白血病闘病記

leukemia Fight against illness

無菌室

This memoir of my struggle with illness is a record of the days since April 2006 when I, a freelance movie cameraman, was hospitalized with leukemia. He was discharged in October 2006. He continues during his subsequent recuperation. In October 2007, he was readmitted to the hospital due to recurrence. Hospitalized due to recurrence in April 2008, cord blood transplant. It is written up to September 2010. Leukemia is classified as type M4. I write about the current state of leukemia treatment and what I thought and felt as a patient. I would appreciate it if you could read it as a documentary about a patient.

September 1, 2023


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白血病闘病記 2006年 入院・治療 4月




2006年4月。突然の白血病宣告。予想すらしなかった展開に戸惑いながら即入院。一体どうなることやら・・・ 


4月18日

ロケ先にて体調がすぐれず、食事も残す様な状態。みかねた監督が医者へ行く事をすすめる。(今にして思えばこの時医者に行かなければ私はこの世にいなっかったかも。言わば命の恩人だ。)ロケ先であった三重県伊勢の病院で「白血病」の疑いを指摘される。

実は予兆はあった。昨年の暮れに母親が脳硬塞で入院、三ヶ月近く実家に帰り入院中は毎日病院へ通っていたのに続いて、3月から4月の頭まで仕事で忙しく動いていたのが中旬に一段落したのだが、その時にそれまで感じた事がない疲労感があったのだ。朝おきて珈琲を飲みながらメールをチェックするのが暇な時の過ごし方なのだが、この時に猛烈な眠気が襲ってくるのだ。前日睡眠は十分とっているのにである。それこそメールを見ている状態で頭がガクンとなってしまうような凄い眠気だった。この時に熱でも計ればよかったのだろうが、「疲れている」のだと思い込んでしまっていた。それから肩の痛みがひどかった。いわゆる五十肩に近い感じで、腕が肩より上がらない。以前からパソコン仕事などで肩こりを感じていたのでそれがひどくなったのだ思っていた。ロケ先の病院で熱を計ったら38、6だった。


4月20日

前日に東京へ戻った私は、近くの東京女子医大へ正確な診断をあおぐ為に向かった。診察にあたった医師はすぐに白血病と診断。それが何だかすごく嬉しそうに言うのでこちらもつられて笑ってしまった。「(嬉しそうに)白血病ですね」「(ニコニコしながら)そうですか白血病ですか」てな感じである。骨髄を採取し検査へ、この時の手さばきは凄かった。傷みはほとんどなくあっという間に骨髄液採取は終わっていた。いい医者にあたっている事を実感。私も撮影のプロだから同じプロの仕事はよくわかる。東京女子医大には空きのベッドがなく、実家から近いという事で千葉の病院を紹介してもらう。順調にいっても半年は入院することになると言われていたので、すぐに四ッ谷事務所を畳む事を決断。友人達に電話し引っ越し等を委任。みんな忙しい中助けてくれる。本当に感謝。と、同時に独り者の不便さも実感。もし家族がいたらどうだったのだろう。


4月21日

前日泊まった三十年近くのつきあいになる友人ととりとめのない話しで朝をむかえ、もう帰る事のない部屋を後にする。熱のせいか体がだるい。3時間近くかけて目的の病院へ。診察や採血の後、無菌治療室へ入院となる。正直無菌室は予想していなかったので少々とまどう。何だか本格的になってきた。この時46歳。


無菌室

4月22日

あわただしく一日が過ぎていった。女子医大で採取した骨髄液のデータ分析待ち。治療はまだ始まらない。76歳の父が来る。これ以上の親不孝者はいないだろうな~。申し訳ない気持ちで一杯


4月23日

監督の渋谷さんが見舞いに来てくれる。東京からだとかなりの時間がかかるこの病院。申し訳ありません。今年撮影するはずだった作品があったのだが、現状では無理。迷惑をかけてしまった。


4月26日

今日から抗癌剤治療が始まった。点滴で直接体内へ。病名も「急性骨髄性白血病」という正式なのをいただいた。初日は特に変わった事はなかった。


4月28日

抗癌剤の副作用と思われる症状が出始める。まず味の変化、出る食事をとにかく口へ入れる事が出来ない。無理に入れると吐いてしまう。水も、珈琲も味が違う。何とかパンなら口にできる程度。熱も出始める。一日のうちに3回から4回40度を突破する。解熱剤を点滴してもらうとすぐに汗が出始め熱も下がるのだが、下がっても37度台。終日だるい。



余談ですが、この時偶然「涼宮ハルヒの憂鬱」の第1回を見ている。まだガラケーの画面で。ハルヒの毎日変わる髪型のシーンが強烈に印象に残ってしまい、第2回もと探したのだがどうも第1回だけ無料配信していたのに当たったらしい。その後作が見たくて見たくて・・・その後2009年版を自宅で見ることが出来たのだが、これがきっかけでアニメにハマることになる。それまで実写の世界こそが王道だと信じてきたことが一気にひっくり返され、こんなにも感情豊かに表現できるものなのだと知った。それからは貪るように様々なアニメ作品に触れていき、とうとうAT-Xやd-アニメストアまで契約。京都アニメーション作品「甘城ブリリアントパーク」は特にお気に入り。










白血病闘病記 2006年 入院・治療 5月




5月 3日

今日で抗癌剤治療は終わり。抗癌剤により、今私の血液にはほとんど白血球がない。あらゆる病気に対し抵抗力がない状態。いわば血液をリセットしたような状態なのだろう。抗癌剤治療が始まってから、無菌室を一歩も出ていない洗濯も、見舞いに来た人に頼んでしてもらっている。これから3週間程、血液内の白血球、赤血球、血小板などが正常に増えていけば治療の第一段階は終了とい事のようだ。


5月 7日

抗癌剤治療が終わるとすぐに味が戻ってきた。今では食事もほぼ普通に食べられる。昨年から撮影してきた伊勢神宮の最後の撮影に参加できなくなり、多大な迷惑をかけているようだ。自分としても悔しい思いではあるが、「白血病」では抗えない。事務所の引っ越しや仕事の上でもみんなに迷惑をかけまくっている。それでもみんな文句も言わずやってくれている。感謝。しかし、病気にはできる事ならならない方がいい。


5月10日

頼んでいたDVDとCDが送られてきた。DVDは持ち込んでいるノートパソコンで観賞できるのだが、CDが聴けない。このノートパソコン何故かCDだけが再生できなくなっていたのだ。外付けのCDドライブも悪い事にノートパソコンに入っているOSでは使えない事が分かった。いまだインターネットにもつなげない状態だし。とほほな状況である。抗癌剤の副作用で髪の毛等あらゆる毛が抜けると聞いていたので、先手を打って坊主にしてしまった。坊主頭なんて中学生の時以来。なんか新鮮である。


無菌室

5月12日

友人にインターネットプロバイダーのアクセスポイント調べてもらうと、入院以前に使えていたポイントから入院したその日に変更になっていた事が判明。新しいポイントを入力するとあっさりつながった。「ちっくしょー!!」である。アナログ並みの遅さだが、これでPCを使ってのメールのやり取りができる。病状は今かなり安定していて、食事も残さず食べれるし、熱も平熱といえるレベルで安定してきている。坊主頭にした時にヒゲを残しておいたのだが、そのヒゲが抜け始めてきた。頭ではなくヒゲからくるのが私の場合の特徴だろうか


5月14日

私の病名は「急性骨髄性白血病」で分類的にはM4となるらしい。なかなか侮れない病気のようだ。今はほとんど普通だが、今後どうなるのか・・・考えたってどうなるものでもないが、やはり考えてしまう。残された時間はあまり多くないと考えた方がいいのかもしれない。一体何ができるのだろうか・・・


無菌室

5月15日

やっとというか、いよいよというか・・・退屈してきた。今までは、点滴だ、熱だと一日があっという間だったのだが、このところ点滴の本数も減り、治療らしい治療もないので一気に暇になってしまった。入院当初から本は読み続けているのだが、それも少々中だるみといったところか。気がつくと空をボーっと眺めていたりする事が多くなっている。


無菌室無菌室

5月18日

ここ2、3日再び熱が上がるようになってしまい。解熱剤を日に3回使うようになってしまった。自分で体温調整ができないという事がこんなにしんどいことなのだと知った。さらにおたふく風邪の疑いまで出て来て、現在検査中である。実家の母に確認したところ、私は子供の時におたふく風邪を経験していないらしい。免役力の弱まっている時に稀にこういう事があるらしい。しかし、「稀に」だったら私はよほど運の悪い奴ということになるのも事実。溜息しか出ませんな。


5月20日

今朝方から自分で体温調節できるようになってきた。自力で熱くなれば汗をかくようになったのだ。熱も久々の36度台をキープしている。高熱が続き、抗生剤が何度か変わったが、やっと効くのに当たったようだ。おたふく様の腫れも昨日からひいてきた。原因はいまだ不明だが、一時はおむすびみたいな顔になっていました。とりあえず安心した。朝から外をぼんやりと見ていた。雲の動きが早い。理由はわからないが、昔から雲を見ているのは好きだった。撮影でもかなり意識的に空を画面に取り入れるのは、癖のようなものなのだろう。でも、やっぱり飽きないなぁ。ぼーっとしてたら、今気が付いた。今日で入院後丸1カ月だ。もう1カ月?という感じだが、時間が過ぎるのは本当に早い。それから、本当に不愉快な事があった。以前も一度見舞いに来てくれた20年来の友がきてくれたのだが・・・私も知っていた事だが彼はあるカルト宗教(創価学会)に入っている。以前から知っていたのだが、今回入院直後から数回見舞いにきていて、今までほとんど連絡もなかった彼がなんでとは思ったものの、好意からと解釈していた。だが前回の見舞いの時に「病気になった人が学会の仏像を買い、拝んだら治った」などの話が出ており、今回でその計画性と意図は十分にわかった。今回は彼等の使う常套手段、病人の弱みに付け込み、からめ取る方法に出てきたのだ。まず自分一人が行くがごとく連絡してきてその実「近所の人」=「支部の適等な立場の人」を連れてくる。彼は私の信用や友情というものを一体どう考えているのだろうか。基本的な人間の信頼を無視してまで人を幸せにしようというこの非人間性はなんなのだ!正直私は彼を信じていた事に失望し、人の気持ちも考えられない彼の不幸に涙がでそうだった。このような言わば「だまし討ち」は全てのいかがわしい団体には共通のパターンでもある。全てのカルト宗教は人を幸せには絶対しません。むしろ今回見舞いに来た仮にA君の様な不幸な人間・・いやロボットを生産している団体、「利他」という名の「利己」それがカルトであり、創価学会の本性です


無菌室

5月21日

昨日は少し興奮しすぎたようだ。しかし、近年あんな不愉快な事はなかった。病状の方は、熱も上がらず、おたふく様の腫れもほとんど分からない程にひき安定している。ひげの抜けがおさまってきたかと思ったら、今度は頭の方が抜け始めたようだ。順番なんだね。ひげは全てがなくならず適当に残っている。頭はスキンヘッドまでいくのかな~


無菌室
東部戦線異常なし!

5月22日

今どんな一日を送っているのかお伝えしましょう。

AM4:00~5:00 起床。何だかこの時間には目が覚めてしまう。夜明けの空を見ながらコーヒーを飲んでいる。

AM7:00 点滴開始。

AM8:00 朝食。この後、抗生剤の点滴交換などありつつ、昼まで読書などで過ごす。

PM0:00 昼食。この後、抗生剤の点滴交換などありつつ、夕方までCDなど聞いて過ごす。

PM6:00 夕食。この後、抗生剤の点滴交換などありつつ、消灯までDVDなどを観て過ごす。

PM9:00 消灯。

よくみると食って点滴して寝てるだけですね。いいんだろうか・・・

夕方、主治医の先生がくる。経過は順調との事。安心する。


5月23日

この病気の退院までの最短のロードマップは、

抗癌剤治療 7日間

経過観察  約3週間 

寛解(かんかい) 骨髄が正常な状態

地固め療法  寛解の状態を維持する 4~5カ月

退院

となるようだ。何とかこの波に乗れればいいのだが。

今日、洗濯、買い物OKの許可が出た。これで人を煩わせずに何とか入院生活を送れる。うれしい。残念ながら屋上や外はまだという事。たばこも許可さえ出れば吸いたい。このたばこ、不思議と禁断症状がない。食事の後など吸いたくなるかと思っていたが今のところ大丈夫である。

補足:このころは喫煙に関してまだおおらかで、喫煙ルームも存在していた。当然今はなくなっている。


無菌室
メロ・・メロンパン食べたいな・・・

5月24日

実は以前から検案だった口腔外科に今日から行く事になった。お恥ずかしい話だが、私はこの20年近く歯医者にいっていなかった。以前の治療も中途半端にやめているので、奥歯の方は相当ひどいことになっているらしい。伊勢で診てもらった時、医者から「崩壊してます」と言われるぐらいだから相当なひどさなのだろう。これが今この抵抗力の低い体には危険なのだ。口から入る細菌は非常に多く、その中で感染してし、熱等の症状となるものがある。これらの症状は本来の白血病治療の邪魔をしかねないという訳である。ほぼ一ヶ月振りに無菌室を出て口腔外科へ、夕方の時間にもかかわらず人が沢山いる。なんか新鮮な感じ。今日は検査と歯石取り、なんか自分の歯じゃないみたいな感触に今とまどっている。


5月25日

今日も午前中口腔外科へ、奥歯を一本抜歯。みなさん歯医者さんて好きですか?「キュイ~ン」「クゥォ~」「ガリッ、ガリッ」・・・・・・「キュイ~ン」・・・あぁ 


5月26日

午前はシャワーや洗濯で過ごす。午後、口腔外科へ。椅子に座ってすぐに麻酔注射、あっという間に昨日とは反対側の奥歯2本抜かれる。特に2本目の時は、頭蓋骨から歯が外されている感覚があり、何だかすごい事してるなって感じ。傷みはない。合計時間は5分もかかっていまい。左右どちらかを治療してから、反対側へいく(だってそうしないと食事の時困る)と思っていたのが、容赦なく打ち砕かれた。でも変な爽快感がある。長年悩まされてきた原因がなくなっていくのだから。点滴が日1本になる。抗生剤は日に4本、これは変わらず。


5月27日

友人が頼んでいたラジオを持ってきてくれる。渡された袋に「ドンキ・ホーテ」の文字。さっそく聞き始めるも、電波状況が最悪。AMはNHKしか聞こえない。夜、そんな状況でも聞いていると、2時間ぐらいたった頃であろうか、急に音が小さく遠のく感じで聞こえなくなる。電池は新品を入れていたが、電池がなくなったのかと思い予備のものと交換するも反応なし。どうも壊れてしまったらしい。友人の「千円切ってるラジオ」という言葉とメイド・イン・チャイナの刻印が妙に納得させてくれる。電池を買いに1階の売店に行った時気が付いたのだが、2千円ちょっとでラジオが売っていた。どうしよう。


5月28日

今日が四ッ谷事務所の引っ越しである。一旦、実家へ全ての荷物を引き上げる。自分がそこに立ち会わず引っ越しなんて生まれて初めてである。心配なのは天気、朝から結構雨が強く降っているいるようだ。四ッ谷はどうなのだろうか。心配したってはじまらないのは百も承知だが、やっぱり心配である。友人や撮影仲間などが手伝ってくれている。感謝。そう考えてるうちに連絡あり、四ッ谷を10時頃に出た旨。実家での積みおろしは午後1時からのようだ。3時引っ越し終了の連絡。その後鷹澤君と木村君が見舞いにきてくれる。二人とも引っ越しの手伝いをしてくれた。鷹澤君が荷物の状況をビデオで撮影しておいてくれたので観てみると、想像以上にすっきり収まっているので本当に安心した。みんな本当にありがとうございました。ラジオ、何か悔しいので売店で購入。


5月30日

昨日の夜、待望のエアエッジ(AirH”)が届いた。PHSを使った通信機器である。さっそく接続。何度かの試行錯誤の末接続成功。契約の時電話で確認した2倍速での接続ができない。古い端末ではあるが確かにできると言ったのに・・今回いろいろな局面でエアエッジを扱うウィルコムへ電話しているが、対応は最悪である。マニュアルにあることしか答えられないオペレーター。契約書の書き方で質問した時は、4つ程の質問全て「お待ち下さい」で合計40分ぐらいかかっている。ウィルコムだけの問題ではないのかもしれないが、いわゆる「サービス」という部分から『人間』がいなくなってきているような印象を受けるのだが・・・・ とりあえず1倍速で繋がるので、これでいこう。定額制にしたので料金の心配はもうないはずだ。治療のほうであるが、明日で抗癌剤治療終了から4週間。抗癌剤治療そのものの結果については今だ何の説明もない。こちらが「順調ですか?」と聞けば、「順調です」とは答えるのだが。一番重要なのは、寛解(かんかい)にいたることなのだが、一体どうなっているのかさっぱりわからない。ただ看護士などからぽつぽつ入る情報として「血小板が増え過ぎている」というのがあり、そういった事から考えると寛解という状態ではないのかも知れない。夜、消灯直前に主治医が来て「これからの計画を決めていきましょう」とだけ言って去っていった。正直これだけでは何の事なのかさっぱりわからない。一回目の抗癌剤治療で寛解にいたったのかいたらなかったのか。いたらなければ次はどうするのか。こういった説明があってしかるべきだと思うのだが。


