとんどが山林の村である。王滝カブは「スンキ漬け」という塩を使わない漬け物として古くからこの地方で食されていたという。王滝村は御岳信仰とも深く関わっており、御岳への道には全国各地の「講」と呼ばれた御岳参り集団の建てた石碑群が続いており、御岳山が霊山であることを強く印象づけられた。昭和59年の長野県西部地震による御岳山の崩落により、河がせき止められてできた通称「自然湖」には、水面から立ち枯れた木々が林立し、自然が作り出す気まぐれな造形の中の美しさを醸し出している。

療養
長野県・王滝村 新滝 (修行中??)
療養
長野県・王滝村 自然湖
療養
長野県・王滝村 御岳信仰

今回滝への道で軽く山を登ったのだが、白血病を発病する直前に登っていた伊勢神宮・神宮林の時と疲れ方が違うことに気がついた。伊勢の時は数分登ると息が切れていたが、今回はそれほどでもない。やはりあの時は、じわじわと病気が進行していたのだと実感した。21日昼過ぎに雨の中、山形県の鶴岡に向けて出発。やく7時間かけて湯野浜温泉に到着。温泉で疲れを解かし、懐石料理に舌鼓を打つ。翌朝早起きをして温泉に浸かる。入院していた時は半年間風呂ではなくシャワーのみだったのだが、その時から「温泉」に入りたかった。これで夢が一つかなった。翌日の撮影も泥だらけになりながら無事に終え、帰路についた。今回も体調に違和感はまったくない。

6月29日    金曜日

定期検診のため病院へ。家から約1時間弱のドライブ。これが結構いい息抜きになる。CDをガンガン鳴らし(でも聞いているのは「クレヨンしんちゃん」だが)て行く。「モーレツ大人帝国の逆襲」では音楽だけで涙ぐんでしまい前がよくみえない(オイッ!)。行く道すがら、ワイシャツ姿で営業先へ向かうのかサラリーマンが汗を拭き拭き歩道を歩き、80歳は下らないお年寄りが荷物満載の自転車で坂をやっとという感じで登っていく。雨が降りだす。突然の雨に傘をさしたはいいが、それまで両手に持っていた荷物が持てなくなり途方に暮れるお年寄り。みんな生きている。それぞれの生を生きてきた人達。いろんな事を経験し笑いや怒りや悲しみを経ていまここを歩いていたり、立ち止まったり・・・なんか感傷的になってきた。検査の結果は下記に掲載するが、特に再発の兆候はなし。これで寛解から1年をのりきった。まだまだ先は長いがひとまず「よかったね」と自分に言おう。相変わらずγーGPTの値が高い74H(基準値10ー47)。後白血球が88Hと前回よりは下がったが検査した病院の基準値(33ー81)からすると若干高め。これはγーGPT値の上昇と関係がありそうだが、赤血球やPLT(血小板数)が安定しているので問題はないとのこと。ちなみにこの基準値だが病院個々の経験やデータで決められており、病院が違うと若干の違いがあるとのことだ。次回は8月10日。

2007/6/29
療養

8月10日    金曜日

暑い!とにかく暑い!ジッとしていても汗が吹き出す暑さだ。病院の定期検診。結果は「再発の兆候なし」。車の中はサウナのような暑さ。このまま順調にいけばいいのだが。

2007/8/10
療養

9月21日    金曜日

少し暑さも和らいではきたものの、今日は暑かった。いつものように採血を済ませる。結果は下の通りだが、γーGPT値が以上に高い。思い当たることが何もないのだが・・・・・その他は正常値(しいて言えばカルシューム不足か)。再発の兆候も今のところないとのこと。一安心。来月で退院から一年になる。

2007/9/21
療養

9月27日    木曜日

25日に病院より電話があり、「良くない兆候があるので至急来院されたし」との連絡。仕事で札幌に行っていた時である。そして今日、再検査の結果「再発」との診断がくだされた。ベットの空きがないとのことで入院は10月1日からとなった。この日が来なければいいと願ってはいたが、とうとう来てしまった・・・・・医師の話しでは「寛解導入療法」後、今回は移植を考えてみましょうとの事だった。どうなるのか・・・再開した仕事も全てキャンセルし、今何も考えてはいない・・・この日記も連日の更新に入院後戻るだろうが、いまのところいつからになるのかはわからない。様々な人から入院中、退院後も励ましを頂戴したが、裏切る結果となってしまいました。この場を借りてお詫びいたします。申し訳ありませんでした。

2007/9/27 PM21:47


2007年 再発へ矢印ー右




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