5月31日

なんだかイライラする。今、何もかもが中ぶらりんだからかも知れない。目標が持てないからといってもいいかもしれない。一体自分がどこに向かえばいいのか、どこを目指せばいいのか、それが見えない。ささいな事が、イライラを募らせる。点滴がが終わってもいつまでも交換に現れない看護師にいらつき、そのせいで午前中に入る予定のシャワーが午後になる事にいらつく。じわじわと抜けていく髪の毛。その抜けた髪が枕やシーツを汚す事にいらつく。しかし、それらをぐっとこらえて何とか自分の中へ飲み込む。私にはそうするしかない。わがままを聞いてくれる家族などいないのだから。だからという訳ではないが、Amazonで「砂の器」DVDと「宮沢賢治全集 1」ちくま文庫を注文。宮沢賢治はいままでも代表的な作品は読んでいるが、ちくま文庫の全集には詩や書簡など賢治の全てが網羅されているようで、いい機会だから順次読んでいってみようとおもっている。体調のほうは、特に記述しておくような事はないが、最近のぼせるような感じに急になることがある。そういった時は、後頭部などに汗をかいておりちょっと不快である。血圧と何か関係ありそうだが・・・・前述しているが髪の毛は着々と抜けている。スキンヘッド近しか。


○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・001 はれた日は学校をやすんで 西原理恵子(双葉文庫)

・002 自虐の詩 上・下 業田良家(竹書房文庫)

・003 仏教の思想 梅原猛著作集 梅原猛(集英社)

・004 地獄の思想 梅原猛著作集 梅原猛(集英社)

・005〜012火の鳥 黎明編 未来編 ヤマト編・宇宙編 鳳凰編 復活編 望郷編 乱世編 乱世編・羽衣編~ 手塚治虫(朝日ソノラマ)

・013 回想 黒澤明 黒澤和子(中公新書)

・014 山田洋次の<世界>ー幻想風景を追って 切通理作(ちくま新書)

・015 季刊 東北学 第七号 「特集 廃村」(東北文化研究センター)

・016 白血病「治療」日記 家族でのりこえた500日 草間俊介(東京新聞出版局)









白血病闘病記 2006年 入院・治療 6月




無菌室
寛解達成!

6月 1日

朝、主治医がやってきて「寛解(かんかい)になったと言ってよいとおもう」とのこと。骨髄から骨髄液をとる通称マルクをおこなう旨。そう入院する事が決定した女子医大で受けたあれである。さっそく腰に局所麻酔され採取へ、正直ちょっと痛かったがまぁ許せる範囲。その後、「外出叉は外泊してもよい」と言われる。これまた予想していなかったので慌てる。検討した結果今回は外泊はやめにし、明日だけ朝食後から近くへ外出する事にした。年寄りしかいない家に帰っても何かと不安があるし、長い時間電車に乗らなければならないのも感染の観点からはリスクがある。月曜日からはじまる「地固め療法」としての抗癌剤治療に備え、その前の息抜きといったところだ。これでひとまず直ぐに死ぬような危険な状態は脱したと考えていいだろう。正直安心した。これで次の目標ができた。しかし、あと数カ月になるとおもうがまたあの吐き気や熱と戦わなくてはならないようだ。治療はこれからが本当の山場といえるのかもしれないのだ。この病気では、退院後5年以内に再発がなくてはじめて「白血病の症状はない」(※他の病気と違い「完治」という概念はない)と考えるらしいのだが、5年以内に再発する確立も高く、あなどれない。気長に考えるしかなさそうだ。


6月 2日

今日は実に43日振りの外出である。前の日の夜からそわそわして、まるで遠足前の小学生である。朝10時前に病室を出る。地肌が見えるぐらいのスキンヘッドに近い頭だが、修行僧にでもみてくれるだろうと何も被らずに行動。あわよくばお布施もらえたりして。向かったのは、国立歴史民俗博物館。前から一度行かなければと思っていたが願いがかなった。京成成田から電車で佐倉へ。佐倉からは徒歩で行ってみる事にする。15分程で到着。最後の坂で少し息が上がり気味だったが問題ない。時間はたっぷりあるのでゆっくり見て行くことにする。第一展示室、第二展示室、この辺は旧石器、縄文、弥生から安土桃山までを展示している。見やすく整理されているが、目新しさはない。まぁそれが普通かもしれないが。いきなり例の「ゴットハンド」氏のねつ造コーナーがあったのが痛々しかった。第三はリニューアル中。昼食は館内のレストランで「ハンバーグ定食」を注文。山田洋次の『幸せの黄色いハンカチ』の開巻、高倉健が出所後はじめて食堂でビールを飲むシーンが思い出される。もちろんビールは頼んでいないが。おいしくいただき、ふたたび展示室へ。第四展示室が「民俗」の部分となる。実はここが一番見たかった。農村、山、海、そして都市。各々にまつわる代表的な習俗や信仰など興味深い。本などで読んだりしてはいるが実際の物を前にできるのは体験としても強烈だ。実際、数年前に撮影を担当した「菅江真澄の旅」で秋田は阿仁のマタギ村を取材した事がおもいだされる。かつて人々がそれぞれの場所で、それぞれの糧を得暮らしていた。その糧をもたらしてくれるもの『自然』を敬い、そして恐れながら共に生活していた。それが神である。そこには祟りや呪い、あの世の概念が育ち、それを鎮める祭りや習慣が生まれ、さらに人々の秩序を作り出していたのではないだろうか。実は今、空海の密教に興味がある。もともと仏教である密教が日本では前述の神と混然としているのは何故なのか。もっと勉強してみたい分野である。とまぁいうような事を考えつつ、帰りがけに売店で宮本常一の本2冊と「仏教民俗学」なる本を買って帰途につく。帰りは公津の杜(こうずのもり)駅で下車。行きのタクシーの運転手さんにイトーヨーカドーがあるという情報を仕入れていたからである。これからほんとにスキンヘッドになった時の事を考えて帽子を購入。なんだかんだ言いながら一応気にしてます。夕食まで時間があるので駅前の広場でひと休みとベンチに座ってふと見ると、何と私が入院している病院が歩いていけそうな距離に見えるではないか。だ・だまされた。とういか一番近い駅は成田と思い込んでいた。さっそく病院を目指す。病室の窓から見ていてあれは何だろうと思っていたものの秘密もわかった。病院近くにデニーズを発見。ロースカツ定食+アイスコーヒーで今日の無事を独り祝う。しかしここまで書いて思うのは、これって闘病日記だったよなということ。大丈夫だろうか。まぁこれからまた少しはそれらしくなるとはおもうのですが・・・自信なくなってきた・・・と、ともかく外出しての感想は、やっぱりシャバはいい!病室に帰ると、Amazonから「砂の器」と「宮沢賢治全集1」が届いていた。


6月 3日

点滴が朝と夜の2回になる。午前中は別階にあるコインランドリーで洗濯。そしてシャワー室でシャワー。午後は月曜からしばらく動けなくなる可能性もあるので、売店で水や食料を調達。消灯後、「砂の器」を見てボロボロになる。


無菌室
今、こんな感じです。いい艶でしょう

6月 4日

終日ぼんやりと過ごす。ネットで同じ様な闘病日記を検索、読んでみる。自分がけっこう幸せな状況なのがわかる。病院も含めて恵まれているのかも知れない。実験動物のように扱われているところもあったりして、読んでいてつくづくおもう。ここは田舎の総合病院という表現がぴったりするところで、対応など何だか全体がのんびりしている。大体予定というものがはっきりしない、でもそれでいいのかも知れない。それから日記自体にしても正直、他の日記にあるように事細かに薬や点滴の種類まで書こうとは私は思わない。もう私はまな板の鯉状態なのだから、プロフェッショナルに全てお任せする。最近報道などで医療事故やミスが報道されるのでみんな過敏になっているようだが、「信頼」という人間関係の基本を私は大事にしたいとおもう夜「トリック」の再放送をやっていた。仲間由紀恵が良い味出してるなぁ。なんだかお腹が空いて、”カップヌードルミニの塩”と”カロリーメイト”半分を食べてしまう。トイレの電球が切れる。明日替えてもらおう。


6月 5日

今日から地固め療法開始である。その前に、鎖骨下から入れている静脈カテーテルを入れ替える。いぜんから詰り気味だったのだ。午後いよいよ抗癌剤投与がはじまる。これから5日間はほとんど点滴しっぱなしになる。今回の抗癌剤は下の写真のように青い。まるで青インクのような色だ。しばらくして行ったトイレでもおしっこが青くなっていた。本で知ったのだが、この抗癌剤というものは、もともとは毒ガスからその効果が確認されたという事だ。先の大戦時、白血病におかされていたアメリカ兵士がドイツ軍の毒ガスを浴びた。幸いその時は命に別状はなく帰国。血液を調べると驚いた事に癌化した白血球が減少していたというのが、抗癌剤研究の発端となっているという。ドイツ軍の毒ガスというところがちょっと複雑な気持ちにさせる。だってもしかしたらあのホロコーストに使われた技術で今生きているということにもなるのだから・・・ 


無菌室無菌室

6月 6日

地固め2日目。特に変化なし。食欲も普通にある。吐き気もなし。シャワーをあびる。頭の毛が確実に少なくなっている。本「日本文化の形成」宮本常一を読んだり、インターネットのラジオを聞いたりして過ごす。点滴が終日続くのでどうしてもベッドから離れるのがおっくうになる。でも、洗濯は決行。溜めないようにやっておかないと、コインランドリーの乾燥機の能力が低い為、乾燥に時間がかかり過ぎるのだ。昨日気が付いたのだが、部屋のテレビ、衛生放送がチューニングされていなかった事がわかり、昨日からはNHKの衛生放送も見られるようになった。今日は「山の郵便配達」をやっていたので見る。公開時にも観ているが、やはり引き込まれた。こんな風景の中で映画が撮りたい。


6月 7日

地固め3日目。少しだるさを感じる。今日で青インクのような抗癌剤は終了。食事に関してはまだ普通にとれる。


6月 8日

地固め4日目。少し胃に違和感。夕食はたまたま合わなかったのか、ほとんど食べられず。そのかわり、カップ焼そばを作って食べたので食欲がないわけではない。オンラインショップにてペルーの帽子を注文。一つの抗癌剤は初日から24時間ぶっ続けなので、行動が自由に出来ない。これはあさっての午前中まで続く。頭の芯の方にも違和感あり。


無菌室無菌室

6月 9日

なんだろう・・・落ち着かない。抗癌剤のせいなのだろうか。それとも入院生活に対するストレスなのだろうか。落ち着かない。あの外出の時の開放感。自由に歩き、自由に食事し、自由に休む。みんなが日常当たり前の事がここでは出来ない。全ては病気を治す為なのだが、正直いつまで続くのかも分からないのだ。


6月10日

昼過ぎ、引っ越しも手伝ってくれた二十数年来の友達三人が来訪。リクエストしていたウルトラマンのDVDと恐い本数冊を貸してもらう。もう一人は、懐かしやスタニスワム・レムと嵐山光三郎。すごいバラエティー。明日からしばらくは退屈しなくてよさそうだ。別階のレストランに移動。ショーケースのざるそばが無性に食べたくなり注文。きっと普段食べればたいした事ないそばなんだろうけど、美味しい。夢中で食べてしまった。引っ越しのその後に関して報告あり、これは後日詳しく御報告したいと思っています。


6月11日

抗癌剤も抗生剤も今日から点滴が一切なくなる。あの点滴チューブをひきずらなくてよくなった。今回の抗癌剤は熱も出ず、落ち着いている。そのせいなのかやたら腹が減る。今日も昼食後、我慢できずレストランのざるそばを食べてしまった。それから売店でのり弁当を買い、夕食は病院のものはほとんど手をつけずそれを食べる。娑婆の味である。まぁこれからしばらくしたら白血球が少なくなるので、こういった事もできなくなるだろうが・・・午前中にシャワーと洗濯をすませると、先日注文したペルーの民族帽子が届いている。アルパカという動物の毛で編んだアンデス地方の民族帽子である。とりあえず殺菌の意味も含めてシャンプーで洗う。思ったより薄く、これなら病院内なら暑いという事もなさそうだ。デザインも形も実物を見ると結構いい。オンラインショップの『アスーレ』というお店で購入したもの。後はほとんど本を読んで過ごす。ホラー物が中心。楳図かずおの「笑い仮面」「怪獣ギョー」、やはりすごいと思う。あの独特の世界観は誰にもない。常識というものをことごとく裏切る内容がすごい。近作であるが「神の左手、悪魔の右手」のハサミの話もすごかった。私のお気に入りは「恐怖」と題された連作である。あの「うばわれた心臓」もこの中の一編だった。あ~、読みたくなってきた~。


無菌室
アルパカ帽子

6月12日

特に記する様な事はなし。終日読書。「文人悪食」嵐山光三郎に引き込まれる。夕食のみ1階売店で買ったとんかつ弁当を食べる。


6月13日

今日の早朝というか深夜3時前後の事だと思うが、腹が痛くて目が覚めた。そんな時間だから、半分寝ぼけていたかもしれない。ゴソゴソと起き上がり、トイレへ。ズボンとパンツを下ろし洋式トイレの便座に座ったところから記憶がない。気がついたら、その場にうつぶせに倒れている自分がいた。


無菌室
凄惨な現場 「気が付いた時、一瞬自分がどこにいるのか分かりませんでした」(本人談)

ぼんやりと覚えているのは床の冷たい感触が頬にあった事。よいしょと立ち上がり、また便座に座る。今度はちゃんと用を足してベットへ戻りまた寝てしまった。朝、顔を洗っている時に気が付いた。右の眉のあたりが触ると痛いしほんの少し腫れてもいる。その時になって、昨夜の事は夢じゃなかったのだと気が付く。おそらくトイレで用を足そうと気張った瞬間に気絶し、そのまま前に倒れ、その時に頭を打ったのだろう。看護師にその事を報告すると、すぐに主治医がやってきて脳にダメージがないか簡単に診察してくれた。過去にそういった経験もないので、抗癌剤による血液機能の低下が原因なのではないだろうか。とりあえずは問題はなさそうなのでひと安心。調子にのって昨日の夕食にとんかつ弁当を食べたのがいけなかったのか。気絶というか、失神したのは生まれてはじめての事である。唯一助かったのは、そのまま糞尿まみれで死んだりしなかったこと。考えるとゾッとする。そんな事言いながら、今日ものり弁を夜食べてしまった。あぁ! 


6月14日

とても大事な入院費用に関するお話です。今日、4月21日の入院開始から5月一杯の入院費の総額が出た。ここから健康保険の対象にならない食事代を引くと¥1.028.181となる。(ちなみに差額ベッド代なども健康保険の対象とはならない)この金額の10割分+食事代が健康保険が摘要される前の定価となるわけだ。¥3.458.729がこの一ヶ月と10日の収支である。家賃月¥2.500.000万円の家に住んでいると考えると凄いものがある。この金額にびびられる方は多いと思う。私は一切やっていなかったが、入院保険は入っておいた方がいいのがおわかりいただけると思う。上の健康保険摘要額は一時的だが全額支払う必要がある事も頭にいれておいた方がいい。一時的といったのは、高額療養費の返還制度があるからだ。上記健康保険摘要額から被保険者の負担額が一定の額以上の場合、その額以上の部分が戻ってくるという制度だ。今回のケースの場合は総支払額¥1.059.640に対し¥924.019が後日戻り、最終的な自己負担額は¥135.621と計算ではなる。健康保険制度のある日本に生まれた事を感謝した方がいいのかもしれない。ただし、実際お金が返還されてくるまでは数カ月かかりそうだ。病院のソーシャルワーカーに確認したところ、高額療養費にあたる医療費が発生した時点で自治体の健康保険課から連絡があるとのことなのだが、今のところ何の連絡もない状態だ。だから返還されるといっても実際は今後数カ月の間は上記(¥1.059.640)の3割負担分は支払わなければならないという事を理解しておいた方がいい(仮に返還開始までの期間3カ月だとすれば、3百万円近くは一旦自己負担しなければならないという事だ)。この後仮に4カ月、つまりトータル5カ月と10日入院したとしてその全自己負担額は約¥611.000という計算だ(これは高額療養費返還後の収支。治療の方法やその他医療行為により値段は変動する。この金額はあくまでいままでと同じ負担が続いたと仮定した金額である)。最後にこれを保険なしの額にすると、約¥13.500.000となる。この額が病院の収入となる訳だ。順調にいって約5カ月、約1千3百万円がこの白血病に投じられる訳である。私にそんな価値があるのかどうかは考えない方がよさそうだ。首が痛い。先日頭を打っているので、むち打ちの様な状態なのだろう。湿布をもらって貼っている。血液検査の結果は白血球数がかなり落ちて来てきている。感染に気を付けなければならない時期。最近、このホームページへのアクセスが少し増えている。何気にGoogle検索すると一番最初のページでヒットしているではありませんか。結構読まれてるのかな。もう看護士さん達にもバレはじめてるので、うっかり変な事でも書いたら点滴30本ぐらいぶち込まれたりして(笑)。ここは最高のスタッフが揃っています(スリスリっと)。


6月10日

昼過ぎ、引っ越しも手伝ってくれた二十数年来の友達三人が来訪。リクエストしていたウルトラマンのDVDと恐い本数冊を貸してもらう。もう一人は、懐かしやスタニスワム・レムと嵐山光三郎。すごいバラエティー。明日からしばらくは退屈しなくてよさそうだ。別階のレストランに移動。ショーケースのざるそばが無性に食べたくなり注文。きっと普段食べればたいした事ないそばなんだろうけど、美味しい。夢中で食べてしまった。引っ越しのその後に関して報告あり、これは後日詳しく御報告したいと思っています。


6月10日

昼過ぎ、引っ越しも手伝ってくれた二十数年来の友達三人が来訪。リクエストしていたウルトラマンのDVDと恐い本数冊を貸してもらう。もう一人は、懐かしやスタニスワム・レムと嵐山光三郎。すごいバラエティー。明日からしばらくは退屈しなくてよさそうだ。別階のレストランに移動。ショーケースのざるそばが無性に食べたくなり注文。きっと普段食べればたいした事ないそばなんだろうけど、美味しい。夢中で食べてしまった。引っ越しのその後に関して報告あり、これは後日詳しく御報告したいと思っています。


6月15日

夜、「ハウルの動く城」DVDを観賞。なんか終り方が性急すぎてよくわからない。ハウルの問題は解決したようだが、肝心のソフィーの方がスッキリしないのだ。


6月16日

朝、トイレで先日と同じ症状に見舞われる。幸い意識喪失はなかったが、正直このまま死んでしまうかもと考える程激しいものだった。なんとかベットまで自力でもどり、ペットボトルの水を飲もうとしたら、ボトルが手から落ちてしまう。寒気もしてきて、計ったら38.8度。あわてて看護士さんを呼ぶ。主治医の先生も来てくれてとにかく点滴をはじめる。原因はいまいち分からない。とにかくトイレで気張ると症状が出るという事と、今回症状が出た直後の血圧が低かったという事である。その後終日点滴。 


6月17日

今食べたいもの。うな重、オムライス、チャーハン、カレーライス(家庭で作ったもの)、ラーメン(行列しないで食べられるもの)、もりそば、カツ丼、天丼、鳥ぎんの鳥釜飯、マグロの刺身(赤身)、ロースとんかつ、崎陽軒のシュウマイ弁当、沢庵、きゅうりの浅漬け、コロッケうどん、牛丼(吉野屋)、焼き餃子、レバ野菜炒め、メンチカツ、すき焼き、お好み焼き、豚汁、たぬきそば、寄せ鍋、薄皮まんじゅう、ポテトチップス、メロンパン、コッペパン、納豆、梅干し、焼き鳥(しろ・レバー)、さんま焼き、ぶりの照り焼き、アジの天日干し、イカの刺身、焼肉、卵焼き、桃屋のごはんですよ、タンメン、みそラーメン、ソースやきそば(屋台風)、むぎとろ飯、ショートケーキ、牛ステーキ、ハンバーグ、おいしく炊けた白米・・・・・


6月18日   日曜日

熱も下がり、体調的には元にもどった。ただ、トイレが恐い。トイレで気張ると叉先日の様な貧血状態がきそうで、今日は出せなかった。数日振りに夕食は弁当にする。でも何だか、当初の様な感激もない。抗生剤と栄養剤の点滴が続く。夜10時過ぎ、ワールドカップ「日本VSクロアチア」戦をテレビで見る。正直サッカーに関心はないのだこれだけ騒がれると気になってくるから不思議だ。結果は0ー0の引き分け。


6月19日   月曜日

無菌室
あれ?いない・・・
無菌室
おや・・・
無菌室
なんだろう
無菌室
あ~、モロボシ・ダンが~!

ス・・スミマセン・・・あんまり暇なもんで・・・


6月20日   火曜日

今日で入院まる2ヶ月となる。明日からは3カ月目に突入する。昨日は鷹澤君が本とCDを持ってたずねてくれる。志ん生の落語CDが面白い。「子別れ」では笑いあり人情ありでおもわず涙ぐむところもあったりして楽しめた。日曜日にAmazonに発注した本、「宮沢賢治童話大全」「二十四の瞳」が届く。


6月21日   水曜日

入院生活3カ月目に突入。この丸2ヶ月を振り返ると、最初は何だか病気自体が自分でよく自覚できず、だが下手をすると死んでしまうんだという漠然とした不安の中の1ヶ月。そして入院や病院自体にも慣れ、比較的症状も軽く、療養という感覚で過ごせた2ヶ月目、という感じだろうか。午後、高校時代の友達、近藤氏が訪ねてくれる。20年振りぐらいである。話していて最近胆石で入院していたとの事。お互いそんな(病気が出てくる)歳になったんだという言葉に妙に納得。彼は高校時代「横浜線大爆破」と「非常都市」などの8ミリ自主映画を3年間作り続けていた時の私の最大のパートナーだった。特撮のミニチュア作りや、警官の制服作り、出演、弾着、モデルガン、音作りなど。一度はこんな事があった。「非常都市」か「横浜線」だっったかのけん銃の発射音で、音の事はかなりの部分彼にまかせていたのだが、効果音レコード(CDじゃありませんよ)の発射音が気にいらず、どこかの名画座で「ダーティーハリー2」の音をカセットテープレコーダーに収録してきたのだ。おかげで迫力ある音をつける事ができた。休みの日の学校を借り切って、銃撃戦シーンを撮影していた日々が懐かしく思い出される。高校時代はほんとに映画作りに没頭した3年間だった。あの3年間がなければ今の仕事をしている自分はなかったと断言出来る。本当にあの時映画作りに参加してくれた近藤氏をはじめその他のみんなにも感謝したい。ありがとう。それから差し入れの崎陽軒のシュウマイ弁当とまいせんのトンカツサンド、おいしくいただきました。今日から、抗生剤が以前も使用していた「メロペン」に変更される。血液検査でCRP定量が2.9とあがってきた為である。効いているのか、熱が37°を越える事はなくなった。


6月22日   木曜日

今日から病院食を夕食のみキャンセル。売店の弁当かレストランでとる事にしてみる。本日はレストランにてラーメン+半チャーハンセット。しかし、舌の味覚がどうも元どうりではなく、おいしいとは言いがたい。この注文は失敗だった。その他、熱などは一時的に37.1まで上がる事はあってもほとんど36.8前後で安定している。抗生剤の点滴は1日3回。1回は1時間程度である。現在、白血球数も下げ止まりに近い状態なので、感染には注意が必要だ。無菌室を出る時は当然マスクをして、売店もレストランもあまり人がいない時間をねらって行くようにしている。食事も生物(生魚、生野菜、漬け物)などは避けており、火の(煮る、炒める)とおったものを食べるようにしている。


6月23日   金曜日

今日から病院食を夕食のみキャンセル。売店の弁当かレストランでとる事にしてみる。本日はレストランにてラーメン+半チャーハンセット。しかし、舌の味覚がどうも元どうりではなく、おいしいとは言いがたい。この注文は失敗だった。その他、熱などは一時的に37.1まで上がる事はあってもほとんど36.8前後で安定している。抗生剤の点滴は1日3回。1回は1時間程度である。現在、白血球数も下げ止まりに近い状態なので、感染には注意が必要だ。無菌室を出る時は当然マスクをして、売店もレストランもあまり人がいない時間をねらって行くようにしている。食事も生物(生魚、生野菜、漬け物)などは避けており、火の(煮る、炒める)とおったものを食べるようにしている。


無菌室
夜の無菌室

6月24日   土曜日

午後、父と兄が来る。実家にたまった郵便物を受け取る。体調は安定している。白血球中の好中球数がゼロに近くなった。この好中球が感染症から体を守る働きをしているそうだ。したがって今あらゆる感染に対してまったく無抵抗な状態ということになる。無菌室から出る事自体は簡単なのだが、こういう体なのでマスクは必携である。Amazonから「二十四の瞳」DVDと「古今亭志ん生名演集一」CDが届く。


6月25日   日曜日

シャワーの後、「古今亭志ん生名演集一」CDを聞く。「火焔太鼓」が面白い。テンポのいい語りに引込まれ、おもわずニタリと笑ってしまう。「まんじゅうこわい」、知らない人はいないと思う定番だが、志ん生の語り口テンポで聞くとこれが生き生きと情景が浮かび上がる。さすがとおもわせる芸がここにある。音声のみなので、仕種がわからないのがおしい気もするが、それでも笑わせてくれるパワーがある。いや~、ちょっと志ん生にはまりそうである。さっそく「古今亭志ん生名演集」二と三を注文してしまった。


6月26日   月曜日

穏やかな日々が続いている。朝の採血の結果はCRP定量が下がってきていて現在1.6(正常値は0.3以下)。白血球の全体数も正常値の範囲に入った。ただし、白血球を構成する各々の要素に関してはまだ正常とは言えないが。外は梅雨空。5月分入院費の領収証に関してソーシャルワーカーの方とお話。夜はレストランでざるそばミニ天丼セット。久々の天丼、うまかった~。


6月27日   火曜日

特筆することは何もなし。夕食は、レストランでカツカレー。主治医の先生より、白血球数が順調に上がっているので、近日中に骨髄穿刺(マルク)をおこなうとの報告があった。


6月28日   水曜日

注文していた本やCDが届く。夕食は、スパゲティーナポリタン。夜、主治医より今後の治療計画について説明したいので家族を呼んでほしい旨、話しあり。


6月29日   木曜日

午後、骨髄穿刺(マルク)。何度やってもあの骨髄液が吸い出される感触はいやだ。志ん生「黄金餅」と「おかめ団子」。「黄金餅」の死体をかついで行くところ、葬式での坊主のお経と笑わせてくれる。夜は、売店でのり弁当とカップそば(小)。


6月30日   金曜日

午前中抗生剤点滴。これでいままで1日3回だった点滴も一旦終了。明日からしばらく飲み薬のみとなる。山本周五郎「扇野」を読む。周五郎は以前も読んでいるが、まだまだ作品はたくさんある。インターネットで一円で買ったものである(ただし送料があるので3冊で千円ちょっとである)。古本に関しては、お店に直接買いに行った方がお徳だろう。夕食はレストランでざるそば天丼セット。


○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・017 できるかなV3 西原理恵子

・018 宮沢賢治全集1(ちくま文庫)「春と修羅」「春と修羅 補遺」「春と修羅 第二集」

・019 怪奇幻想ホラーマンガ傑作選(文春文庫)

・020 妖怪マンガ恐怖読本(文春文庫)

・021 文人悪食 嵐山光三郎(新潮文庫)

・022 文人暴食 嵐山光三郎(新潮文庫) 

・023 奥の細道温泉紀行 嵐山光三郎(小学館文庫)

・024 日本文化の形成 宮本常一(講談社学術文庫)

・025 ふるさとの生活 宮本常一(講談社学術文庫) 

・026 仏教民俗学 山折哲雄(講談社学術文庫)

・027 恐怖特急 阿刀田高 選(集英社文庫) 

・028 探偵渡邊文雄の怨霊調査報告書(ごま書房)

・029 怪談 奇妙な話 山田正弘(二見書房)

・030 楳図かずお こわい本 異形1(朝日ソノラマ)

・031 楳図かずお こわい本 異形2(朝日ソノラマ)

・032 マンガ黄金時代 ’60年代傑作集(文春文庫)

・033 ドラえもん ほのぼの安らぎ編(コロコロ文庫デラックス)

・034 新撰組物語 子母澤寛(中公文庫)

・035 浮世双紙 二 石ノ森章太郎(秋田文庫)

・036 世界でいちばん優しい音楽1 小沢真理(講談社漫画文庫)

・037 歯車 石ノ森章太郎プレミアムコレクション(角川ホラー文庫)

・038 二十四の瞳 壺井栄(新潮文庫)

・039 砂漠の惑星 スタニスワフ・レム(ハヤカワ文庫)

・040 あほうがらす 池波正太郎(新潮文庫)

・041 馬上少年過ぐ 司馬遼太郎(新潮文庫)

・    自虐の詩 上・下 業田良家(竹書房文庫)再読

・042 西行の風景 桑子敏雄(NHK BOOKS)

・043 静かな木 藤沢周平(新潮文庫)









白血病闘病記 2006年 入院・治療 7月




7月 1日    土曜日

10時より今後の治療に関しての医師の説明がある。父と兄が同席。基本的には当初の予定通り、抗癌剤による地固め療法を今後も継続していく方向とのこと。これは現在までの治療で白血病細胞を顕微鏡レベルで確認できない(寛解)状態を維持していることによるもの。つまり現在治療は良好に進んでいるという事のようだ。しかし過去の事例からみて、今後再発の可能性はいぜんとして高いので、その場合の造血幹細胞移植の説明もされる。現在この病院では臍帯血を使った移植が多いが、移植のタイミングなどもあり、骨髄バンクの骨髄を使う事もあるとの事。いずれにしても、移植自体は普通の点滴と同じで大変な事はないのだが、移植に備える為の強力な抗癌剤投与と放射線によってもともとの造血幹細胞を完全に破壊するので、移植後も死亡も含めて生着(移植した細胞が正常に造血を始める状態)までのリスクはあるという説明だった。今の段階で考える事ではないが、最長で年を越す入院になる可能性も否定できなくなくなった。最短なのは後3回の抗癌剤化学療法のみで寛解を維持する事。この場合で後3ヶ月程度という事になる。半分冗談で、移植になった場合はB型(現在はA型)になってみたいとリクエストしてみた。これは造血幹細胞移植では血液を作り出す機能自体がリセットされる為、移植に使われる細胞の血液型になってしまうために起こりうることなのだ。せこせこしたA型よりおおらかにマイペースのB型になれるならなってみたいものだ。これは冗談ではなく本当の話。とにもかくにもジタバタしても始まらない。運を天にまかせるといったら投げやりに聞こえるかもしれないが、自分にできる事は医師の言う事を信じて治療に専念するしかないのだから。来週月曜日から3回めの抗癌剤治療が始まる。夕方医師から、明日の外出許可が出る。


7月 2日    日曜日

午前中、シャワーと洗濯。昼食後、外出の準備をしていると鷹澤君から連絡。これから見舞いにいくとの事。1ヶ月振りの外出であり、今後1ヶ月は外へ出られない事から、申し訳ないのだが外出を優先させてもらう事にする。ただ一瞬出かける時に会えた。塩野君も一緒に来てくれた。さて、病院を出ると予想以上に蒸暑い。昔から汗かきだったが、出かけて数分で汗がふきでる。目的地は徒歩15分程の総合スーパーなのだが、とにかく暑い。汗をふきふき何とか到着。3階の本屋へ。ハードカバーから始めて、歴史書、文庫と全てチェック。本屋に入ってから1時間半。買いたい本数冊にめぼしだけつけ、一旦地下へ。今日の夕食の弁当を物色。昨日からうなぎ弁当と決めていたのでそれを探す。こちらもめぼしをつけて、再び3階本屋へいく。チェックした本5冊を買い、弁当を買って帰途につく。4時過ぎになっていた。5時前に病院に帰り、さっそく洗濯。何ヶ月振りかのうなぎはさすがに焼きたてではないので味もそこそこだが、満足だった。量が少なかったのでお稲荷さん3個も追加。満腹。鷹澤、塩野両氏からの差し入れが部屋においてあったので見ると、大量の本。そろそろ借りていて読み終わった本の返却を考えないと、病室が本だらけになってしまいそうだ。今日買って来た、池波正太郎の「食卓の情景」が面白く、夜中の1時近くまで読んでしまった。


7月 3日    月曜日

朝食を食べていると、目の隅になにやら動く物をがある。よく見ると大きな蟻が一匹。おそらく昨日の外出の際にくっついてきたのだろう。無菌室に蟻がいるのもまずいだろうし、かといって殺してしまうのも何だかかわいそうだ。つかまえて、空いている薬の袋に入れ、屋上に放してやる。そのうち恩返しに来たりするかも。昼前から点滴が始まる。地固め第二段階である。今回は赤い抗癌剤。見た目はかき氷りにかけるいちごシロップに似ている。誰かがいちごシロップと入れ替えてもわからないかも。外の蒸暑さを考えると季節がら丁度いいのかもしれない。なかなか風流で粋な抗癌剤だ。夕方からなんとなく違和感。夕食は3分の1程度の食欲。前回もそうだったが、流動食に明日から変えてもらう事にした。夜も消灯の9時には寝てしまう。今回は抗癌剤がの効きが早いようだ。


無菌室
いちごシロップ

7月 4日    火曜日

終日、抗癌剤点滴。少しだるい。無菌室から一歩も出ず過ごす。


7月 5日    水曜日

二つある抗癌剤の内、赤い抗癌剤は今日で終了。もう一つのキロサイドは終日24時間ぶっ通しで月曜日からきている。昨日インスタントのコーヒーを口にするも味が違う。食欲も量の少ない流動食で十分という感じだ。夜、入院直前にやっていた仕事の完成DVDが送られてきた。CGと実写の合成特撮ドラマで、自分自身もすごくのってやれた仕事だっただけに楽しみにしていた。制作、CGと合成の担当がプロダクションI.G.さんだったのでその完成度に期待も膨らむ仕事だった。パイロット版という性格なので、細かい内容などはここで書くのは控えるつもりだが、期待を裏切らない出来であった事だけはお伝えしておきたい。もともとこういう特撮ドラマ思考があるので、本当に楽しい仕事でした。スタッフのみなさんお疲れさまでした。


7月 6日    木曜日

相変わらずの抗癌剤漬けの1日。昨日より食欲がなくなっている。抗癌剤の副作用といわれる、味覚異常、胃のむかつき、脱毛、だるさ等は一応全て出ているようだ。これが後3日。とにかく耐えるしかない。無菌室から出る事もなく、ひたすら本を読む。修行僧の様な1日である。


7月 7日    金曜日

今日は七夕である。だからといって何があるわけでもないが・・・・・久々にシャワー。洗濯。友人より「快獣ブースカ」が、Amazonから「古今亭志ん生名演集」が届く。話は少し変わるが、今回入院前に住んでいた事務所兼の部屋の手続きその他が全て終わった。家賃11万円の新宿区荒木町にある松島ハイツ(又はビル)102号を2年間使用していた。家主名は松島純子さん。引っ越し後、「有限会社 政健」(杉並区高円寺1)さんという業者に見積もらせた現状回復費として請求があった金額が49万4、306円。ちなみに、私は普通に煙草を吸い、極普通の生活者であった。何か特別部屋を汚す様な事はしていない。迅速な対応をしていただき、この金額を請求していただいた不動産業者は「昭和エステート株式会社」(新宿区四谷2丁目 第二河上ビル)さん。念のため、一般的な割合負担などの例をこの「昭和エステート株式会社」さんにすると、すぐに16万円の負担(最終的には敷金22万円から充当)となる。それから私は入院中の為、私と「昭和エステート株式会社」さん合意のうえ委任者2名を立てていたので、実際の交渉もこの委任者と「昭和エステート株式会社」さんとの間でおこなわれた。実に33万円の値引きしてくれるすてきな不動産業者さんは是非紹介しておかないと、今後の為にもよくないと思い、全て事実でもあることから、感謝も含めて紹介させていただく。その後、「昭和エステート株式会社」さんから支払いの事実がない領収証に日付けを入れずに印鑑押して送れなどの指示があったが、これはもちろん拒否。後日敷金よりの残金6万円の振り込みを確認後御送付申し上げた事を付け足しておこう。この辺は税務署さん注目かもしれない。ともあれ「昭和エステート株式会社」さん、商売繁盛おめでとうございます。そして2年間お世話になりました。という訳で、四ッ谷の部屋に関して全てが終わった。引っ越しなどを手伝ってくれた友人、知人に感謝である。ありがとうございました。


7月 8日    土曜日

明日の日曜までだと思っていた抗癌剤点滴が今日までである事がわかり、午後には終了。あの点滴スタンドから解放され、ホッとすると、現金なものでお腹が空く。さっそくレストランに行き、さるそばを食べる。まだ味覚が戻っていないのか味はあまりよくないが、病院食に飽きていたので満足。続けてハーゲンダッツのアイスクリーム。夜も売店のお弁当にする。夜、見たいテレビもないので、送られた「快獣ブースカ」を見る。素朴な(つまり素人臭い演技)や演出なのだが、それが味になっていてあきることがない。空き地や、原っぱ、商店街、私が育った昭和40年代の環境がそのまま舞台になっていることが、一種のデジャビューのように感じられるせいなのかもしれない。そしてそれは『臭い』の記憶でもあったようにおもう。池波正太郎も書いているが、下町といわれるような町には各々の『臭い』があった。これは情緒的な臭いではなく、物理的な臭いである。商店街には各食品店が「炒める」「揚げる」「焼く」「煮る」などの臭いがそのまま外へあふれ、融合し、その場の『臭い』を作っていたのだと思うのだ。これは団地や新興住宅地といわれた場所でも同じだとおもう。各家からやはり様々な『臭い』が排出され、場の臭いを形成していたようにおもうのだ。今や人はこの臭いという文化まで捨てようとしている。『臭い』=「排除」の対象なのだ。「消臭」の時代。それでいて排気ガスなどの臭いには慣れてしまって何も感じないのだ。そしてさら来るのは「除菌」の時代。自分が白血病になり、無菌室などに入れられると分かる事だが、人間が成長に伴い獲得する抵抗力とはいかにすごいものかという事。さながら現代は環境自体を無菌室にしようとしているかのごとくである。失いつつある臭いは、人間の情緒や感情にとっても必要なものなのかもしれないのに。


7月 9日    日曜日

点滴のない朝。やはりいいものである。今日は日曜日。日曜日の病院というのはやはり何だかのんびりしている。まぁ自分だけの感覚なのかもしれないが、空気がほんわかしているような気がするのだ。外来患者さんがなく、入院患者さんと見舞いの人、そして病院の関係者。平日のあわただしさがないようにおもう。午前中は志ん生を聞きながら、不覚にも寝てしまう。昼過ぎから、インターネット。国立博物館の資料を検索。画像検索なので時間がかかる。しかし検索の過程で様々な時代の絵巻や錦絵、浮世絵などを見ていると興味はつきない。4時間ぐらいあっというまに過ぎてしまう。そういえば、最近感じる事にこの時間の感覚がある。20年程前の20代中ごろに結核で6カ月入院したことがあるのだが、その時と時間の感覚が違うような気がするのだ。あの時の1ヶ月は本当に長く感じた。ところが今はその時の3倍くらい時間が早く過ぎているような感覚がある。後10日ちょっとで入院してから丸3カ月になるのだが、「えっ、もう3カ月?」という感じなのである。20年前には当然インターネットはなく、6人部屋で、できる事は本を読む事とラジオを聞く事しかなかったから比較にはならないが。今は無菌室という個室で、テレビとインターネットが楽しめる。意外と馴染んでしまっている自分を発見し、とまどうこともある今日この頃である。相変わらず朝と昼は流動食3であるが、食欲が出て来た。夜は売店のお弁当とおにぎり1ケ。デザートにアイスクリーム。味覚はまだ戻ってはいないがよく食べた。


7月10日    月曜日

熱が出るでもなく、安定している。午前中はシャワー。午後は読書とCD落語。思い立ってAmazonの古書3册購入。お腹が空く。夕食はレストランで「きつねうどん」と「カツ丼」を食べて久々の満腹感。さらにアイスクリームというコース。この8階のレストランで食事していると、目の前を一機のモーターパラグライダーが飛んでくる。ウエイトレスさんに聞くと時々飛んでくるそうで、その時は必ずこの病院上空まで来るそうだ。優雅に飛ぶその姿にしばし見とれる。 


7月11日    火曜日

突然ではあるが明日病室を変わることになった。現時点では個室か大部屋かわからないが、いずれにせよこの無菌室とはお別れである。思えば約3ヶ月。本当にお世話になりました。


無菌室無菌室
無菌室無菌室
さらば無菌室

7月12日    水曜日

午前中シャワー。その後部屋の引っ越し。一応無菌室仕様の個室である。いままでテレビは無料であったが、この部屋は一般病棟と変わらないので有料である。そのかわり、有料ではあるが電話がついている。しかし、疑問が一つある。通常こういった個室は差額ベット料金がかかるのだがその辺がいまいち確認出来ていない。病棟長の説明で保険が効く入院から3カ月の19日までは差額ベット料金は保険でまかなわれるがそれ以降は料金がかかるとのことだと理解したのだが、その話の時点で差額料金のかからない大部屋でいいと返答した。しかしながら、私の病気は治療中一時的ではあるが感染しやすい時期があり、無菌室は必要だとも思うのだ。事の性質上大部屋の無菌室があるとは考えにくい。自分の中ではっきりと納得できていないので、明日もう一度確認してみよう。差額料金は保険の対象ではないので、高額医療費の還付の対象ではない。もし、差額料金が発生した場合、1ヶ月に20数万円の負担が増える事になる。現在白血球中の好中球数がかなり減っており、主治医から感染のリスクが高くなっているので注意するよう指示があった。


無菌室
新しい我が家

7月13日    木曜日

やはりこの部屋は仮の宿であった。今月20日までには大部屋へ移動となるようだ。ちなみに、大部屋なら入院している必要があるのだろうかと主治医に聞いてみたが、まだ入院管理が必要との事。まぁ予想通りの答え。後2回予定されている地固めはそちらで受ける事になる。体調、食欲いづれも順調。


7月14日    金曜日

午前中、血小板の輸血点滴。外では暑さが相当らしい。熱中症が話題になっているようだ。夕方、雷を伴った激しい夕立ち。夕食はスパゲティーナポリタンとビーフカレー。一瞬食べられるか心配だったが結局完食。7時頃には雨がが上がり、夕焼けが。


無菌室

7月15日    土曜日

午後、突然看護士さんが来て「安静度があがった」と告げられ、病棟内以外へ出歩く事を禁じられた。好中球数がほぼ0になったのであろう。入院生活唯一の楽しみであった夕食も味気ない病院食に戻さざるをえない。当然売店へも行けない。洗濯へも行けない。


7月16日    日曜日

わずかな自由を奪われることが辛くなってきた。水を買いに行くことも出来ない。こうなってくるとあらゆる事が不満の種になってくる。部屋を移った段階で看護士達も変わったのだが、その看護が事務的で気に入らない。何か頼んだり、お願いしたりする気にならない。一言で言うならば「虫が好かない」ってやつだ。そのほかには、以前と違ってお湯を自由に使えない。いちいちナースステーションへ行ってもらわなければならないのだが、それも嫌になったので今日は水でインスタントコーヒーを溶かして飲んでいた。電気ポットをAmazonで購入した直後、この病棟では使用禁止だと聞かされた。事なかれ主義だね、まったくもって。その水ももう無くなるので何とか自力で手に入れる方法を考えなければならない。何で我慢できないとお考えの方もいるかもしれないが、同じように自由を奪われなければこれはわからないだろう。正直、4月に病気がわかった時点で後1、2週間ほっとけば死ねて、今より楽だったろうにとすら思ってしまう。ほんとに何もかもが嫌になる!水の宅配サイトを発見。注文する。


7月17日    月曜日

昨日はジタバタしてしまったようだ。少なくても後2カ月以上ここにいる事になるのだから、そんな事言ったって始まらない。あきらめるしかない。あ~ぁー 昨日から3食とも病院食。病院で出る食事のまずさといったら、作っっている人は味をみているのだろうかと考えてしまうほどだ。これからはお見舞いも本やCDではなく、消えもの(食事)がいいなぁ。本やCDはAmazonで買えるるけど、食べ物はなかなか。いわゆる生物(刺身、身がむき出しの果物、生野菜、生魚)でなければOKです。あくまで希望ですが・・・Amazonから注文していた本が届く


7月18日    火曜日

今日、個室から4人部屋へと移動した。後どのくらいになるかは分からないがここで過ごす事になる。昼食に出たとり肉がほんとに不味く、食べられなかった。私の味覚も完全とは言わないが、これはおそらく誰が食べても「不味い」と思うのではないだろうか。あんまり不味いので写真撮っちゃいました。4人部屋初日は、やはり良くは眠れず、4回もトイレに行ってしまった。まぁ、昼間寝て取り戻せばいいんですけど。


無菌室
さらば個室
無菌室
不味くておもわず記念撮影!

7月19日    水曜日

午後少し熱が上がる。昨日から抗生剤の点滴がはじまっているのだが・・・個室の住み心地は、可もなく不可もなくというところだろう。複数の人間が集う部屋ではそこにいるひとで環境が決まる。今は大人しい(静か)な人達と一緒なので助かっている。20数年前、結核で入院した時は6人部屋で、ベットを仕切るカーテンなどなかった。私はたまたま3人側のまん中だったので、どちらにも人がいる状況で6カ月過ごしたのだ。それに比べれば今はカーテンにより視覚的なプライバシーは確保できるので、当時とは雲泥の差である。昼間は「怪談新耳袋」「大魔人」のDVDを見て過ごしていた。


7月20日    木曜日

今日で入院丸3カ月が過ぎた。明日から4カ月目に入る。病気で入院している者は皆そうであろうが、退院までの日を指折り数える。しかし、今回のこの白血病に関してはどうなのだろうか。一応の目安は聞いているが、実際はその時にならなければ分からない。午前中のシャワー時脇の下のしこりに気が付く。触ると痛みもある。特に右脇の下のしこりが痛い。看護士さんに報告しておく。午後には熱も上がり始め、最高38°までいく。どうも1日3回の抗生剤が効いていないようだ。寝る時に氷り枕を用意してもらう。


7月21日    金曜日

脇のしこりが痛くなってきた。左側も痛みだした。触診にて、リンパの腫れだろうという事と何かの感染であろうという事が、断定ではないが言われる。安静度が上がり、アイソレーターをベットの上に置いてから一週間、病棟から出ていないのだが・・・・白血球数も1000と、戻る方向で増えているようだ。入院4ヶ月目に突入。洗濯にいきた~い。


7月22日    土曜日

10時にシャワー。今日は病院のすぐ前にある神社のお祭り。だが病室の窓からは残念ながら音しか聞こえない。病棟の隅にある窓へ行くとかろうじて少し見えた。遠くに見える神輿の列は、少し寂し気で幻のような儚さをたたえていた。午後には父、母、兄がやってくる。父が足をひきずっているのがきになった。母も昨年の入院以来、杖の世話になっているのだが、夫婦二人とも足に来ているとは・・・私も今病棟から出られないので、兄に洗濯と買い物を頼めて助かった。結局2時間以上足止めしてしまった。脇の痛みは昨日に比べ半分程度痛みになり、昨日の夕方から抗生剤が「メロペン」に変わったせいか熱も平熱になっている。


7月23日    日曜日

てぇへんだ!てぇへんだ!! 昼食にな、なんと”うなぎ”が。うなぎ大明神様じゃ~!こんな事して病院は大丈夫なのだろうか、潰れたりしないのだろうか。例え台湾・中国の養殖うなぎであろうと”うなぎ”様は”うなぎ”様じゃ~。”うなぎ”様を見ていると、生きる希望が湧いてくるのは私だけだろうか。先日から白昼夢のようによく見る夢に、『うな重の2段重ね』がある。いつかきっと実現してやる~。


7月23日    日曜日

てぇへんだ!てぇへんだ!! 昼食にな、なんと”うなぎ”が。うなぎ大明神様じゃ~!こんな事して病院は大丈夫なのだろうか、潰れたりしないのだろうか。例え台湾・中国の養殖うなぎであろうと”うなぎ”様は”うなぎ”様じゃ~。”うなぎ”様を見ていると、生きる希望が湧いてくるのは私だけだろうか。先日から白昼夢のようによく見る夢に、『うな重の2段重ね』がある。いつかきっと実現してやる~。


無菌室無菌室
うなぎ様じゃ~!頭がたか~い!

脇の下のしこりも抗生剤がメロペンに変わってすぐにほとんど痛みを感じないまでになった。抗生剤で治るということは細菌性のものではなかったかということである。


7月24日    月曜日

朝、採血。CRP値は下がっているようである。洗濯や、レストランでの食事、売店での買い物のお許しが出るのではないかと期待したが、何も動きはなしであった。終日部屋から出ず。コーヒーの味が少し戻ってきているので、朝から3~4杯飲む。夕方からは紅茶を2杯。DVD『大魔人怒る』と『わんぱく王子の大蛇退治』2本立て。


7月25日    火曜日

洗濯いきたい・・・売店いきたい・・・もうすぐ八月。夏休み。お盆・・・・それにしてもまだ梅雨明けしていないようだし・・・Amazonから本・CDが届く。『男の作法』をさっそく読んでいる時に偶然作者池波正太郎が白血病で亡くなっている事を知る。今までそんな事まったく気にしないで読んでいた。白血病が引き寄せたのだろうか。薄い本なのですぐに読了。『日本残酷物語1』を読みはじめる。


7月26日    水曜日

「病棟内フリーの許可が出ました」と看護士に伝えられた。聞いた私は一瞬何の事かわからなかったが、直に何の意味もない許可だという事に気が付いた。なんの事はない水が自動販売機で買えるようになるだけの事なのだ。洗濯はもちろん売店へ買い物に行けるわけでもない。正直そんなしょうもないこといちいち報告するな!というのが今の気持ち、うれしくも何ともないし逆に落ち込むだけだ。まったく。身近な家族といえば、老齢で足を悪くしている両親と仕事で忙しい兄しかいない私。両親には見舞いには来なくていいと言ってある。母は杖をつき、父は足を少し引きずりながら生活しているのだ。誰が来てくれと言えようか。その辺がまったく分かっていないのだ。自分の事は極力自分でやる。たとえどんな病気、病状であってもだ。毎日のように家族がきて、身の回り世話をしてくれるなどは望むべくもないのだ私には。と、ここまで書いているところで、何とか洗濯だけはOKとなった。正直「転院」または「自主退院」も頭をよぎっていたので間一髪というところであった。


7月27日    木曜日

午前中シャワー。その後洗濯へ。洗濯は何日振りだろうか。実に11日振りである。週末の外泊を許可される。次回地固めで背中への骨髄注射をする旨告げられる。背骨へ針を注すなんていかにも痛そうだが・・・・・外は相当に暑そうである。


7月28日    金曜日

明日からの外泊が正式に許可になった。月曜日31日の午前中までの予定である。とりあえずは、うなぎを食べまくる事になるだろう。外泊許可の申請書にも「うなぎが食べたい」というのが理由となっている。入院以来、初の外泊となる。3カ月振りに病院以外で寝るというのはどんなものであろうか。


7月29日    土曜日

今日から外泊。月曜までこの日記はお休みします。


7月31日    月曜日

29日、外は暑い。病院から一直線にうなぎ屋「川豊」へ。看護士さん達からここは美味しいと聞きさっそく訪問。店で一番高いうな重を注文。正直な感想としてはよく味がわからなかった。抗癌剤のせいだと思うが味覚がまだおかしいようだ。しかしうなぎはうなぎ、完食させていただきました。家へのおみやげに3人前持って実家へ。当然夜もうなぎとあいなった。駅の階段を登るも途中で息が切れてきて、登ったところのベンチで休まざるをえない。自分が病気であることを思い知らされた。30日、終日家でのんびりすごす。何もしない1日であった。31日午前中、ふたたび病院へ。採血による血液検査の後、午後にマルク。


○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・044 扇野 山本周五郎(新潮文庫)

・045 食卓の情景 池波正太郎(新潮文庫)

・046 大炊介始末 山本周五郎(新潮文庫)

・047 橋ものがたり 藤沢周平(新潮文庫)

・048 水木しげるの奇妙な劇画集 水木しげる(筑摩文庫)

・049 ウルトラマン誕生 実相寺昭雄(筑摩文庫) 

・050 散歩のとき何か食べたくなって 池波正太郎(新潮文庫)

・051 日暮れ竹河岸 藤沢周平(文春文庫)

・052 柳橋物語・むかしも今も 山本周五郎(新潮文庫)

・053 脇役 子母澤寛(文春文庫)

・054 味覚極楽 子母澤寛(中公文庫)

・055 私、映画のために1億5千万円集めました。 益田裕美子(角川書店)

・056 元祖怪獣少年の日本特撮映画研究四十年 竹内博(実業之日本社)

・057 伊丹万作「演技指導論草案」精読 佐藤忠男(岩波現代文庫)

・058 父の詫び状 向田邦子(文春文庫)

・059 雪明かり 藤沢周平(講談社文庫)

・060 思い出トランプ 向田邦子(新潮文庫)

・061 剣客商売一 剣客商売 池波正太郎(新潮文庫)

・062 男の作法 池波正太郎(新潮文庫)※作者が白血病で亡くなっている事を知る。

・063 日本残酷物語1ー貧しき人々のむれ(平凡社)

・064 むかしの味 池波正太郎(新潮文庫)

・065 日曜日の夕刊 重松清(新潮文庫)

・066 なめくじ艦隊 古今亭志ん生









白血病闘病記 2006年 入院・治療 8月




8月 1日    火曜日

8月になってしまった。春の盛りに入院し、季節は夏に。退院できるのは秋?、それとも冬?。午前中シャワー。その後洗濯。洗濯機2台分の洗濯。午後は手紙を書いたり本を読んだりで過ごす。


8月 2日    水曜日

午前中は特に何もなし。今日の夕食の味、臭いがまったく受け付けられなかったので、弁当を急遽買いに行ってしのぐ。白血球、好中球共に正常の範囲に入ってきた。前回よりはゆっくりめのようである。主治医から一食のみ以前のようにレストラン、弁当が許される。明日からである。


8月 3日    木曜日

午後一番でシャワー。Amazonから本が届く。今回は夏らしくホラーを中心にしてみた。夜トイレいけないかも・・・・・今日から夕食のみレストラン叉は弁当。きょうはレストランでそばとミニ天丼セット。やはり病院食よりは美味しく食べられた。明日はなにを食べようか。入院していると楽しみは食べる事ぐらいしかない。しかも月の半分ぐらいは抗癌剤の影響か味の感覚がかなりおかしくなってしうので、あるていどまともに食べる事を楽しめるのは残りの半分しかない。楽しめる時に楽しんでおかないと。こういうホームページをやっていると、見ず知らずの方から励ましのメールをいただいたりして驚く事がある。ありがたいことである。


8月 4日    金曜日

同室の方一人が退院。いままで4人部屋の入り口側だったのだが、窓側へ移動。いままでの所に不満があった訳ではないが、これがこの病院のしきたりらしい。一気に日中が明るくなる。窓から見える景色は以前無菌室から見ていたのと変わらないので特に新鮮味はないが、視界が一気に開けたので開放感はある。退院の時までここで過ごすのであろうか。夕食はスパゲッティーナポリタン、カレーパン


8月 5日    土曜日

私以外のの仲間達は仕事で充実した日々を送っているようである。それに引き換え私はといえば・・・先日の外出で思い知らせれたあの体力ではとても以前のような仕事は無理ではないか。どの程度回復するのかが今はわからないので何ともいえないが、正直階段の上で今にも座り込みそうな息をしている自分に愕然とし、次に情けなくて涙が出そうになった事はよく覚えている。自分の身体が自分の思うように動かないという苛立ちと焦燥感。何だか暗たんたる未来が少しづつ見えてきているような漠然とした不安が日に日に大きくなっている。もとのような生活に戻れる「回復」が「回復」だとおもっていたが、そうは問屋が卸さないかもしれない。抗生剤の点滴が今日よりなくなる。主治医が来て、月曜より地固め3セット目を開始する旨告げられる。今回は背中の骨に注射し、骨髄に直接薬を入れる治療があるようだ。同時に今日明日外出の許可が出るが、今日は何をしていいか分からず、明日近所のコンビニへ買い物に行く事にする。今日の夕食は病院の売店でのり弁とおいなりさん。


8月 6日    日曜日

昼、広島の原爆犠牲者へ黙とう。外出は結局コンビニではなく歩いて15分程のイトーヨーカドーへ行くことに。外は以外と涼しい。汗をかかないようにゆっくり歩く。本屋で本を物色。地下のとんかつ弁当屋で同室の人の分も弁当を買い病院へ戻る。とんかつを満喫し、洗濯。夜の洗濯室には誰もおらず以外と怖い


8月 7日    月曜日

今日から地固め3セット目開始。午後背中への骨髄注射(略して髄注・・・ピカチューの親戚?)から始まる。脳へ悪い血液が行かない為の薬を注入するそうである。思ったよりは痛くはなかった。その後「アクラシノン」という出来損ないのフランス人の様な薬の点滴が始まる。


無菌室
赤、青と来たらやっぱり・・・

入院直前まで撮影していた「お伊勢さまに学ぶ 豊かな自然と恵み」財団法人 神道文化会DVDが完成し送られて来る。まだ紀伊国屋版3本が編集中なのでそちらを観てから色々考える事にする。夕方ぐらいから、薬のせいか少し頭が重い感じがし始める。


8月 8日    火曜日

24時間ぶっ続けの抗癌剤点滴中である。少しだるさを感じる。ところで病院食には今までごはんとパンの選択肢しかないと思っていたのが、同室の人から麺の選択もある事を聞きさっそく夕食より変更してもらう。うどんであったが満足であった。何で早く教えておいてくれなかったのか。病院側からは麺の存在の説明は一切なかった。Amazonから本とDVDが届く


8月 9日    水曜日

朝から台風の影響か雨。私はここで何をしているのだろうか?この病気に治癒なんてありうるのか?もしないとすれば今こうしている時間は一体何の為の時間になるのだろうか?退院=治癒なのか?日に日に、「復活なんて出来るのだろうか」という疑問がふくれていく。以前のように仕事する事はかなり難しいことなのかもしれない。


8月10日    木曜日

昨日とはうって変わって日本晴れ。暑そうである。外には一切出ていないのでわからないが。抗癌剤続行中。少し気分がすぐれない。髪の毛も少量だが抜けはじめる。今回は5日間ぶっ続けの「キロサイド」と「アクラシノン」も明日まで連日あるようだ。味がわからなくなっているようで、コーヒーは昨日あたりから飲みたくなくなっている。とにかくこの点滴中は点滴スタンドを押して歩かなければならないので、わずらわしい。いきおいほとんど動かなくなるので終日ベッドの上で過ごしている事が多くなってしまう。午前中シャワー。その後洗濯。


8月11日    金曜日

朝からどんよりとした雲がたれこめている。コーヒーに続いて紅茶も飲みたくなくなる。後1日でとりあえず点滴スタンドからは解放される。夕方、晴れてくる。夜、主治医が来て明日の赤血球の輸血を告げていく。


8月12日    土曜日

昼前の点滴でやられた。気分がすぐれず、昼食はほとんど残してしまう。赤血球の輸血も午後に始まる。血小板以外の輸血は始めてである。いがいと遅くなり、午後5時に全ての点滴が終了。あわててレストランに駆け付けるも土・日は5時終了なのですでに終わっていた。しかたなく1階売店の味付きイカフライ弁当で済ませる。スパゲティーを食べようと楽しみにしていたのでちょっとがっかり。夜はDVDで「七人の侍」を観る。3時間27分、一気に魅せるその作品世界に没頭する。


無菌室無菌室
点滴の締めくくり

8月13日    日曜日

午前中、することもないのでシャワーにする。午後、友人3人(鈴木・安田・岡崎)が訪ねてくれる。差し入れにうなぎ。しかし味の感覚がまったくだめなのを再認識する結果となった。まったくといっていいほど味がしない。かすかに匂いを感じるだけである。美味しそうなうなぎなのに・・・しかし、久々の馬鹿話しに気分も晴れた。差し入れにヒッチコックとホークス、そしてタランティーノの「キル・ビル」などのDVD。夜さっそく「キル・ビル」を観る。タランティーノの日本おたく振りがいかんなんく発揮されているその内容に圧倒されっぱなし。千葉真一の「熱さ」も健在。とにかくタランティーノは日本的に「斬り」たかったんだろうと思う。最後の石井のやられ方だけ「ゾンビ」が入っているような。とにかく「2」が観たくなった(以前レンタルで借りて、最後まで観れなかったのはこの2かもしれないが・・・)。それから同じく差入れの「PLWTO プルートウ」浦沢直樹×手塚治虫も面白い作品で一気に読んでしまった。原作の「鉄腕アトム 地上最大のロボット」を再読したくなった。


8月14日    月曜日

午前中は晴れていたとおもったらにわかにかき曇り、どしゃぶりの雨になり、そしてすぐにまた入道雲の青空となるというような、まことに夏らしい天気だった。世の中は「お盆」のまっただなか。帰省ラッシュで100キロ渋滞等と聞こえてはくるが、病院には関係のない話し。病室から見える病院の駐車場もいつもよりは少ないかな程度で、外来も賑わっているようだ。朝の採血の結果は、順調に白血球数、好中球数共に下がっているようだ。あさっての水曜日に輸血をする旨報告が主治医からあった。午後はぼんやりとネットを見たり、本を読んだり、CDを聞いたりして過ごす。まだ頭が少し重い感じが続いている。味覚は今が最悪のようである。何を食べてももそもそした感じが舌にあるだけ。においもあまり感じない。夕食はレストランでスパゲティーミートソースを食べる。不思議なことだがデザートに売店で買っているアイスクリームの味は普通にする。何故なのだろう。


8月15日    火曜日

天気がぐずつき雨模様の1日。午前中シャワー。食事はレストランでカツカレー。先日から生物のサラダを最初からつけなくていいとリクエストすると、替りにコーヒーをつけてくれる。感謝。夕方、同室の方の容態が急変したのだが、すぐに持ち直しホッとしている。歩けないのでお茶を運んであげる。夜は久々に「快獣ブースカ」DVD。相変わらずの夢のある話にひきこまれる。


8月16日    水曜日

ぼんやりと過ごした一日。午前中は天気もぐずつき、雨も。午後になり夏らしい積乱雲が空に描かれる。窓越しの風景、特にベットに横になり空だけ見ているとそこは画のような世界だ。窓枠が額縁である。血小板の輸血。終わってからアレルギー反応のかゆみと発疹が少し出る。すぐに薬でおさえると一時間もしないで消える。しかし37°代の微熱が夜まで続く。朝の採血の結果は白血球数が1100、好中球値が11。間もなく安静度が上げられ、行動に制限が出る日も近いだろう。夕食はそばと天丼のセット。差し入れのDVD「三つ数えろ」を見るが、集中できなかったせいもあるのか、あまり面白い作品ではなかった。ボガートはかっこいいマーローだっったが、バコールの魅力が生かしきれていないと感じた。撮影も特に特筆するような技術は感じられなかった。


8月17日    木曜日

午前中少し雨が降るも午後は晴れる。夏らしい空だ。昼間はネットラジオで音楽を聞いて過ごす。今、剣客商売の本が残り一冊残るのみの状態で、次の本が到着するのが日曜か月曜になりそうなので、わざと読まずにいる。夕食はスパゲティーナポリタン大盛り。味はあいかわらずまったく分からないが、満腹感はあった。夜は差し入れDVD「バルカン超特急」。観るのはおよそ20年振りぐらいだろうか。ヒッチコックのイギリス時代の作品。何かDVDの字幕がせわしなく翻訳も稚拙な感じがする。しかし列車に乗ってからの展開はスリリングであきさせないのはさすがと思わせる。列車関連でミニチュア特撮が多用されているのはやはりイギリスの伝統であろうか。この辺の感覚日本映画に非常に近いものがある。スクリーンプロセスなどの簡易な合成も効果的に使われている。列車の窓伝いに男が移動するその向こうから対向列車がすれ違う場面など後の列車サスペンスには必ずといっていいほどの定番となった。9時ぐらいには観終わってしまったので、「快獣ブースカ」を3本程観て就寝。


8月18日    金曜日

今日は朝から快晴。昼過ぎ、ひょっこりと父が現れる。高齢なので、この暑さのなか電車をのりついでやってきたのかと思うと逆にこちらの方が心配になる。夕方、レストランから戻ると、安静度が上がった旨知らせが。明日から3食とも病院食になる。夜はDVDでヒッチコックの「見知らぬ乗客」。昨日の「バルカン超特急」よりもよりヒッチコックらしさが顕著になっている作品である。殺人、狂気、時間のサスペンス等など。娯楽性の高い作品。映像的にも「眼鏡に写る炎」や「画面をかたむけた不安定な構図」など凝っている。おおいに楽しめた。


8月19日    土曜日

今日からベットの上にアイソレーターという簡易の無菌室をつけられる。白血球、好中球数が上昇するまでは行動に制限が加えられる。飲み物を買いに行く以外は終日ベットで過ごす。夜、耳鳴りがひどく体も何となくだるい。8時過ぎには寝てしまったようだ。


8月20日    日曜日

今日で入院後丸4ヶ月が経過した。早かったような、遅かったような。とにかく短くはない日々ではあった。この白血病という病を宣告され、何だか分からないうちに入院し、治療しながら馴れていったというのが正直なところ。最初の月は、熱が40°突破したりはじめての抗癌剤に気持ち悪くなったり。次の月は貧血症状に悩まされ。3カ月目は無菌室から大部屋へ引っ越し。比較的安定した4ヶ月目。後どのくらいで退院できるのかは今のところ分からないが、順調であれば来月一杯といったところなのだろうか。予断は禁物だが・・・Amazonからやっと本が届いた。


8月21日    月曜日

今日から5ヶ月目に突入!!春・夏・秋と三つの季節を過ごす事になるのでしょう。先日読んだ「夕凪の街 桜の国」という漫画をふたたび読む。ヒロシマで被爆した人々の3世代に渡る物語。しかしその語り口はやさしさに包まれている。短いお話の中にこれらを巧みに織込んでいる。「生きてしまった」事に苛まれる皆実(みなみ)が同僚の平野から愛情をしめされて戸惑い、悩み、「生きて行くこと」に気が付いた時に運命はそれを許さない。淡々とした語り口が逆に皆実の生を際立たせる。版を重ねているようなので相当読まれているようだが、素晴らしい作品でした。きっと今後もくり返し読むことになる作品です。夜、少し微熱が出る。


8月22日    火曜日

「夕凪の街 桜の国」には風と匂いが描かれている。だから物語がすんなりと心に染込んでくるのだろう。作者のこうの史代、しばらく追い掛ける事になりそうである。一日中アイソレーターの中で過ごす。音楽を聞いたり、本を読んだり。アイソレーターにかかるビニールを通してみる風景は少し歪んでいる。雲も空も建物も。終日微熱がある。37.2~5°ぐらいをフラフラと。入院当初、43.3°まで熱が上がったのが懐かしいと看護士さん。確かに私は昔から熱が出やすく、しかも出る時は高熱になる事が多い。今までも40°を突破した事は記憶しているかぎりで3回ある。37°台ではびくともしないのである。


8月23日    水曜日

CRP値が上がっているようで、今日から抗生剤メロペンの点滴が追加された。今日は夕方と夜の2回だが、明日からは一日3回となる。日中少し雲が出たがおおむねよい天気の一日であった。外は暑いんだろうな・・・昼すぎから「二十四の瞳」をふたたび観賞。この作品も昭和29年の作品。この昭和29年は「七人の侍」「ゴジラ」も公開された年である。今にして思えば凄い年だな。夜は先日Amazonで購入した「飢餓海峡」のDVDを観る。3時間の大作だが、何回観ても飽きない。もう一体何回観ただろうか。おそらく2、30回ではきかないだろう。伴淳三郎が素晴らしい。監督の内田吐夢からそうとう厳しい演技指導をされたようだが、執念の刑事を演じきっている。左幸子、三国連太郎も素晴らしい。あのトロッコでの出会いの場で美味しそうにおにぎりにかぶりつく二人は何度観ても印象に残る。文句無しの傑作である


8月24日    木曜日

昼頃から熱が38、3°まで上昇。採血とレントゲン。抗生剤が増やされる。食欲はあるが、体がだるい


8月25日    金曜日

朝、熱が38、6°まで上昇。夕べは寒気も短時間だがあった。夕方39.1°まで一時的に上がる。解熱剤を服用。熱は36.9°まで下がる。終日ベットの中なので腰が痛い。


8月26日    土曜日

朝、38.8°。夕方、38.9°。双方とも解熱剤の服用で平熱まで下がる。夕食は、同室の方が外出で買ってきてくれたパンをいただく。おいしい。


8月27日    日曜日

今日は誕生日。とりあえず47年間は生きる事ができた。熱は朝、36.3°。夕方は37.7°。38°台になることはなかった。ようやく抗生剤が効いてきたようだ。おそらくCRP値も下がっているだろう。解熱剤は使用せずに抗生剤の点滴のみで過ごす。一週間で9册の本を読了してしまった。少しペースを落とさないと、本を買い過ぎてしまう。ゆっくり読んでいるつもりなのだが、やはり有余る時間がそれを許してしまうのだろう。病院で47歳になった。


無菌室
47年目・・・状況

8月28日    月曜日

空には秋の気配がする。外の事はわからないが、気温もそれほど高くはないのではないだろうか。朝、採血。白血球、好中球共にプラスに転じているような気がする。CRP値も下がっているだろう。そろそろ安静度も下がるのではと期待している。何せ、アイソレーターをベットの上につけられてから11日目、洗濯にも行かずに耐えて来たのだから。あさっての採血の結果で決まるのではと思っている。とりあえず今日の採血の結果は知らせてもらえなかった。


8月29日    火曜日

CRP値は6.6。思った程下がってはいなかった。白血球数も1200。ただ熱は上がらないので楽だ。午後、赤血球の輸血。ヘモグロビンが5.7と普通の半分しかない為だ。貧血症状としては耳鳴りぐらいのものなのだが、念の為だろう。先月より全体の回復ペースが遅くなっているようだ。アイソレーター12日目。解放されるのはいつになるのか・・・


8月30日    水曜日

静脈カテーテルからの採血や点滴がうまくできなくなった。何らかの原因で管の内部が詰り気味なのだろうか。明日管の入れ換えをおこなう事に。採血の結果、白血球数は1900。とりあえず洗濯はOKになった。アイソレーターはまだ外れない。夕方さっそくたまった洗濯をかたずけに。夕立ち。夕食に以前買ってあったミニカップヌードルカレー味を食べる。久々なのでうまい。


8月31日    木曜日

看護師長がやってきて、部屋を変わってほしいと突然告げられる。病棟に女性の大部屋をつくる為に男性患者を整理しているとのこと。それによってまたまた無菌室へ移動となった。決して病状がわるくなったからという訳ではなく、あくまで人数整理の為とのこと。以前いた準無菌2ではなく、無菌2号室へ。また冷蔵庫が使えるのが唯一嬉しい。しかし、大部屋にも慣れたところで移動となったため、話す人もいなくなり、人の気配も遠ざかってしまった印象があるせいか少し寂しい。


○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・067 あやかし通信『怪』 大迫純一(ハルキ・ホラー文庫)

・068 怖い本1 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)

・069 怖い本2 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)

・070 怖い本3 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)

・071 剣客商売二 辻斬り 池波正太郎(新潮文庫)

・072 きよしこ 重松清(新潮文庫) 

・073 東電OL殺人事件 佐野眞一(新潮文庫)

・074 剣客商売三 陽炎の男 池波正太郎(新潮文庫)

・075 怖い本4 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)

・076 怖い本5 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)

・077 東京伝説 死に逝く街の怖い話 平山夢明(竹書房文庫)

・078 東京伝説 渇いた街の怖い話 平山夢明(竹書房文庫) 

・079 もっとソバ屋で憩う 杉浦日向子とソ連編著(新潮文庫)

・080 PLWTO プルートウ 01 浦沢直樹×手塚治虫(小学館)

・081 PLWTO プルートウ 02 浦沢直樹×手塚治虫(小学館)

・082 PLWTO プルートウ 03 浦沢直樹×手塚治虫(小学館)

・083 夕凪の街 桜の国 こうの史代(双葉社)

・084 剣客商売四 天魔 池波正太郎(新潮社)

・085 怖い本6 平山夢明(ハルキ・ホラー文庫)

・086 ホクサイの世界 小松左京ショートショート全集1 小松左京(ハルキ文庫)

・087 西の魔女が死んだ 梨木香歩(新潮文庫)

・088 われはロボット[決定版] アイザック・アシモフ(ハヤカワ文庫)

・089 第三の時効 横山秀夫(集英社文庫)

・090 月よ、さらば 小松左京ショートショート全集2 小松左京(ハルキ文庫)

・091 剣客商売五 白い鬼 池波正太郎(新潮社)

・092 終着の浜辺 J・G・バラード(創元SF文庫)

・093 果てしなき流れの果に 小松左京(ハルキ文庫)

・094 剣客商売六 新妻 池波正太郎(新潮社)










白血病闘病記 2006年 入院・治療 9月




9月 1日    金曜日

9月でございます。秋ふかしの9月でございます。天高くでございます。この空の下、柴又のさくらやおいちゃん達も・・・う・・・ゆ、夢か・・・Amazonから本が届く。「こっこさん」を読了。こうの史代、この人はまず絵がうまい。お話も日常のありふれたものなのだが、絵で魅せる。買って正解でした。読んでいると知らず知らず、心がフワーっとしたもので満たされていることに気付く。そんな作品です。今日やっと安静度が下がり、病院内フリーとなる。白血球数2900。さっそくレストランで「カツカレー大盛り」を。娑婆のめしはうまいなぁ〜。


無菌室無菌室
新しい住処

9月 2日    土曜日

静脈カテーテルの調子が1週間前ぐらいからおかしかったのだが、今日入れ替える事になる。「翼はいつまでも」川上健一読了。最初ビートルズ絡みの青春小説とのことで最後まで読めるかどうか不安があったのだが、面白くて最後まで一気に読んでしまった。主人公の中学生と同じく私も中学時代に野球部だったし、小説とは逆だが転校にまつわる想い出もあり、素直に感情移入ができた。夏、十和田湖の木製棧橋に座る主人公の神山と斉藤多恵との情景が美しい。少しのびてきていた頭髪が抜け始めている。先週ぐらいから抜け始めた眉毛ももうやばい。「仁義なき戦いー成田死闘編」である。夜道でいきなり刺されるかもしれない面相になってきた。


無菌室
往生しいや!!

9月 3日    日曜日

こうの史代の本をゆっくり読もうと考えていたのだが、面白くて全部読んでしまった。「さんさん録」では人が死んでも残せる言葉という魂がある事を。「長い道」では男女の気持ちのすれ違いを。ぴっぴら帳では人々の優しさを。各々が傑作だとおもった。何度も読み返す作品になるだろう。惚れ込める作品である。「ぼくらのサイテーの夏」も夕食後から読み始めて読了。短い作品だが、テンポがいいので一気に読めた。9月の地固め治療が11日週からになりそうな気配である。そうなってくるといままでの経過からも治療後の経過観察に3週間はかかっているので、9月中の退院はどうもなさそうである。順調にいって10月上旬か中旬になるだろう。とにかくその時までどうなるかはわからないが・・・夕食は売店の弁当とカップラーメンで済ませる。このところ一日2個アイスクリームを食べてしまっているせいか、太りはじめてしまったでも病院内だけだが、自由はやっぱりいい。


9月 4日    月曜日

隣の部屋にやってきた新入院患者のテレビの音に終日悩まされる。挨拶にも来ないので今現在どんな人物なのかも分からないが常識を疑う様な人間である事は間違いない。上の写真左を見ていただくとわかると思うが、今いる無菌室にはドアというものが無い。廊下はおろかドアから外の音は筒抜けである。他の準無菌と言われる部屋にはスライドドアがついているのだが。その無菌室が2部屋あり、その一つに私、もう一つに非常識氏が入っているわけである。ドアのない部屋でイヤホン無しでテレビを見れば音は外へ簡単にもれる。夜10時前まで我慢したがさすがに消灯時間も過ぎているので看護師を通じて抗議。とりあえず音はやんだのだが、翌日(5日)の朝5時から再びテレビの音で起こされる。すぐにナースコールで対処してもらう。こういう人間もいるとあきらめればそれまでかもしれないが、一体何をしに来ているのか、自分の家と勘違いしているとしか思えない馬鹿野郎のようだ。と、ここまで書いて6時に再びテレビの音が。今度は直接「イヤホンで聞け!」と本人に伝える。本人は後で看護師に「ここは個室ではないのか」とか言い訳していたようだが、完全防音の個室ならいざ知らず、ドアも無い部屋で音出してるその常識の無さ、看護師も「説明不足でした」などと謝る必要等どこにもないのだ。周りに気配りもできない、その事自体が問題なのだから。


9月 5日    火曜日

明日までで抗生剤の点滴を終了する旨報告があった。今回は前回7月に比較して、白血球の戻りも、炎症反応(CRP値)の回復も若干遅かった。さすがに抗癌剤を4回流し込んでいるので、骨髄も疲れて来たのか。木曜日にマルクをおこない、その後は外出か外泊が許可になるであろう。来週11日から最後(予定)の地固め抗癌剤点滴がはじまる。「復活の日」小松左京 読了。


9月 6日    水曜日

朝から雨模様の天気。終日読書。「機関車先生」伊集院静 読了。我ながら本を読むペースが早すぎる。もう補充を考えなければならなくなりそうないきおいだ。夜はレストランでハンバーグ定食。抗生剤の点滴を終了する。CRP値は0.5。「クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」、何度めかは忘れたが観る。相変わらず、家族の素晴らしさが伝わる感動作。病院に入院していると、毎日家族が訪れる人とそうではない人とがいる。私の所へはもちろん誰も来ないが、それは家族を持たなかったから。だから寂しいとかいう訳ではないが、家族の持つ素晴らしさは分かる。人間として生まれたからには家族をつくる事が義務だという考えもある。前から時々思っていたのだが、私はその義務を果たさないが為に滅ぼされようとしているのではないか。つまり動物的には種の保存などの義務を果たさない生命だということでその生命を断たれようとしているのが現在の状態や、過去の大病ではないのか。それを現代の医学というのが救ってくれているだけでなのではないか。ふとそういう思いに駆られる時がある。しかし、私は自分がかかわって生み出す映像作品が家族だと思っている。生み出した後一人歩きをして成長していく。その映像作品を生み出す為には生きていなければならない。今生かされていると考える事もできる訳だ。ともかく、「クレヨンしんちゃん」はその家族を擬似的に体験できるという意味でも私にとっては貴重な作品なのである。深夜、隣のアイソレーターの轟音で目が覚める。しばらく我慢していたが止める気配がないのでやむなくナースコール。静かになる。隣の迷惑氏、なかなか手強い。


9月 7日    木曜日

日射しも風も秋の気配である。今年は残暑もなくこのまま秋になってしまうのだろう。昨年の残暑が嘘のようである。午後、骨髄穿刺(マルク)。主治医が夏休みで今週は不在の為、他の先生におこなってもらう。外出、外泊の許可も近くなっているだろうか。多少雨も降っていたようだが、穏やかな一日だった。


9月 8日    金曜日

午後外出。前回から1ヶ月以上出ていなかったので久々である。看護士さんお薦めのうなぎやさんへ。住宅街のまん中にまるで喫茶店のような店構え、正直「大丈夫かな」と思わせる。店内にはジャズが流れ、本当におしゃれな喫茶店のようだ。しかしながらコーヒーはないようだ。特上のうな重を注文。以前成田駅前の川豊という老舗のうなぎやへ行き注文したら5分とかからず出て来た。おそらく既に焼いてあるものを温めただけであろう。しかしここ「鰻処さかた」は違った。注文を受けてから焼いているようだ。15分程して特上うなぎが置かれ食す、これがうまい。実に香りといい、鰻の質といい、たれの加減といい、いいのだ。こじんまりとしたお店だが実においしい鰻を食べさせる。老舗の奢りの前にこういった小さなお店の頑張りが勝っている。体の方は相変わらず。判断を誤り、長袖を着て外出したのが失敗。出て5分もしないうちに汗びっしょり。公園などで汗をひかせながら少しづつ進む。15°ぐらいの勾配の坂でフーフー息が上がる。本調子にはほど遠い。予定は6時過ぎだったが、4時には病院へ戻ってしまった。


9月 9日    土曜日

午後外出。外出2日目。病院を出、昨日目をつけておいた中華屋へ。残念ながら土曜日定休の文字。その少し先にあった中華屋へ入り、高菜チャーハンで昼食。少しべちゃっとしていたが、味はまぁまぁ。味の感覚はほとんど戻っているようだ。店を出、周辺をぶらぶら。日が出ていて暑い。汗が滝のように流れる。喫茶店に避難しアイスコーヒー。ひとごごち。汗もひく。病院前の神社にお参り。ふたたび外へ。とたんに汗が。木陰で休み休み。本屋へ。本を3册購入。また周辺を歩く。汗が。アイスコーヒーでのどを潤す夕食用にコンビニで幕の内弁当を買って病院へ戻る。昨日よりは調子がいいようにおもうが、やはり長い距離やゆるい坂などは息が上がり気味。だがこうやって少しづつ慣らせば回復していくような気も。久々の長時間散歩に、足の筋肉が少し痛む。明日も午後外出の予定。


9月10日    日曜日

午後外出。外出3日目。今日は暑い。日射しが夏に戻っている。汗が一気に吹き出す。おととい目をつけていて昨日定休だった中華屋へ。チャーハン560円。昨日の店よりはうまかった。あまりの暑さに、一旦病院へ戻る。1階ロビーで汗がひくのを待つ。30分程休む。イトーヨーカドーへ。昨日も一昨日も行っているが、歩いていけるのはここぐらいしかないので仕方ない。しばらく木陰で休む。友人へ電話。とりとめのない話をしているうちに汗もひく。店内へ。本屋へ向かい、文庫の書棚を端から全てチェックしていく。2時間ほど本屋で過ごし本を2册購入。地下のスーパーで以前4人部屋の時親しくなった人から頼まれた寿司とかきフライを買う。私はロースかつ弁当。たらたらと病院へ戻ると5時20分頃。洗濯を仕掛け、夕食には買ってきた弁当を食べる。あいかわらず、ほんの少しの坂道がつらいし、15分以上の歩きはしんどい。ヘモグロビン値が通常の人の半分程度しかないのが辛さの原因。この値は入院して抗癌剤治療が始まってから平常値まで回復した事はない。夜、看護士の人と話していて、「半分の値で我々何かだと立ち上がる事もできないだろう」とのこと。正直歩いている事自体驚異的な事らしい。この病気の患者はもうそれに慣れてしまっているので普通に動く事ができるのだそうだ。この値は抗癌剤治療をやめ、造血力が回復していけば正常値へ戻っていくが、どのくらいの期間で戻るかは個人差があって一概には言えないとの事。仕事への復帰の鍵となるのがこの値かもしれない。


9月11日    月曜日

今日から地固め抗癌剤点滴の4セット目開始。予定ではこれが最後である。寛解導入と合わせると5回目の点滴となる。何だか今回のは効きが早いような。午後抗癌剤の点滴が始まってからすぐにだるい感じがしてきて寝てしまう。昨日までの外出の疲れなのか。今はこのだるさだけである。


9月12日    火曜日

昼前、胸のあたりに違和感を感じる。すぐに心電図をとるも異常はなし。何か以前にも感じたような記憶がある。夜主治医から念の為レントゲンを撮る旨報告あり。「愛のひだりがわ」筒井康隆、「ものいう髑髏」夢枕獏 読了。入院直前までやっていた仕事、「伊勢神宮」のDVDが届く。


9月13日    水曜日

胸の違和感調査の為のレントゲン。特に異常はないようだ。だるさ、食欲後退がある。抗癌剤のせいであろう。あまり動こうという気もしない。「高円寺純情商店街」ねじめ正一 読了。


9月14日    木曜日

今回の抗癌剤は従来のキロサイドに加え、「ラステッド」という。地固め4セット目でラストだから「ラステッド」。なかなか粋な名前をつけるじゃないかと思ったら、そういう意味ではないとすぐに否定されました。だるさが少し軽減したような気もする。終日雨模様の天気。台風のような風が吹いている。


無菌室
ラステッド

9月15日    金曜日

晴天である。雲はすっかり秋の雲である。抗癌剤点滴は休みなく続いている。いつもより食欲が少しない程度でそれほど辛くはない。舌にカスの様なものがつくぐらいでその他に気になる様な事はない。熱も平熱が続いている。耳鳴りは小さくではあるが続いている。地固め開始から3日間便秘していたが、自動販売機のコーヒーの効果は素晴らしく、今日全て「出た!」という感じである。ホントにこれは効く。買える内にと6個買って常備する事にした。今の私の眉毛および頭髪の状況であるが、下の写真を御参考に願いたい。対社会的にはOKであろうか?「剣客商売七」 読了。


無菌室
まだ少しあるといえばある・・・

9月16日    土曜日

雲が多くハッキリしない空模様だ。台風13号の影響かもしれない。赤血球の輸血が追加されていたが、今日でいよいよ地固め抗癌剤投与が終わる。連続120時間点滴もこれで最後になるか。当初の予定で行けば、この後経過を見て判断になるはずだが。上手くいって後4〜5週間だろうか?まぁ「捕らぬ狸の皮算用」にならなければいいが。午後4時55分、点滴終了。これで約5カ月にわたった治療の予定は全て終了した。ちょうど「2001年宇宙の旅」の木星での惑星直列のカットの時だった。


無菌室無菌室
最後?の抗癌剤

レストランへ久し振りの食事に向かう前、屋上に出ると秋の空が広がっていた。「生きてるんだなぁ」としみじみと思う。普通の人にとってはなんの変哲もないいつもの空なのだろうが、私にとっては涙があふれそうになる空だ。この空を永遠にとどめておきたくなり、病室へ戻ってカメラをとり再び屋上へ。忘れたくない空だ。


無菌室
2006年9月16日、治療終了の空

と思ったら、今回18日と20日に30分程度の点滴だが抗癌剤の投与があるとフェイントかまされてしまいました。トホホ・・・


9月17日    日曜日

朝、曇り。午後になって雨。午前中に洗濯を済ませ、部屋に返って音楽を聞いて過ごす。午後、友人鈴木氏が訪ねてくれる。事前に半村良「妖星伝」(講談社文庫)全巻が古本屋にないか調べてもらったのだが、なかったそうである。このカバーデザインが横尾忠則の文庫が現在絶版となっていて、入手が難しいようだ。それでついでと言っては何だが、食パン(6枚切り)を買ってきてもらう。何だか急にトーストが食べたくなったからだ。残念ながら病院の売店では売っていないのである。後、村上春樹「アンダーグラウンド」を差し入れてもらう。感謝。4時頃から雨が本格的に降り始める。九州では台風の影響で大雨が降り、竜巻きが発生して列車が横転していた。


9月18日    月曜日 

まだ台風の影響なのか一日中はっきりしない天気。雲の流れが早い。昨日差し入れてもらった食パンをトーストにして食べる。5カ月振りのトーストである。病院食にもパンはあるが、何故かトーストはない。まぁ、何百とトースト作ってたら大変な事になるからだろうけど。無菌室共同のオーブントースターで久々にこんがりと焼き上がったトースト。おいしかった。午前中、オンコビンなる抗癌剤を点滴。少量で5分もかからなかった。


無菌室
料理で言えば仕上げの調味料といったところか
     

鏡などそれほどしげしげと見る方ではないが、頭の毛の生え方がおかしいことに気付く生え方がおかしいのではなく、ところどころが抜けてしまった結果なのだろう。おもいっきり斑(まだら)だ。このままだと長さがまちまちの頭になってしまう。床屋へいって一度剃ってしおうか。先日の外出の時もこの頭でうろついていたんだなぁ・・・


無菌室
二百三高地?
     

テレビで吉野屋の牛丼復活のニュース。2年半近く姿を消していた吉野屋の牛丼が一日限定だが戻ってきたのだ。画面ではおいしそうに牛丼を食べる人々の姿が。よくたべたものなぁ。仕事の時など、朝から牛丼で全然平気なぐらい好きだった。 あ〜食べたい夜、セルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」をテレビでやっていて2時間ちょっとみたところで眠くなってしまい、結局寝てしまった。面白かったので最後まで観たかったのだが1時近くまでおきているのは少々つらい


9月19日    火曜日

午前中シャワーを浴び、洗濯。1階の床屋へ行き、頭もヒゲも剃ってもらう。何かあやしい坊さんがそこに。


無菌室無菌室
厳しい抗癌剤修行を経て得度いたしました僧名”昭覚(しょうがく)”と申します

午後、主治医から安静度の上がったことが告げられ、売店、レストラン禁止となった。何か予感はしていたのだが、意外に早くやってきた。また気の晴れない監禁状態の日々がやってくる。 今日Amazonでまたポチっとしてしまったので、それが届くのを楽しみにしていよう。インターネットで「白血病」を久々に検索。化学療法で退院後もかなりの高確率で再発しているのが実体のようだ。もちろん「完治」という人もいるが、これは今後も厳しい現実が待っていることがある事ももう一度再認識しておいた方がよさそうだ。


無菌室無菌室無菌室
眉毛で遊んでみました。    今現在 → とほほ → おじゃる丸

9月20日    水曜日

気が付けば今日で入院丸5カ月が経過した。季節は春、夏、そして秋と変化した。入院生活、気楽にやっているようで実は結構ストレスも多い。非日常の世界であることは間違いないのだから。自分でもよく耐えてるなぁとおもうぐらいだから、時々イライラした他の患者さんを見たりするとその苛立ちがよくわかる。私だけでなく入院していいる人全てに同情したくなる。こんなに時間をかけて治療しても、結局再発するならこの時間は一体何の意味を持つのだろうか。考えても仕方のない事を考えてしまう。午前中、最後?の抗癌剤フィルデシンを点滴。午後、血小板の輸血。少しアレルギーが出る。「急性骨髄性白血病」、これが私が抱えている病気の名前である。


9月21日    木曜日

入院後6ヶ月目がスタート。秋晴れの一日だが肌で感じる事はできない。味覚が完全におかしくなっている。何を食べても「もさもさ」しているだけで美味しくない。抗癌剤の副作用であろう。午後、背中に違和感があり触ると腫れている。押すと痛い。見えないので何とも形容しがたいが、虫刺されのような感じらしい。明日皮膚科で診察してもらうことに。夜痛くて寝返りうつのも一苦労。


9月22日    金曜日

午前中Amazonからの荷物がおかしな事になっているので、各方面へ電話。クレジットカード決済で購入しているのに、「代引」になっているお金を警備へ預けてくれとの電話が昨日あったのだ。結局、配達員の勘違いという結論。でも正直言うとすっきりしない。私が直接受け取る訳ではないので、もし勘違いしてお金を預けてしまえば簡単に二重取りも可能な訳だ。午後、皮膚科の診察。背中の腫れは、細菌への抵抗力が低くなっているせいでおきているらしい。抗生剤の点滴で治療するとの事。さっそく夕方より抗生剤(メロペン)の点滴がはじまる。Amazonからの荷物も無事到着。背中はあいかわらず痛く、仰向けで寝るのに一苦労である。


9月23日    土曜日

撮影監督の奥村祐治氏から「映画撮影」が送られてきた。みんな頑張っているのを見て、映画撮影の面白さと同時に、独り取り残され、遠くになっている自分を感じる。何だかもうそこへは戻れないような寂しさといったらいいだろうか。背中の腫れ物は変化なし。夜、熱が突然38.1°まで上がるが、氷り枕と抗生剤ですぐに下がる。


9月24日    日曜日

37.1°で目覚める。今日からバンコマイシンという抗生剤が追加。ずっと読書の一日。外は秋晴れ。夜、37.8°。半村良「石の血脈」読了。


9月25日    月曜日

熱はあいかわらず37°前後をふらふらしている。背中の腫れは幾分痛みが軽くなってきた。鏡でみると自分の予想以上に赤黒くなっているのでびっくり。バンコマイシンが一日にニ回。メロペンが三回。抗生剤が効きにくい体になっているのだろうか。夜、「クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険」のDVDを見る。私がそもそもクレヨンしんちゃんを見続けるきっかけになった作品である。ちょうど今から10年前になるだろうか、テレビで放映しているのを何気なく見ている内に引込まれてしまった。特に「すげーなすごいです」のカードを預けられたしんちゃんの日常描写とス・ノーマン・パーの描写には感心した。その後映画シリーズをレンタルビデオで直にチェック。そのエンタテイメント性の高さに驚かされる。以後「しんちゃん」を見ろ見ろと周りに勧めまくる。お薦めは「ヘンダーランドの大冒険」「暗黒タマタマ大追跡」「爆発!温泉わくわく大決戦」「モーレツオトナ帝国の逆襲」「アッパレ戦国大合戦」。どれも一級の娯楽作品だ。「バイバイスクール」読了。子供向けの本だが、なかなかどうして面白い。学校の7不思議をめぐるお話だがその背後にあるのが廃校という問題だったりしてちょっと興味をそそられる。挿し絵を吾妻ひでおが書いているのも選んだ理由だ。映画にしても面白いかもしれない。


9月26日    火曜日

背中の腫れ、痛みはだいぶなくなってきた。赤黒くなっている範囲はさほど変りはないようだ。熱も相変わらず37°前後をふらふらしている。あれだけ抗生剤を点滴しているのになかなか安定してくれない。今月一杯で主治医が移動との事で変わる旨報告があった。入院から今までの5カ月間お世話になり、もしかしたら退院も間近だというのに残念である。病院やスタッフの名前等は今まで伏せてきた。特に許可を取ってはいないからだ(地元の人には分かってしまっているかもしれないが)。(そういう訳で今は名前はあげず主治医さんとしておく)主治医さん、ありがとうございました。おかげで何とかここまで生き、回復することができました。次の現場でも頑張ってください。


9月27日    水曜日

午前中は台風の様な雨。雷も時々なっていたようで(無菌室では外の音はまったく聞こえない)、空が光る。腫れの方は快方に向かっているようで、痛みはほとんど感じられなくなった。午後、天気は急速に変化し晴れ間がのぞく。外は結構涼しいそうである。今日は終日本を開く事がなかった。昼はテレビで「郡上一揆」(神山征二郎監督作)を観てモブシーンの面白さに感心。久々に群集のパワーを感じる作品であった。夜も久々にバラエティー番組のスペシャルを見てから寝てしまった。現在、白血球数は900。


9月28日    木曜日

朝日が美しかった秋晴れの一日。午後、赤血球の点滴追加。 あいかわらず、抗生剤(メロペン・バンコマイシン)の点滴は続いている。背中の腫れは、痛みはほとんどなくなったが、今度はかゆみが始まる。治っている証拠か。夜はDVDで「砂の器」を観る。先日亡くなった丹波哲朗氏追悼の意味も含めて。思えば、「007は二度死ぬ」を小学生の時に観て以来、「日本沈没」「ノストラダムスの大予言」「人間革命」「続・人間革命」(念の為言っておくと、私はこの頃は創価学会に対して何の感情もなかったが、その後その間違った教義や政治への介入、強引な勧誘などを知ったり体験していくうちに大嫌いな新興宗教団体となっています)「砂の器」「新幹線大爆破」最近では「さくや妖怪伝」「クレヨンしんちゃん 温泉わくわく大決戦」等、主役、脇役、声と様々な作品でその演技を見つめてきているのだ。「砂の器」何度観ても泣けます。


9月29日    金曜日

曇りの一日。朝、お通じの特効薬として毎日飲んでいる(密かに”液体マグミット”と呼んでいる)パック入りコーヒーを自動販売機に買いに行く。すると以前にもあったように商品はあるのに機会が故障していて買う事ができない。買置きしてあるが、それも明日までの分しかない。このコーヒーを飲むと今までは100パーセント、3〜4時間以内に必ずお通じがあるとういう私にとっては魔法の飲物なのである。夜、DVD「悪魔の手毬唄」。見始めると止まらない。もう何度観たことだろう。採血の結果は、白血球数1000、好中球数は0。土日は採血がないので、院内を自由に歩けるようになるのは来週になってしまいそうである。


9月30日    土曜日

今日で9月も終わり。月日のたつのが本当に早い。何かで聞いたか読んだかした事に、時間の感覚が歳を重ねる毎に短く感じる理由の説明があった。例えば、10歳の人間にとって1年間というのは全人生の10分の1の時間だが、50歳の人間にとっては50分の1の時間でしかない。自分の生命時間からある一定の時間をみるとき、歳をとっていればいるほどその感じ方は短くなる、というのだ。これを聞いた(読んだ)とき、妙に納得できた事を覚えている。新しい事を学習し咀嚼する時間と、既に経験していてその対処も分かっている時間の差と言ったらいいのか。10月から主治医が変わるとのことで、新しい主治医を紹介される。後少しで退院になるかもしれないので残念だ。こうやってあらゆる科を経験した後に、自分の希望する科を決めていくそうである。いままでは若い女医さんが主治医でした。他の科に行かれても頑張ってほしいものだ。ある朝、病棟の廊下を歩いていると目を真っ赤ににしたその先生が病室から出てきた。病室の前の廊下には空のベットが置かれていたので、患者さんがおそらく亡くなったのだなとピンときた。その疲れた顔が印象に残っている。医者というのは大変な仕事である。看護士さん達も24時間3交代制であるが、みていると日勤をやって深夜勤というように結構ハードなローテーションである。本当に御苦労な事で頭が下がる。患者はただ寝ていれば、治療してもらえる一番楽な存在である。


○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・095 こっこさん こうの史代(宙出版)

・096 翼はいつまでも 川上健一(集英社文庫)

・097 さんさん録1 こうの史代(双葉社)

・098 さんさん録2 こうの史代(双葉社)

・099 長い道 こうの史代(双葉社)

・100 ぴっぴら帳1 こうの史代(双葉社)

・101 ぴっぴら帳 完結編 こうの史代(双葉社)

・102 ぼくらのサイテーの夏 笹生陽子(講談社文庫)

・103 復活の日 小松左京(ハルキ文庫)

・104 機関車先生 伊集院静(講談社文庫

・105 動機 横山秀夫(文春文庫)

・106 東電OL症候群 佐野眞一(新潮文庫) 

・107 愛のひだりがわ 筒井康隆(新潮文庫)

・108 ものいふ髑髏 夢枕獏(集英社文庫)

・109 高円寺純情商店街 ねじめ正一(新潮文庫)

・110 剣客商売七 隠れ蓑 池波正太郎(新潮文庫)

・111 幻少女 高椅克彦(角川文庫)

・112 アンダーグラウンド 村上春樹(講談社)

・113 ゴルディアスの結び目 小松左京(ハルキ文庫)

・114 剣客商売八 狂乱 池波正太郎(新潮文庫)

・115 石の血脈 半村良(角川文庫)

・116 深追い 横山秀夫(実業之日本社 ジョイ・ノベルス)

・117 バイバイ スクール はやみねかおる/作 吾妻ひでお/絵(講談社 青い鳥文庫)

・118 柿の種 寺田寅彦(岩波文庫)

・119 オーデュボンの祈り 伊坂幸太郎(新潮文庫)










白血病闘病記 2006年 入院・治療 10月




10月 1日    日曜日

曇りの一日。とうとう10月。4月の下旬から、5、6、7、8、9月と5カ月以上が経っている。さぁ、今月こそは何か動きがあるはずだ。めでたく退院となればいいのだが・・・生物(なまもの)、刺身や生野菜をこの入院中一切食べていない。刺身は食事に出ないし、野菜はすべてボイルされている(これが食べられないんだなぁ)。退院したらぜひ刺身と生野菜は食べてみたい。この前の抗癌剤投与中から味覚異常がおきているが、少し回復の方向ではあるようだ。あと今回はじめて指先のしびれが出てきている。抗癌剤の副作用であろうが、今も両手の指先がジーンとしている。背中の腫れ物は大分小さくなっているようだが、まだ消えるところまではいっておらず、抗生剤の点滴は続いている。液体マグミットのコーヒー。販売機が復活していたのでさっそく4個買う。しょっちゅう故障しているので買える時に買っておかないと。明日は採血があるので結果が楽しみだ。


10月 2日    月曜日

期待していた院内フリー、残念ながら白血球数1100でダメであった。これで丸2週間、病棟から出られないでいる。次の採血は水曜日なので少なくてもそれまで動きはないはずである。この調子だと今週中は難しいかもしれない。今回は相当回復が遅そうである。地固め時の抗癌剤を強力にしてその後の維持療法をやらない方向へ切り替えつつあるという話しを聞いたが、私はそちらのほうらしい。いままでは地固め後に維持療法というのをやり、退院になり、その後も5日間程度の短期入院を何度かして維持療法を受けるというのが普通だったらしい。そういえば4人部屋にいた時にそういう人が何人かいた。なるべく短い治療で効果をあげる方向へ変わりつつあるところらしい。夜、腫れの痛みがひどくなり、寝返りもきびしくなる。痛み止めをもらい何とか寝ることができた。


10月 3日    火曜日

朝、背中の痛みがひどくなっている。何もしなくても痛みが感じられる。歩くとさらに痛い。錠剤のロキソニンを飲むと痛みは和らぐ。仰向けになれないのと痛みで本を読む集中力なし。音楽を聞いて誤魔化す。昼はなんとかロキソニンを我慢して、夜寝る前に飲む。とにかく治さなくては


10月 4日    水曜日

白血球数2、600、好中球19.0。院内フリーとなった。逆にCRPは3.6と上がってしまった。そして金曜日にマルクを行ない、その結果次第だが来週中には退院できそうな気配となってきた。やっと、その日が来るのかという期待で胸が弾む。しかしまだ決定ではないので静かにその時を待とう。取りあえずは明日からの院内フリーを楽しませてもらおう。すっかり病院生活に馴染んでしまったが、これからはまた別の苦労が待っている。体力、血液の復活。仕事先への挨拶。生活費の事等・・・ 今の私の状態は会社員ではなくフリーランスの道を選んで来ているので、一回完全失業したようなものだ。きっと病院にいたほうが楽だったとおもう事も色々あるとおもうが、それもまた治療の内と考えるべきなのだろう。あせらず(あせるだろうな・・・)、さわがず(さわぐだろうな・・・)、粛々と事を運べたらいいのだが。


10月 5日    木曜日

夕食はレストランへ。ナポリタン。売店にも3週間振りに行き、パンとアイスを買う。やっぱり娑婆の飯はうまい。申し訳ない事なのは百も承知だが、病院食はやっぱり美味しいとはどうしてもおもえなかった。背中の腫れは回復方向へ向かっているらしく、痛みの範囲が大分小さくなった。今体に点滴用のカテーテルを刺してあるのだが、これとももしかしたら後数日でおさらばできるかもしれないので写真を撮っておく。鎖骨下にある静脈に直接カテーテルを刺したもので、2本ある。入院直後からずっとなので、もうかれこれ5ヶ月以上刺しっぱなし。風呂にはもちろん入れず、シャワーになるのだが、その際も看護士さんにサランラップとテープで簡易カバーをしてもらって濡れないようにしている。糸で体に固定してあるので時々引っ張られて痛い時もある。2回程カテーテルの中が詰まり、掃除と入れ替えを各々おこなっている。今も細い方の一本の調子が悪くなってきているが、もう一本で何とか退院まで頑張ろうという状況。


無菌室
中心静脈カテーテル

10月 6日    金曜日

外は嵐である。強風で雨が真横に降っている。とは言うものの実は今私のいる無菌室では、無菌室自体の窓と面会廊下の窓、二重のガラス越しの風景なのである。だからまったく外の音が聞こえない。大荒れの天気も無声映画のようである。以前4人部屋の時は窓が一重だったので、救急車のサイレンが24時間ひっきりなしだった。こんなにうるさかったんだとその時はじめてわかったのだ(近所に住んでいる人は大変だろうな)。午後、背中の腫れ物を切開し膿を出す為、皮膚科へ。いや〜正直痛かった。マルクと今回の切開、どっちか好きな方を選べと言われれば迷う事なくマルクをとるだろうなってぐらいである。女医さんが切開してくれたのだが、いちいち「ほら、こんなに膿がたまっていましたよ」とか5ミリぐらいの植物の球根のようなものをつまみ上げ「この中にばい菌がたまっていて」等と見せてくれるのだが、こっちはそんな事どうでもいいから早く終わってくれ〜って感じである。心なしかその時の女医さんは球根のようなものを見つめ、うっとり微笑んでいたような気がしたのだが・・命をとられることなく無事、処置を終える。夕食はレストランでカツ丼。主治医から来週火曜日にマルクを行なった後、いつでも退院していい旨話がある。しかし、実は来週金曜日に皮膚科を受診しなければならず、なおかつ土日に退院すると会計ができず後日出直す事になってしまうのだ。しばらく考え、今月16日の月曜を退院日とすることに決定した。前日の15日を外泊とし、16日自ら車で荷物をとりに来ようという段取りである。やっと、退院。ほぼ6カ月の入院生活であった。最初は自分が白血病である自覚がなかなか湧かないまま入院し、東京の部屋の後始末を友人達に頼み、抗癌剤の投与でフラフラになりながら寛解になり、歯を数本抜き、毛が抜け始め・・・色々ありました。後は最後まで気を抜かずに過ごす事だろう。退院前日に発疹が出て、退院が一週間のびた人を知っている。まぁ、ここまできたら一週間なんてあっという間だとおもうが。 ちょっと早いですが、お世話になった皆様、ありがとうございました。重枝は16日に退院いたします。


10月 7日    土曜日

海波悪次郎 作 『剣客商い 辻斬り』小間物屋の茂吉はぶら提灯を片手に下げ、ほろよいかげんで四ッ谷の自宅へ向かっていた問屋である伊勢屋さんで商売の話しの後「まぁ、いいじゃないですか」と主人からすすめられた酒でいい気持ちになり、先方を出た時には暮れ六つの鐘があたりに闇の気配を充たし始めていた。夜道を心配する主人から提灯を持たされ、恋女房のおさきが待つ家へ帰ろうとしていたのである。「おさきのやつ、伊勢屋に出入りする小間物屋の中で一番の売り上げをした俺様が金一両の報奨金をもらったと聞いたら腰を抜かすにちげえねえ」宿場女郎だったおさきに惚れ、好きな酒もひかえて貯めた金で身請けし晴れて夫婦になったのが2年前。それは茂吉にとって、おさきの喜ぶ顔を見るのが生きがいとばかりがむしゃらに働いた2年間でもあった。日本橋の伊勢屋を出て小半刻もたったであろうか、半蔵門を左にまがりすっかり闇に包まれた道を提灯の灯りをたよりに歩いていた。江戸時代のこの時刻ではおもだった商店なども店を閉めており、辻に立つ夜鷹蕎麦屋の仄かな灯りが夜の暗さを際立たせているのみで、茂吉の足は自然といままでより早くなっていた。ふと茂吉の足が止まった。行く手の路上に何かがある。茂吉はもっとよく見ようと提灯を脇にし、闇に目を慣らそうとその何かの方を窺った。何か大きな荷物のようなものが道に置かれているのはわかるのだが、それが何なのかがわからない。茂吉はゆっくりとそれに近付いていった。「ひっ、」と喉をならして茂吉の体が凍りついた。それは荷物ではなく人だったのである。無惨な辻切りの犠牲者。弥七、徳二郎が来た時には殺害された遺体の周りにまだ誰も到着してはいなかった。茂吉は殺害された死体を発見するとすぐに同じ町内に住む十手持ちの弥七のところへ駆け込んだのだ。「こいつは素人のやったことじゃねえな」弥七は死体をみるなりそういった。「なんでですかい」「見ろ、致命傷は背中への一太刀だが、その傷の上に布がおかれているだろ」徳二郎はそう言われて、「確かに背中に怪我を養生するような布がありやすね」。弥七はじっと死体を見つめていった、「こりゃ下手人は医者かもしれねえ・・・」「えっどうして医者だと」「それも女の医者かもしれねえ」「女医者、一体どうして」。しかし弥七はそれ以上答えず、死体の傍らへしゃがみ込んだ。「坊さんかな」確かに死体の頭ははげ上がっている。「それとも按摩」、弥七はまた黙りこんでしまった。しばらくして、「おう徳さん、秋山大治郎さまのお屋敷へ一走りたのまあ」と弥七が言うと、すぐに徳二郎は駆け出した。その後ろ姿を見送った弥七がつぶやいた、「辻斬り・・・こりゃあ、とんでもねえ事になるかもしれねえ・・」 続く・・・かもしれない※この物語は基本的にはフィクションですが一部事実に基づいて構成されています。なんて事やってたら熱が上がって38.8までいってしまった。


無菌室
無惨な辻切りの犠牲者

10月 8日    日曜日

昨日の熱が嘘のようにひいてしまった。ただ、大事をとって終日寝ていた。鼻水が出る。風邪?抗生剤飲んでいるのに? 背中の切ったところは看護士さんいわく、「唇みたいに」開いているそうである。わざと開いておいて残った膿を出してしまおうというのが目的らしい。自分でも見たい様な見たくない様な。夕食は、昨日熱が出たので病院食。しかし本当に申し訳ないが熱もないので売店で買ったカップラーメンを食べてしまった。「フレンチ・コネクション」DVDを観てから寝る。


10月 9日    月曜日

体育の日で全国的にお休み。熱は安定している。ちなみに昨日書いた抗生剤と風邪の件だが、抗生剤が効くのは細菌に対してで、風邪等のウイルスには効かない。今いる無菌室という所は、終始部屋の中に風が流されて、状況に応じて強弱する事ができるようになっているのだが、この風を完全に止める事は出来ない。常に風が循環しているのだ。今では気にならなくなっているが、低くファンの音がし続けている。これが結構寒い。昨日からセーターを着るようにしたら、鼻水はピタリとおさまった。なので日中はセーター着用で過ごすことにする。夕食は売店で買った、しょうが焼き弁当。「クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡」DVDを観てから寝る(実は先日観たばかり)。


10月10日    火曜日

退院にあたって不安要素がひとつ出てきた。「血色素量」(簡単に言うとヘモグロビン)が少しづつ減ってきてしまっているのだ。現在の数値は5.8(これは正常値の半分以下)(正常値は13〜17といわれている)。これが減るといわゆる貧血状態になっているという事なのだ。 今日久し振りにシャワーを浴びたのだが、10分程のシャワーでえらく疲れてしまった。入院し、抗癌剤の投与を始めてから一番回復した時でも最高9.2。これは6月(治療初期)の事でその後は7.0以上にはなった事がなく、平均すると6.0台が多い。1ヶ月以上抗癌剤投与が空いた事は入院中ないので、この数値ともいえる。今後1ヶ月以上の期間でどれほど回復していくかはこれから初体験となるので何とも言えない。午後、マルク。結果は「寛解」状態で問題はないらしい。今の処16日退院予定に変りはないが、今後「血色素量」が減り続けるようであれば変わる可能性はある。うれしくて、「16日に退院します」といろんな所へメールしてしまったが・・・・みなさん、もう退院の御報告は実際に退院してからにします。夕食はレストランでカツカレー。「クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」DVDを観てから寝る(これも先日観たばかり)。


10月11日    水曜日

午前中は眠くて昼前まで寝てしまった。午後洗濯。本を整理する。退院にあたっては、いろいろと忠告してくれる人もあり、自分で運転してというのはやめにする。貧血気味なので、万が一を考え安全をとることにする。荷物は全て、宅急便で送るつもりである。またまた「クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険」を観て寝る。


10月12日    木曜日

朝、採血。問題の血色素は6.0とわずかながら上昇。これで16日退院はほぼ決定といっていいだろう。ちょっと安心。午後アムールの飯塚氏が訪ねてくれる。私の今後の事や色々と心配してくれる。ありがたい事だ。体力復活の鍵は「血色素量」だと思うが、この数値の復活までどれくらいかかるか・・・いろいろな方の話や情報を総合してみると、退院後2〜3カ月で仕事復帰している方が多いようだ。もちろん人各々でばらつきはあるだろうが。荷物整理をはじめる。とりあえず本を段ボールへつめる。結局4箱になってしまった。夕方、売店から発送。夜は消灯後そのまま寝てしまう。


10月13日    金曜日

午前中は残った荷物の整理。あと二箱で何とか全部いけそうである。三交代の看護士さん達にお世話になったお礼を言う。看護士さん達が24時間体制でこの6カ月間様々なサポートをしてくれたおかげで今の自分がある事を強く感じる。この場でも、ありがとうと言わせてもらいたい。完全看護の今の環境から、普通の生活に戻ったらきっと「病院」の方がよかったと思う事だろう。これからはナースコールなんて無い生活が待っているのだ。退院したら家で食べたいものに、納豆or卵かけごはん、卵焼きがある。私の朝食の定番メニューだ。退院したら生食を食べてもいいと言われているので楽しみだ。この6ヶ月間刺身などの生食を一切口にしてこなかった。病院食は細菌などの感染予防の為だとおもうが、野菜もすべて湯通しされていて正直閉口していた。納豆は一度(おそらく何かの間違いで)だけ配食されたことがあるのだが、それだけである。楽しみだ。皮膚科へいく。先週治療した背中の腫れの経過確認である。幸い経過は順調で既に痛みもなく、仰向けに寝ても違和感を感じることもない。後は塗り薬をつけて切った傷口が塞がればOKとなった。やれやれである。午後は何だか眠くてうつらうつらしていたが、何とか眼を覚まし昨日飯塚氏からいただいたDVDを観る。夕食はレストランでうどんとミニ天丼のセット。明日はレストランの営業が早く終わってしまうので、月曜日に退院する事といままでのお礼を言う。カレーやスパゲティーなどサラダがつくメニューの時にサラダの代りにコーヒーをつけてくれたし、生水でなくお茶が黙っていても出るようになっていた。そういった事も含めてお礼を。夜、「もののけ姫」DVDを観る。


10月14日    土曜日

朝、入院中最後の採血。昼前、静脈カテーテルを抜く。約半年身体に入っていたカテーテルが抜かれる。採血の結果はCRP0.7、白血球59、赤血球196、血色素量6.4。午後、背中を養生するためのガーゼを買いに売店へいくも、買うものを間違えてしまい、看護士さんが返品してきてくれた。夜は売店のお弁当。テレビの「男はつらいよ 真実一路」を観る。最初の夢のシーンに「宇宙大怪獣ギララ」の画が使われていて懐かしかった。子供の頃夢中になって観た映画である。


10月15日    日曜日

今日が入院最終日。6カ月に渡る治療の成果が確定出来るのはまだまだ先だが、日常への復帰の第1歩となるのが明日の退院であろう。弥がうえにも興奮します。昼過ぎに最後の洗濯をすませ、荷作り。宅急便で送る物で残りは最低限の着替えだけとなった。思い起こせば4月、「白血病」を血液の癌ぐらいにしか認識できず、頭の中真っ白に近く3時間ぐらいかけて四ッ谷からここまでやってきた時。あれから半年が過ぎてしまったのだ。この間に抗癌剤により、「寛解」となりその代償として髪の毛は無くなり、眉毛も抜け落ちた。私より長く入院している人も沢山いる現実を見れば、いかに運がいいかが自ずとわかる。運を司る者がいるならば、その者に感謝しなければならないだろう。とりあえずは「生き延びたんだな」というのが実感である。入院中支えてくれた仕事関係や友人達、病院関係者の皆様、ありがとうございました。


無菌室
2006年10月15日。入院最終日

10月16日    月曜日

いよいよ退院です。御心配いただいた皆々様、本当にありがとうございました。実家に着いたら夜にでも今日の分を更新したいとおもいます。(朝日の差し込む無菌2号室にて AM6:15)午前11時過ぎ、看護士さん達に見送られ、病院を後に。タクシーで最寄りの駅前へ行き、蕎麦屋で天丼。電車にゆられて午後1時半頃実家到着。母親の愚痴を聞きながら、ホッと一息。これを書いています。今夜はすき焼きをリクエストしました。白血病との闘いはまだ終わった訳ではなく、これからも続きます。この日記も毎日ではないですが今暫く続けたいと考えています。御心配やお世話になった方々、本当にありがとうございました。夜、すき焼きを食べるも味覚がおかしい。病院では判断ができなかったが、やはり元には戻っていなかったようだ。今しばらく時間がかかるのだろう。夕食後、テレビを見ている内に疲れてしまっのか9時過ぎには寝てしまった。考えてみれば1ヶ月以上外出していなかったので、そのせいだろう。


○今月読んだ本 (月末まで随時更新) (私的覚え書き)※数字は入院からの通算

・120 寺田寅彦随筆集 第一巻 小宮豊隆編(岩波文庫)

・121 どぶどろ 半村良(扶桑社文庫)

・122 遺す言葉、その他の短篇 アイリーン・ガン(早川書房)

・123 容疑者xの献身 東野圭吾(文藝春秋)


2006・7年 療養へ矢印ー右





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